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金屏風の話とか 】 2005/10/23(日)
これは全面に金箔を貼った「金屏風」というもので虫干しをしているところ。たまにはこうしてやらないと工芸品としての良好な状態が保てないのだそうです。狭い部屋で広げてみました。
「なんでそんなモノもってるの?」とお思いでしょう。貰ったのです。正確にいうと相続したもので、今年の春まで実家に置いてありました。所有者があの世にいってしまって三年が経つ。いつまでも放置しておくわけにはいかず、ほかに置き場所もないというのでわたしのところに。
屏風は、普段は折り畳んだ状態で桐の箱に入っています。箱は180×75×25センチとビッグサイズ。ハッキリ言って場所をとるだけの迷惑な大きさで重量もかなりのもの。くれると言われてもあまり嬉しくありませんでした。古物商を呼んで相談をしてみたが買い取りは拒否される。バブル期ならいざしらず、現在こうした工芸品は買い手を探すのが難しいのだそうで。それなら粗大ゴミにでもするかというと、それはできない。草葉の陰ですすり泣く声が聞こえます。
たとえ売ることはできなくても値打ちというのは気になるところ。値段をつけるとしたらいくらなの?と知りたくなるのが小市民で、もちろん当方もそれ。この屏風は昭和の時代の製品らしく付加価値、つまりプレミアは一切つきません。
古物商が評価額とその算出方法を教えてくれました。まず屏風全体に使用されている金箔の枚数を数える。それに箔一枚当りの単価を掛ける。さらにその枚数から箔を貼る職人の作業日数を割り出して彼の日当を加えるというものです。値段は故人が購入した際の半額以下でした。
職人の手間を屏風の価値に含めるのはナットクです。わたし程度の乏しい経験からしても、このサイズの屏風本体に貴重な金箔を貼っていく作業の難しさはわかる。軽く鼻息がかかってもシワの寄るほど繊細な素材を扱う手仕事。それを何百回とくり返して完璧に仕上げたところで誰も褒めてくれることなどない地味〜な作業。こういう仕事こそキッチリと数字で評価されるべきなのです。人の手の加わっていない工芸品などあるはずはなく、その成立と存在を支えてきたのはわたしたち人間の側なのですから。でも、この意識はときどき肥大化しますね。「オレのものなんだから絶対に触るなよ!」とかいう気分になったりするわけで。
それにしても、なぜこんなものが実家にあったのか見当がつきません。どこかのお坊さんから譲り受けたものとまではわかっています。でも何のために?
まさか宴会場でも経営するつもりだったの? とか。
死んだ人の考えていたことは本当にわからない。わからないけれど、この屏風が今わたしのとこにあるのは事実。わたしには以前からこういう物とそれにまつわる仕事へのつよい関心がありました。今では箔という素材を使って実際に絵画まで制作している。ですから、行き場のない屏風が転がり込んでくるという展開は「縁」であったとしか言い様がありません。今後の成り行きとしては“興にまかせて思わず屏風に絵を描いてしまう”というセンも浮上します。が、果してそこまでしていいものか。ヘタに絵など描いたら即刻「評価額ゼロ」が確定!
草葉の陰から抗議の声があがります。
今回の虫干しで屏風の全体を初めて眺めました。金という素材のもつ豊かな表情を寡黙な職人の仕事が支えています。屏風自体は決して発光しない。降り注ぐ光を反射させているだけ。にもかかわらず、じつに美しいものです。もちろん無傷。良いものを遺してくれたと感謝しつつも‥‥‥捨てることも売ることもできない、絵を描くのだって許されないこの屏風を、いったいどうしろというのでしょう???
「私論・画論 ときどき思考」。身近なところでネタを探して気楽に書いていこうかと。守備範囲が相変わらずなのはゴメンナサイです。でも、ちゃんと更新しますよ。
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