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「ナバホ」というのはアメリカインディアンの一部族の呼び名です。この名前はコロンブス以来、アメリカ大陸で勢力を拡大し続けてきた側からの呼び方に由来しているようでして、彼ら自身はこれにかえて自分達を呼ぶときの「ディネ」(我々)というのを使うのだそうです。 「インディアン」ということばにしても後から入ってきた者の言い方なわけで、今ではこの先住民族を「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶのが一般的です。ナバホ族はおもに中西部の三つの州(アリゾナ、ユタ、ニューメキシコ)にまたがる居留地(リザベーションと呼ばれる自治区)に住んでいて、その人口は現在二十三万人ほど。アメリカ最大の部族です。
個人的な、ほんのちょっとしたつながりで画家・福田ゆき氏の絵画展に出かけてきました。現在のゆきさんはロサンゼルスの住人ですが、かつては実際にナバホ居留地に住み、今でもそこに通いながらナバホの世界を描き続けています。渡米されたのが1970年代ということで、当時の彼女は三十代だったそうです。まず英語の勉強にと通ったのがロスのハイスクール。そちらの先生に社会見学として居留地へ連れていっていただいたのがナバホとの巡り合わせでした。 現在では事情も変わりましたが、それほど遠くもない昔には合衆国政府の打ち出した同化政策というのがありました。インディアンの子供達は親元から引き離され、寄宿校で英語の使用を強制されながら暮していたのです。そこでは先祖伝来のことばを使うと容赦のない体罰が待っていました。あるいは、それ以上の精神的・肉体的な虐待が行われていたという証言もあります。その歴史に加えて、当時の居留地の生活環境、これがお世辞にも優良とは呼べないものだったようですし、そうした事情を知るハイスクールの恩師が「ユキ、お前があそこに行くことはない」と止めるのもわかるのです。 それでも、日本の北海道ほどもあるという居留区の広大な大地と自然、そしてそこで生きる人々の姿がゆきさんの心をとらえて放さなかったようです。当時の彼女はただひとりの日本人学生として居留地内のカレッジに進学。その卒業後には寮も出て、水道も電気も通わない丘の上の小屋で、さらに六年間を過ごしました。 大きなキャンバスを抱え、ヒッチハイクのお礼にとキャンディーや折り紙を用意して、十数キロ離れたカレッジのアトリエに通う日々だったそうです。気温の下がる冬には生活費を稼ぐためにロスまで出てウェイトレスをしました。他人事ながら涙が出そうになりますけど、そもそも特別の許可なしでは住めないはずのこの地区にちゃっかりともぐり込んでしまったわけです。ほんとうの意味で馴染んでしまったということでしょう。土地の人々は親切にしてくれたそうですし、勝手に住みついたことをとがめる人もいませんでした。「エンジョイさせてもらったの」とゆきさん。苦労話はお好きではないようですね。 日本で五回目という個展の会場には大きな油絵と水彩画をあわせて三十数点が並びました。今回の展示のメインテーマはネイティブ・アメリカンの壁画。誇り高き部族の先祖が残した壁画・線刻画をオイル・パステルと透明水彩で再現したシリーズです。作品に登場するメディスンマン(祈祷師)や神秘的な儀式はわたしたちには馴染みの薄いものですけれど、どこかお腹の底のあたりで共感を覚える親密さなのです。明るい原色はゆきさんの内側から発しているようでした。 日本には「浄めの塩」というのがあります。一方、ナバホではトウモロコシの花粉をまきます。聖なる場所でまいたり、「おい、塩まいとけ!」のニュアンスまであるのだそうです。食べ残しを地面に捨てるのは母なる大地に還すとかで、自然を敬い、それと調和して生きようとする生活感・宗教観は日本の古代人の信仰に通じるものがあるといいます。 髪の色が同じ、目の色も同じ。同じモンゴロイド系ですし、ハッキリいってわたしたちの兄弟みたいなものなんです。それどころか、彼らにしてみればこの人類でさえも、花や鳥そして森とかいったものと同じように大自然の一部でしかないのでしょう。今ではコーラやハンバーガーだって大好きな彼ら、そのなかに踏み込んでいくと根強く残る伝統的な価値観が見えてくるのだそうです。そんなナバホの世界を描いた作品のなかで一枚の絵が眼を引きました。 ホーピー族(日本では「ホピ」と書きます)の先祖が残した予言の壁画をもとにしたこの作品(図参照)には、ホーピーの創造主「マーサウ」と人類の過去、現在、そして未来までの姿が描かれています。彼女は居留地内のホーピーの村にあるこの原画を二度見に出かけているそうです。いにしえの神話が示す知恵には驚かされました。第二次世界大戦までが予言されているのです。人が自然と調和して生きることの必要を説き、進むべき道を示したこの壁画は、先人からわたしたちへのメッセージに違いありません。ちなみに「ホーピー」とは「平和」の意味だとか。 現在のゆきさんは若き日のお礼にと、ナバホと日本の交流のお手伝いもされています。あちらの文化を紹介したり、日本と相互の留学、ホームステイのための無償のコーディネイターとして。 人としてどんなふうに生きるか、そして画家として何を描くのか。もちろんそれには何の決まりもありません。でも、ご自身の理想に近付こうとするゆきさんの姿には、厳格なホーピーの創造主も目を細めていらっしゃるような気がするのです。「日本人はすぐに“歳”だっていうでしょう。そんなのひっくり返さなきゃ」元気なゆきさん、今頃はカリフォルニアの青い空の下でしょうか。
※付記 「インディアン」という語には侮蔑的なニュアンスが含まれるとする考えがあり、一般的にその使用を避ける傾向があります。当事者であるネイティブの人たちはどのように感じているのだろうかとゆきさんに尋ねてみました。「少なくても、今まで自分が接してきたナバホの人々からは、この言葉に対する嫌悪感といったものはほとんど感じられなかった」ということです。 〈わたしはアメリカインディアンであることを誇りに思う〉といった大きなステッカーを貼った車が居留地やカリフォルニアを走っているそうです。「むしろ(ネイティブ以外の)まわりの人が気を使っている感じではないか」三十年近くをナバホに寄り添ってきた彼女の言葉です。それでも、彼女が通った『ナバホ・コミュニティー・カレッジ』は近年その名称を『ディネ・カレッジ』に変更したとかで、民族の呼び方をめぐっては流動的で、微妙な温度差があるのかもしれません。今では、合衆国のなかで確固とした伝統とルーツをもつこの民族を「うらやましい」という白人もけっこういるのだそうです。 |
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2001.10.15 (c) Mitsuru
Iwasaki
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