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美術作品はときには「つくる」ものであり、同時に「観る」ためのものとしてわたしたちの前に存在します。そして、おそらくそこには「もうひとつの美術の現場」があるでしょう。
国立西洋美術館主任研究官・高橋明也氏インタビューの第一回は、美術館所属の研究者としての立場からのお話をうかがいました。かつて氏がその開館準備室に在籍され、1999年、日本での展覧会ではコミッショナーも務めたパリ・オルセー美術館とのかかわりや美術史家としての信条、そして美術展を企画することなどについて。
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高橋明也(たかはしあきや)
1953年東京都生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。ドラクロワやマネを中心とする19世紀フランス美術史専攻。1984〜86年、文部省在外研究員としてオルセー美術館開館準備室に在籍。現在、国立西洋美術館主任研究官。研究、執筆、講演のほか国立西洋美術館での展覧会の企画を担当する。
主な担当企画展覧会としては「ジャポニスム」「ドラクロワとフランス・ロマン主義」「バーンズ・コレクション」、二度の「オルセー美術館展」(1996年,1999年)など。著書に「ゴーガン」「マネ」「ドラクロワ 色彩の響宴」他、共著に「フランス発見の旅」等があり、共訳には「ロートレック全版画」などがある。
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●ヨーロッパって何なのかな
──最初に高橋さんのプロフィールも含めてですが、1984年から86年にかけて文化庁在外研究員としてオルセー美術館開館準備室に在籍されましたね。日本人がなぜフランスの美術館に関わるのか不思議に思います。そのいきさつや、当時の仕事の内容を教えてください。
高橋 まず国立西洋美術館(注1)自体に研修として誰かを海外に出していくというのがあります。ちょうどそのときがフランス19世紀美術を扱うオルセー美術館(注2)の立ち上がるときで、わたしの専門と一致したということですね。また同時に、うちの美術館も「ジャポニスム」の展覧会を考えていた時期でしたので、フランスと連携していかなければならないところがありました。それで、この二つの美術館をつなぐ役目も果たすことになったわけです。
在籍中は比較的自由に活動させてもらえたと思います。具体的な仕事としては、うちの「松方コレクション」の資料集めなどを中心にしていました。松方コレクションというのはかつてフランスに置かれていたもので、戦時中の状況についてなど、こちらとしてはわからない部分がいろいろとあります。それを調べていましたね。そこに含まれていた十何点かがフランス側に渡り、名品のいくつかが今もオルセー美術館に残されているという事情(注3)もありますし、オルセーとうちの美術館とのあいだには、いってみれば“遠い親戚”みたいな関係もあるのです。
──ヨーロッパに出て西洋美術と本格的に関わるのは、ある意味で逃げ場のない最前線に立たされるようなものですね。ヨーロッパ文化との出会いであるとか、東洋人として異文化に向き合うことの孤独感といったものについてはどうでしょう。
高橋 孤独感というのはいつどこにいても、日本にいても程度の差だけであって、それはあると思いますね‥‥。子供の頃に一年ほどですが、あちら(フランス)に行っていたことがありまして、その前後に八十日ほどかけてアジアの各地を見ながら船で往復したことがあります。当時が1965年頃でしたから、ちょうどベトナムの北爆が本格化する頃ですね。その頃のサイゴンを見て、フィリピンではかつての日本軍が破壊したマニラも見ました。インド・パキスタン戦争が起った時期でもありますし、当時のインドのこの世のものとも思えない貧しさも見ました。さまざまなものを見て非常にショックでした。そうなると、子供ながら「アジアって何なの?」という感じになるわけです。
さらにスエズ運河を抜けてヨーロッパに着くと、今度は反対に、ヨーロッパでの“富の集中”を目の当たりにします。もちろんヨーロッパ文化の深さというのは、その富の集中と関係する部分もありますが、それを見せつけられて「いったいこれは何なの!」という根本的な疑問まで浮かんできてしまったわけです。自分たちの住んでいるアジアの現実とあまりにもかけ離れた西洋。その文化の奥の深さと圧倒的な豊かさですね。さまざまな歴史、風土が堆積されて、それが渾然一体となって迫ってくる凄みのようなものですけど‥‥。
──アジアを強烈に意識するという体験を経て西洋美術の分野に踏み込まれたわけですから、ヨーロッパとの精神的な隔たりというのも鮮明になったでしょうね。
高橋 そうですね。そういう距離感を常に意識しながら、今でも「ヨーロッパって何なのかな」という気持ちでやっているわけです。それは好奇心でもありますけれど、非常に深いものがあります。おそらく西洋美術と関わることで、その照り返しのなかで自分の現在位置を測りたいという気持ちも含まれているはずですし、最終的には、それが自分自身の立っているポジション、アジアというものを見つめ直すことにも関わってくるのだろうと思いますね。
──西洋文化との出合いがご自分を見つめるきっかけであったし、現在ではその手段にもなっているということでしょうか。
高橋 その通りです。でもその方法として、たとえば最初から「ジャポニスム」(注4)を研究のテーマにするというのはしたくないのです。「ジャポニスム」は現象としてはとても面白いものですが、それだけを研究したいというのはありませんね。「ジャポニスム‥‥日本的なものとは?」といったとらえ方、それは向こうから見たこちらということですから‥‥。
──こちらから「売り」にはしないと。真っ向勝負ですね。
高橋 むしろ、極めてヨーロッパ的なものの方に関心がありますね。そしてそこには、その最たるもの「文明」に反発しながら「楽園」を求めてタヒチに渡った、あのポール・ゴーガンのような画家もいるわけです。その意味でゴーガンの生き方については共感できる部分がありますし、親密な感情も湧いてきますね。
──ゴーガンという画家については、何かワクワクするようなものを感じます。その“人と芸術”については次回のインタビューで詳しく触れていただくことにしまして、続いて、展覧会を企画することについてお聞きします。
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オルセー美術館
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オルセー「駅舎」を「美術館」に改造中の様子(1986年頃)
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※写真提供 高橋明也氏
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