今夜のお話は一枚の絵と連動しておりまして、そちらから先にご覧いただければと思います。(参考作品)

それにしても、重苦しくていけません。皆さんもきっと同じ気分でしょうね。こんなときには集中できないものでして、当然、絵なんて描けません。それで昔の作品かなんかを引っぱり出してみたのです。ジョンにちなんだものはないかと探したら、一枚だけありました。ただの写真に見えるでしょう。でもこれは絵なんです。

週刊誌から破り取った写真ページが青いキャンバスに貼付けてあるように描いたもので、フランス語ならトロンプ・ルイユ、日本では「騙し絵」って呼ぶのです。騙し絵についてはまた後日ということにして、絵のなかの人物のことをまず少し。

この東洋系の女性はたしか元ビートルズ、ジョン・レノンの恋人とかいわれたひとだったと思います。写真は当時の週刊誌に載ったものでした。ジョンとくればヨーコさんに決っているわけですが、まあ、いろいろとあるわけですね。描いたのは今から二十七年前で、その数年後、ジョンは狂信的なファンによって射殺されてしまいました。だから、わたしにとっては彼を偲ぶ一枚なんです。

ビートルズが解散するちょっと前からジョンは愛と平和を歌い始めました。「愛と平和」なんて言葉の組み合わせは、それこそ浅草寺と人形焼きくらいの定番。それでもこれが真実味を帯びていたのは時代というものでしょう。その頃も戦争が行われていたわけですから。

「芸術に何ができるのか」。カタくて恐縮ですが、何かが起きるたびにくり返し問われてきたテーマなんです。1937年、画家パブロ・ピカソは大作『ゲルニカ』を描きました。母国スペインの小都市、ゲルニカがドイツ・ナチに無差別爆撃されたその怒りを込めて「戦争の暴力」を絵で告発したのです。絵画はその発展の歴史をたどると、ただ眺めて楽しむためだけのものではありませんでした。記録の目的とか文字の読めない人たちにイメージで伝える役割もあったわけです。その意味で『ゲルニカ』は絵画の王道もちゃんと踏まえていました。

「戦争」への怒りだけで創作を続けるのは難しいだろうと思います。ピカソの作品のその後の展開を眺めますと、ゆっくりと時間をかけて反戦の表情は薄れていくようです。怒りは歴史のうねりのなかで画面の奥に隠れてしまいました。

どんな芸術家でも、まずひとりの人間であるわけですから、それぞれのやり方で現実と向き合っています。その流れのなかで作品のテーマが変化するのは仕方ないのだと思います。ピカソについていえば、戦争が彼の心に一番強く影を落としていたその時期に『ゲルニカ』をこの世に送り出したということですね。たぶん優れた芸術はその作者と同じように生き物だと思うんです。『ゲルニカ』はピカソの死後も存分に生き続けています。わたしたちがいくら求めても決して得られないもの、「永遠」をそのまま生きているわけです。

時代は下ってポップ・カルチャーの雄、我らがジョン・レノン。ジョンの政治色を帯びた派手なパフォーマンスは世間の注目を浴びました。その彼が1971年に発表したのが名曲『イマジン』。静かな曲です。ジョンは「想像してごらんよ」と歌います。天国や地獄も、国境も、宗教も、個人の富さえも放棄した世界をと。誰もがそういうものに寄りかかって生きているこの時代にです。それでもジョンは続けます。「みんなが平和に暮らしている姿を想像してごらんよ」と。ベトナム和平協定が調印されたのはその二年ほど後のことでした。

『イマジン』は平和を提案しています。でもそれは甘美な映画のラストシーンを夢見るような歌ではありません。やんわりとではありますが、わたしたちが大事に抱え込んでいるもののことを忘れて平和について考えてみないかと迫っているわけです。平和を願ってここまでのスケールの歌はありませんでした。残念ですけど、そこまで歌わなければ済まない時代になってしまったのでしょう。

海の向こうでは三十年も前のこの歌を放送してはイカンとか、いやそうじゃないとかモメているみたいです。歌の解釈は人それぞれですが、「正義」の名のもとに行われる戦争に水をさすような音楽はヨロシクナイってことなのでしょうか。この歌にはそれだけの潜在的な力があるのかもしれません。

感傷的な恋の歌やノリで押し切るロックンロールだって歌ったジョンですから、ゆったりとした「愛と平和」の歌がいっそう力強く響きます。『イマジン』に何ができるのかはわかりません。でも、たくさんの人の心を癒し、勇気を与え続けてきたことも確かなのです。たった三分間の音楽なんですけど。

2001.10.18  (c) Mitsuru Iwasaki

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