●ゴーガンの絵画
――本書カバーには《赤い花と乳房》(1899年 カンバス、油彩)という作品が使用されています。ゴーガンの晩年の傑作のひとつとされていますね。ゴーガンの作品はブルターニュ時代から比べても飛躍しています。「円熟」もあると思いますが、それ以上に内側からの輝きのようなものが感じられます。直感的なものであったにせよ、ヨーロッパ時代に求めていたものがそこにあったからではないでしょうか。始めは“一発当ててやろう”くらいのつもりだったゴーガンとタヒチとの関係はその後、変化していったのでしょうか。 高橋 自分が思っている以上にタヒチの文化そのものに引かれていったのだと思います。最初はあちら植民地の役人と付き合って仕事をもらおうなどとしていたわけですが、だんだん気が付いてきたわけですね。そんなことをしていてもしょうがないと。それで今度は現地人の側に立つようになるわけです。絵にしても表面的なタヒチの風俗を描くようなものから、次第に根源的なものの表現を追求し始めるようになります。 その変化は第一次タヒチ時代から第二次タヒチ時代にかけてのものですが、第一次ではまだヨーロッパ人が考えるような原始のイメージを追い求めようとしているところが見られます。現地でも既に消滅してしまったような土着信仰を拾い上げて、それを作品のなかで再構築しようとするようなところがありますね。第二次の時期ではそれがごく自然なかたちで出てきます。晩年のヒヴァオア島での海辺を描いた連作にいたっては、もはやゴーガン自身がその土地に溶け込んでいるのがわかります。 ――確かに最晩年の作品は「未開人」を眺める目線ではありませんね。 高橋 完全に同じ高さの目線で見つめているわけです。さまざまな執着を捨てた、自然な、そしてある意味では枯れた世界だとも思います。これがゴーガンの終着点でしょう。 ――ゴーガンの絵画についてはしばしば「綜合主義」という言葉も使われます。ごく、ごく大まかに言いますと、画家の主観とその目に映る外界とを明快な造形表現で統合する、といった考えだと思うのですが、これについてはどうでしょう。 高橋 綜合主義については、ゴーガンの“一人主義”のような部分が多いですね。ゴーガンの作品につけた言い方であって、あまり一般化される主義というのではありません。クロワゾニスムや綜合主義というのは、特定の個人が自分の作品について○○主義だといっているような性質のものですから‥‥。それよりも、本の中にも書きましたが、後期印象派と呼ばれる画家たちのもつ反印象主義的な傾向、つまり、光の分析をしながら描いたって何になるんだ、絵は内面的なものを描けばいいのだという主張。このあたりはゴーガンの作品を鑑賞する場合には押さえておきたいところですね。 ――ゴーガンについては最後の質問になりますが、このゴーガンという存在を通して「西欧」と「未開」は出会うことになったのでしょうか。 高橋 この人がこういうふうにして、ここにたどり着いたというのはある種の必然なんですね。それはまず彼個人についていえば、幼いときから南米などの文化に接してきて、それに対する憧れというのがあった。その後ブルターニュに出掛けてケルトの文化にも触れ、そういう原初的なものに触れたいという欲求がどんどん先鋭化していきます。 一方、ヨーロッパ全体を見ると文化的な飽和状態のなかで皆が植民地に出掛けているわけです。あの頃のグローバリゼーションということですが、それはあらゆる面で爆発的に出ています。ただひとつ芸術の方面だけが遅れていたのです。そこにゴーガンがロケットのようなかたちで出て行ったということです。 ヨーロッパの内側からの圧力は、すでにかなり高まっていました。ゴーガンにしてもタヒチに渡る以前にカリブ海のマルティニック島に行ったりしていますね。そこで偶然だけれども、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とすれ違っているわけですよ。同じ年の同じ時期に、同じ島にいたということです。ハーンは新聞記者としてアメリカ経由で来て何カ月かいて、ゴーガンはひと山当てようと思って来ていたのです。二人はたぶん出会ってはいないでしょうけれど‥‥。ハーンはその後日本に行きましたし、ゴーガンはタヒチということです。そういう人たちがたくさんいた時期なんですね。芸術の分野では一種、ゴーガンがその最後の栓を抜いたという感じでしょうか。シャンパンの栓をね‥‥。
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