|
「宵越しの銭は持たない」というのは江戸っ子気質なのだそうで、こういうこだわりを捨てた世界には憧れてしまいます。でもわたしの場合、江戸っ子ではありませんし、もちろん浅草っ子でもないわけでして、だからこだわってしまうのです。この浅草に。今夜は少しだけ浅草の話をさせていただきましょう。 いきなりですが、じつは、浅草の鳩は肉を食べるんです。カラスが食べ散らかした残飯のなかから親子丼の肉片を引っぱりだして、一所懸命に飲み込もうとしているのを見たことがあるのです。ほとんど共食い。そのまた後日、肉屋の御主人が路上の鳩に脂身のミンチをまいているのを目撃したので間違いありません。 「都市鳥の食性や生態系が‥‥‥」なんて言いたくなるからわたしはヤボです。よく考えてみると、エサを与える優しい気持にウソはありません。その奇妙な絵柄は別にして、“鳩に肉”もたいした問題ではないのでしょう。今のところ、肉の味を覚えた彼らが人間を襲うなんて噂も耳にしてはいませんし‥‥‥。それより当のハト君たちときたら、そのあと浅草寺まで飛んでいって、手水場の水で朝のシャワーなんか浴びたりしているのです。それでもって、今度は何食わぬ顔で観光客の皆さんに豆をねだるわけ。のびやかに生きています。ぜひとも見習いたいものです。 浅草のイキモノは、およそハトとヒトの二種類ということになるのですが、ヒトの方はすこし元気が足りないかなという気もします。浅草っ子たちの日常は、いつも次のお祭りに向けてエネルギーを温存している感じ。この街らしいですね。それと観光地や盛り場としてここを通り過ぎ、あるいは立ち止まる人たち。こちらもまた一時的にせよ同じ時間と空間を共有しているのですから、浅草のイキモノと呼んでいい思うのです。わたしのような風来坊も含めてみんなが浅草を呼吸しています。「はとバス」を降りたら、どうかゆっくりと歩いてみてください。この街が呼吸するのとおなじように。 浅草寺の裏手には吉原。聖と俗がワンセットになったこの街は江戸の昔からの盛り場です。たえず新しい血が流れ込み、衰退と再生を繰り返しながらその景色を変え続けています。ですから表があって裏もある。ときおりその奥からこちらを見つめ返す冷ややかな視線に気付くことだってあるんです。 「近頃はハトを食う奴がいる」。浅草生まれで、お祭りが大好きな知人から聞きました。それでも浅草は浅草。この姿もまたひとときのものだと思うわけです。「人情? 風情? それって何?」みたいな空気を悲しむより、こんなときこそ小さな愉しみを探すのです。 初めて見る古びた看板や路地裏の光景に「懐かしさ」が漂っていることがあります。わたし自身が路地で育ったというわけではありません。その懐かしさが具体的なものとして記憶のなかにあるわけではないのです。でも、ここにはたぶんそういうものがあります。老いたり滅びたり、もっといえば風化することだって、ゆるやかな自然のリズムに沿っているのなら、それも悪くはないと思うんです。 寄席や芝居小屋の前に立ち並ぶのぼり旗。鮮やかな原色はたしかに浅草の色です。でもその布きれも、よく見るとしみ込んだ雨水で少しくすんでいました。しばらく住んでみて、この色もまたいいな、と思うようになったのです。 |
| 2001.05.22 (c) Mitsuru Iwasaki |