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国立西洋美術館主任研究官・高橋明也氏インタビューの第二回は、氏の最近の著書『ゴーガン』をテキストに、近代文明を逃れて野生を求めた画家の人生と芸術についてお聞きしました。
南の楽園・タヒチを描いたことで広く知られるポール・ゴーガンは35歳で株式仲買人を辞め、画家として出発。印象派に学びながらも、画家エミール・ベルナールやファン・ゴッホとの出合いなどを通して独自の画風を確立した。その芸術はタヒチ島に渡った後に真の意味で開花する。
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■オフレコ部分
――高橋さんの本についてはいつもそう感じるのですが、この本も美術書にありがちな難解な表現が避けてあって、読みやすいですね。資料写真も充実していますし、ゴーガンについての手頃な入門書だと思います。
高橋 書き下ろしに限らず翻訳などでも同じですけれど、わからない文章というのは書きたくないですね。これについても時代の雰囲気とか画家のバックボーンをなるべくたくさん入れるようにして、できるだけ読みやすくと‥‥。
――前回のインタビューにもありましたが、観賞の手助けの意味も含めて、この時代の美術書には〈わかりやすさ〉も必要だということですね。今回もよろしくお願いします。
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●ゴーガンってどんな人?
ゴーガンという画家は、まさに人間の様々な「矛盾」や「欲望」などをそのまま担いで、「文化」のもつ規範と因習、重圧に、ドン・キホーテのように突撃した芸術家であった。
──高橋明也著『ゴーガン』より |
――まず、タヒチとの関係ということですが、一般にゴーガンは純粋に楽園を求めて文明を逃れたという面ばかりが強調されているようにも思えます。皮肉な見方をすれば、単に絵のテーマを求めてタヒチに渡っただけではないのかという気もするのですが、実際はどういう人だったのでしょう。
高橋 ゴーガンというのは、たとえばゴッホなどに比べると一般の人々からは距離があります。それはなぜかといいますと、あの人は良くも悪くもインテリなんですね。文章もうまいですし、本人は自分のことをバーバリアン(野蛮人)みたいに言うわけですが、あれはつくっているようなところがあるわけです。非常に「山っ気」のある人でして、ピュアなものを求めてはいるのですが、本人はそれほどピュアな人ではなかったのです。そのあたりがゴッホと違います。ゴッホの人なり、作品なりが誰にもストレートにわかるというのに比べて、ゴーガンがわかりにくいというのはそこが違うのです。本人は原始美術を求めるとか言いながら、あちらに行ったら次から次へと若い娘に手を出したりしていますしね。そういう面がその作品を見る人との間に距離をつくってしまうようなところがあると思います。
――1889年、パリ万博でエッフェル塔を見たゴーガンは近代文明を賛美します。一方で植民地のパヴィリオンで見たジャワの民族舞踊などにも感激しています。どちらも称えていますが、それでもあっさりとタヒチ行きを決めてしまいますね。当時のゴーガンは、ヨーロッパで「食い詰めた」状態だったわけですが、経済的な事情の他に「楽園」を求める理由があったのでしょうか。
高橋 ゴーガンは南の島の、その未開性というものが現代にフィットするというのを発見したわけでしょうね。原始性というのは原始じゃないんだと、これは「モダン」に引きこめるんだぞと。そしてそれを取り上げれば、たぶんひと山当てられるのではないかという山っ気もあったと思います。でも最初のタヒチ滞在の後、その作品をパリに持って帰って展覧会をしてみたら不評だったということです。本人もかなりショックだったわけですね。
もちろん、芸術家としての彼のなかには未開のものに対して純粋に引かれているという部分もありました。ゴーガンが近代都市・パリを捨てて南の島に旅立ったのには、“文明の悪”を嫌ったということもあるのです。その悪というのはただの一元的な悪というものではなくて、ボードレールの『悪の華』のように、悪にこそ美があるといういわば裏返された価値観ですが、それに対して彼は飽き足らなくなってしまったということですね。ヨーロッパ文明のもつ人工的な美とは逆のものをアウトドアに求めたということでしょう。
――必ずしもセンチメンタルな気分だけで「楽園」行きを決めたわけではなかったのですね。それにしてもやることが大胆で、けっこう“お気楽”な面もあったのでしょうか。そういう部分に触れている文献は少ないようですが。
高橋 そのあたりは書けませんね。その人がいかにお気楽であったかというのは書きにくい話であって‥‥。でも、そのために家族や子供も捨てて行くわけですから、かなりの覚悟があったはずです。単にお気楽というのではないでしょうね。一般にはアンビヴァレンツというか、矛盾した意向をもっていたというふうに表現されていると思います。やはり画家として成功したいとか、ヨーロッパの印象派の固定した方法論に一発パンチを与えてやりたいとかいう野望は当然あったわけです。決して単純な人ではありませんでしたね。くせ者といってもいいかもしれません。
ただし、タヒチで暮らすうちに次第に健康状態も悪くなり、家族の死などもあって、彼自身がどんどん純粋な世界に近づいていくわけです。最晩年には作品のなかに宗教的な面や神秘性もでてきますし、その過程がゴーガンの人生の中で最もドラマチックな部分ですね。
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■ゴーガンのことば
私は、彼らにとっては、言葉も習慣も、生活の最も原始的で最も自然な労働さえ知らない未知の人間であった。私にとって彼らがそうであるように、私もまた彼らにとって野蛮人であったのだ。しかもたぶん間違っていたのはわたしである。
── ポール・ゴーガン『ノア・ノア』より
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