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●美術展を企画する
──日本では近年二度のオルセー美術館展が開催されました。1996年の「モデルニテ」と1999年の「19世紀の夢と現実」というサブタイトルのものです。高橋さんはその両方に関わっていらっしゃいますね。それぞれの表題が示すようにテーマというものが掲げられているわけですが、展覧会の企画を発想する部分については微妙なものがあると思います。可能な範囲で具体的に教えてください。
高橋 たとえば1996年のオルセー美術館展では「モデルニテ」というのがテーマのひとつです。これは英語では「モダニティ(近代性)」ということですが、19世紀フランス美術にあらわれたその特徴を作品で提示しようということですね。
──その趣旨の展覧会を、現代の日本で開催することの意味は?
高橋 「近代性」が何なのかというのはけっこう難しい問題でして、西欧社会が世界をリードしたのはルネッサンス以降のことですが、アジアはどこが違うのかといえば、「近代化」があったか、なかったかということなのです。ヨーロッパは産業革命と市民革命というふたつの流れのなかで近代化を押し進めてきました。アジアにとっては西欧化することがイコール近代化なのだという考えがあります。一方で、アジアにはアジア文化それぞれに独自の近代化があるとする意見もあります。ふたつのとらえ方があるわけですが、いまの東洋では一般的には、西欧化することが近代化(現代化)なのだと「なんとなく思わされている」面が強いと思います。
──それは日本も同じだということでしようか。日本は西欧の真似をして近代化したつもりになっているだけじゃないのかと‥‥。
高橋 日本にとっての「近代」とは何なのか、これについてもさまざま見解があって、答えもそれぞれだと思いますが、統一的な見解というのはないわけですね。まずこの国にとっての近代化とは何なのかという問いかけをして、その上での見解を持つこと。少なくてもそういう基本的な懐疑とか関心がなければ、日本の近代化はまだ終わっていないと考えるのです。
──展覧会としては、近代化された19世紀フランス・パリの現実に向き合った芸術家たちの視点を示すことで、「それではこの日本の現代の文化はどうなのか」という問いかけがあったわけですね。
高橋 でも最初にそのプランを出すときには、そこまで厳密には考えていませんでしたけれどね。展覧会が終わった後からその意味や位置づけを考えるという場合もあるのです。後になって、そうか、こういうことだったのかと自分のなかでわかることもありますし‥‥。美術展をつくる作業のなかには発想の中に直観的な部分もありまして、わたしの場合には、展覧会が始まる前に自分のなかで答えが出ているということはまずありませんね。ある意味では、ひとつのイメージに沿ってひどく感覚的につくっていって、結果的に主題なりが浮かび上がってくるということです。画家も同じでしょう?
──モヤモヤとした創作意欲のようなものが、やがて実際の色や形になるという‥‥。すると高橋さんの場合には、まずこういう雰囲気で絵を並べようというイメージや、キーワードがあって、それを具体的な作品に置き換えていくという作業なのでしようか。何か触発されるようなものを感じます。
高橋 たとえば展覧会の発生ということを考えてみると、フランスでは大革命以後の民主化の流れのなかで美術の市場も一般に向けて解放されていきます。受容の機会、つまり芸術と民衆との関わり方のシステムも民主化されていったわけです。サロン(官展)の発展などもそれに沿ったものですから、美術展が人びとと共にあるという基本的な方向は確認されているということですね。現代の美術展が人びとに向って「開かれた」ものであるべきだというのもその延長線上にあります。その視点から、わたしなりの方法で企画の工夫をしているつもりなのです。
展覧会のつくり方という意味では企画者によっていろいろなスタイルがあるでしょうね。タイプ的にいえば、最初からコンセプトをカチカチに固めてしまって、プレゼンテーションの紙を作って、という人もたぶんいるとは思います。しかも、展覧会をするまえから答えがわかっているという‥‥。でも、実際に作品を借りてきて並べてみると、頭のなかで考えていることと全然違っていたりする場合もあるわけです。わたしはそういう発見も楽しみながら、次の企画につなげていきたいですね。また、そうであるからこそ、こういった仕事を続けていられるのだとも思いますしね。
| 「オルセー美術館展 モデルニテ─パリ・近代の誕生」カタログより
これは一種のパラドックスともいえるが、「新しさ」に対して日々情熱的な献身と新鮮な驚きをもてた19世紀という時代からはすでに遠いポスト・モダン以降の地平にいるわれわれは、あふれかえる「新しさ」そのものには価値を見出せぬがゆえに、「新しさ」が価値をもちえた出発点を探し出そうとしているのかもしれない。正規の美術教育を受けることなく税官吏として出発したアンリ・ルソーの作品に、歴史的様式概念を超越したような新鮮な「近代性」を見るとき、人はしばしば考え込むに違いない。いったい真の新しさとは何だろうと、そして美の歴史とは何だろうと。(高橋明也)
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