「ロンドンは物価がすごく高くて、こういうのは高級料理。あまり食べませんね。」

居酒屋のメニューを眺めながら、彼女は笑顔で話してくれました。ツアーで訪れた観光客ではありませんから、イギリス国内での彼女ならそうかもしれません。ロンドンにいてただ住んでいるだけの状態と、ヨーロッパ各地を旅して廻るのにかかる費用とが同じくらいだそうで、それならばと、オフは各国を旅していることが多いのだそうです。それが楽しいのだとか。

先日のことですけど、ロンドン在住の教え子が一時帰国中で、久しぶりに会うことができました。美大で日本画を勉強した彼女ですが、どういうわけか演劇の方面に進みまして、今ではあちらで売り出し中のパフォーマ−なんです。前回会ったのが十数年前。芝居を始めたばかりの彼女もまだ二十代でした。あれからずいぶんと時間も経ちまして、その間に彼女自身は日本からヨーロッパへ。ドレッド・ヘアーとかいう、あの細い縄が密集したような髪型も自然にキメています。これも海外生活十年のキャリアというものでしょうか。

切っ掛けというのは誰にもあるようで、彼女の場合は三十歳の誕生日に「これから一年間、パリのポンピドゥ−・センターの前でパフォーマンスをやろう。」と思い立ったことだそうです。そして即決行。雨の日も風の日も続けました。それが日本大使館の目にとまり、大使館での公演が今度はパリの劇場主に認められてという具合に展開して、結局そのままヨーロッパに居着いてしまったというわけです。「日本に戻れなくなってしまった」というわりに表情が明るいのは、それにまさる“充実”があるからでしょう。「苦労したからといって、それでいいものができるわけじゃありませんよね。」と気合いも爽やか。

高校時代の彼女をよく憶えていますが、別段語学に長けていたとは思えません。でも現在では、あちこちの国に出かけて、その土地の言葉で芝居をしています。フランス語も、英語も、チェコ語の台詞も喋るそうです。しかも依頼者の注文で上演時間を長くしたり、短くしたりとか、ときには日本語を混ぜてやってくれとかいうリクエストもあるようでして、おまけに準備期間が一晩だけなんて過酷な条件を突き付けられることもあるそうです。彼女のパフォーマンスが「ひとり芝居」に舞踊のエッセンスを加えたものであることを考えると、陰の努力も半端なものではないでしょう。

そんなふうにしながら切り開いていくための、何か秘訣でもあるのかと尋ねてみたら、返ってきたのはとても簡単な答えでした。「とにかく、できるだけ長くその場所で生きのびていたい」という気持ちだけ。それでなんとかなるのだそうです。芝居に夢中になって、それを追いかけているうちに気がついたらこうなっていたと、自分の生き方は一種の“迷子”のようなものだとも言っていました。今回、日本に来る前の四か月だけでも十四カ国を廻ってきたとかで、ひたすら恐れ入りました。

二十年ちょっと前、わたしは取り立ててコワい先生ではなかったはずですが、その前でいつもモジモジしてばかりだった彼女がどんなふうにしてこの変身を遂げたのか。人生の奥義というか、神髄というのか、そういうものでも隠されているような場面転換。「現実」は芝居とは違います。まさか一瞬の暗転の後、スポットライトのなかにこういう彼女が突然浮かび上がった、というのではないでしょうけれど。

ところで、先日、机の引き出しをかき回していたら古い印刷物が出てきました。今から十数年前の文章でして、当時あるところに連載させて頂いていた雑文のうちのひとつです。大げさになりますが、生活することと人生の目的を対立的に捕らえたりするのはどうなんだろう、と思い始めた頃のものです。かつての“こころざし”は萎えてはいないのか。今夜はひとつこれでも読んで反省を試みてみたいと思います。

 

住む

一か月前から浅草に住んでいる。住み着いたところからまた新しい生活が始まると思っているので、この下町はわたしにとっての六番目の“ふるさと”ということになる。しばらくはここで暮らすつもりだ。なにしろマイホームというものをもってしまったのだから。

マイホームという言葉が独り暮らしに似合わないのなら、「巣」とでも呼びかえようか。とにかく、好きなように使って、誰にも文句をいわれないスペースを占有したかった。それであちこちに頭を下げて、箱型の空間を買ってしまったのだ。この曖昧な広がりを自分のものにした喜びと、気が遠くなるようなローン返済の回数を比べると、この先、後悔と幸福のどちらが先にくるのか、正直なところ想像もつかない。

「どうしてこの家にはモノがないんだ?」今までそういうことを何度となく言われ続けてきた。わたしの暮らしぶりを覗いた人は言葉には出さなくても、たいていはそう思うらしい。どうやら、わたしが「物」を持たないという事実がまわりの人を同情させたり、あきれさせているようなのだ。たしかに仕事のための機材や少々の電化製品を除けば、家具といえるのは古いベッドひとつくらいのものである。どう思われても仕方ないのだけれど、何も持たないことの爽快な気分はなかなか分かってもらえない。

引っ越しを終えて、あるべきものをあるべきところに置いてみると、リビングがからになってしまった。「ここに卓球台でも置いたら一生遊んでいられるな」などと思っていると、知り合いがやってきて、またもや同情されてしまった。「ぼくが世話をするから、取りにおいで」と。知人の勤める会社が移転するそうで、大量の廃棄物が出るらしい。それでは机でも貰うかと出かけたら、会議室用のデカいテーブルふたつ、おまけに長椅子ひとつに椅子二脚まで持たされるありさま。心あたたかい知人は親切と一緒に「これだけあればいいかな。」と。

家の中がモノで溢れて、ちょっと疲れてしまった。それで浅草の空気でも吸おうと街をぶらついてみる。隣家の軒下に遠慮なく突き出した雨どいや植木の鉢。裏通りや路地の奥の空間に浸っていると、どういうわけかホッとする。いつかどこかで見たことのあるようなおじいさんがひとり、家の前の通りに椅子を出してちょこんと座ったままでいる。どこを見るふうでもないその人を、通りかかる人もまた無視するでなく、かといって挨拶を交わすわけでもなく。他人のだとか自分のだとかいう境界線は、いったい何のために引かれているのだろう。広くはない、むしろ、狭くて入り組んだこの世界を通り過ぎるだけで気持ちが洗われていく。

わたしの新しい住処は言問通りに面していて、少し歩くと隅田川につく。じつはその昔、葛飾北斎はこのあたりに住んでいた。我が心の師、とまでは言わないけれど北斎は大好きだ。漂う人・北斎はその一生で、百歳、百回の引っ越しを目指したという。きっと、たいした家財道具も持たず、大八車ひとつで町から町へと渡っていたのだろう。彼は九十歳、九十回をこえる引っ越しの果てにこの土地にやってきて、お寺の境内の長屋であっさりこの世と“おさらば”をした。漂い続けることのなかに「修行」のようなニュアンスでも見い出していたのだろうか。

漂うこと、そして留まること。欲を言わせてもらえれば、漂いながら留まり、立ち止まりながらさすらってみたい。できるかな。

2002.06.26  (c) Mitsuru Iwasaki

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