「大回顧展 モネ」カタログ
「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像」カタログ

11 【 変化してきたのか、美術展 ?(1)】   2007/06/28(木)

〜「大回顧展 モネ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」を観て

 

この二か月ほどは比較的のんびりと過ごしていましたね。 美術展については4月に「大回顧展 モネ」が開幕したときに内覧会で拝見したのと、5月末に「レオナルド・ダ・ヴィンチ─天才の実像」に行っただけ。それだけでした。

でも、この二つの美術展がけっこう面白かったですよ。展覧会の組み立て方とか展示の見せ方のことですけど、どちらもひと工夫がしてあって新鮮でした。

 

モネ回顧展の会場は今話題の国立新美術館。新しい美術館だけに何か面白いことをやってくれそうな予感がありました。でも、モネは日本で非常に人気のある画家ですからね、国内にも素晴らしい作品がたくさんありますし、過去には名作も来日しています。だから、今回の展覧会もそういう蓄積を踏まえた集大成みたいな感じになってしまうのかな……とか、余計な心配までしながら会場に入りました。

べつにモネの作品がつまらなかったとか、決してそういうことではないんですけど、ホンネをお話しますと、この展覧会が面白いと思ったのはモネの作品そのものではなくて、それ以外の部分なんですよ。

 

「えっ、なんで現代美術が並んでいるの! モネの回顧展じゃなかったの?」一瞬、そんなふうに驚いてしまいましたけど、じつはこの展覧会はモネの作品と、その影響を受けた内外の現代美術の作家たちの作品を展示するという二部構成になっているんですね。

展示室の中央部分には現代美術の作品を並べた小部屋(ブース)がつらなっていて、これが第2部の「モネの遺産」のセクションになっています。ジョルジュ・スーラやピエール・ボナールのようにモネと同時代の画家の作品も並んでいましたが、大半は美術史上の区分でいうところの「現代美術」の作品です。会場は、その小部屋を取り巻くようにしてモネの作品が展示されているというつくりです。

ちなみにモネは「近代美術」を代表する画家のひとりですけど、その回顧展で「現代美術」の作品が同時に並ぶのはけっこうインパクトがあって凄いことだと思うんですよ。

「近代」と「現代」は歴史上では一応つながっていますけど、美術史研究の分野としては別個のものですからね。研究者の守備範囲はきっちりと分かれているでしょうし、「近代美術館」「現代美術館」のように展示・開催のための会場までが区別されたりするものです。そういうスケールをもった内容を「モネ」というテーマで括って二つの時代を横断するような企画に仕立てているわけです。

今回展示されているモネの作品については、それだけでも充分な質と量がありますから回顧展として必要なレベルを充分にクリアしていますね。面白いのは、その「モネ」というビッグネームの力を借りて「近代」からはみだしたプラスアルファの部分まで見せてしまおうという試みでした。

 

実際の会場には一応の順路がありましたけど、わたしはモネの絵を見ながら、ときどき小部屋のほうを覗き込んだりして現代美術の作品を見ましたね。かなり好き勝手に歩き回るような感じで。会場の構造からして第1部と第2部が普通の美術展のように一本の順路で強制的にリンクしているわけではないので、そういう自由な見方が可能でした。

入館者の行動にもある程度まで選択の自由があるということ。この展示の仕方もけっこう思い切ったものだと思います。現代美術がちょっと苦手、という人には軽くスルーもOKということなのでしょうか(?)、美術展は“我慢大会”ではありませんしね!……というのは冗談です(笑)。でも皮肉なことに、そう思わせてしまうほど一般の美術ファンと現代美術との間には距離があるんですよね。

会場に足を運んた鑑賞者の大半は、おそらくモネの作品を目当てに来館していますよ。――「おそらく」じやなくて「間違いなく」かもしれませんけど。そのお客さんたちは小部屋に並んだ、例えばロバート・モリスやサイ・トゥオンブリーの作品を見てどんなことを感じるのかな‥‥‥とか、かなり興味があります。なにしろ、ぱっと見ただけではモネとは似ても似つかない作品ばかりが並んでいるわけですから、「影響」と言われてもすぐにはピンとこないでしょうしね。

「モネの遺産」のページ(カタログ)

もちろん、展覧会としてはその部分もきちんと組み立てられています。モネの没年は1926年。時代区分からいっても現代美術の歴史とかぶっています。絶妙のタイミングで時代をまたぎましたね。現代の作家たちが、その作品からヒントを得たり参照したりというのは当然のように起きたでしょう。この第二部ではそこを抽出してみせてくれます。

現代美術のすべてがモネの影響を受けているわけではありませんけど、少なくてもこういう系譜もあることを具体的に示すことで、モネ作品(あるいは印象派)の本質的な要素をあぶりだすことができますよね。それと同時に、一般に“難解”とされてきた現代美術を読み解くヒントの一つを提供することにもなりそうです。

一言で言うと、例えば「渾沌」のような“負のイメージ”でひとまとめにして語られがちだった現代美術を「モネ」というキーワードでわかりやすくしている――この展覧会が成し遂げようとしている最も意欲的な部分だと思います。単に日本で大人気のモネ作品を提供するだけでなく、こういう意図まで潜ませた企画ではなかったでしょうか。

 

とにかく、美術展を通しての情報提供という意味で、このコンテンポラリー・アートについての部分がおそろしく立ち遅れていましたよね。近年は現代美術を専門に扱う美術館も増えてきて実物に接する機会も多くなりました。でも、その内容が一般にどこまで浸透しているのかといえば、ハッキリ言って絶望的(?)な状態に近かったでしょう。まあ、もともとこういう新しい美術を受け入れる土壌がこの国で形成されてこなかったわけですから当然といえば当然なんでしょうけど。

実は今回のモネ展で展示されている現代の作家たちにしても、かなり以前から日本に紹介されていきいるんですね。わたしが記憶している範囲でも1960年代の後半から70年代にかけてですから、もう40年も前のことです。主に一部の私立美術館やギャラリー、それと美術雑誌が意欲的に取り組んでいましたし、70年代のはじめには複数の出版社から現代美術を紹介するシリーズものの画集も相次いで刊行されました。

当時こういう美術を支持していたのは実際に創作活動をする人や研究者を含めたマニアックなファンだけです。それでも、これだけ各媒体が煽るのだから、いよいよ一般に浸透する時代がくるのか(!)なんて思っていました。実際には全然そんなことはありませんでしたけどね。(笑)

冷静に振り返れば、難解な美術評論や文字情報だけが一人歩きをしている――そういう時代だったと思います。いくら騒ぎ立てたところで巷に実物がなくては浸透するわけがありませんからね。最後の砦だった熱心な美術ファンにしても離れていくしかなかったでしょう。一方の美術展業界といえば、「これを展示して採算が取れるのか」という経済観念が支配的だったのではないでしょうか。一部の“確信犯”的な美術館は別にして、とくに公立の施設は現代美術という未明の価値を抱えて苦慮していたのかもしれません。

 

やはり優れた美術展に必要なのは企画者の能力(&勇気)とスポンサーの理解、それに開催する美術館の度量ということでしょうか。公立の美術館は“貸し画廊”ではありませんので、今後の展望を含めた意味でもハイレベルな企画を期待しています。その点で、この展覧会には納得できました。

今回の会場に並べられたジャクソン・ポロックやジョセフ・アルバースといった画家たちは40年前でも一応は“巨匠”の扱いを受けていました。サム・フランシスにしてもスターでしたね。でも、その彼らがモネと同等のポジションを与えられ、同じ文脈のなかでスポットを浴びるような機会が……さて、どれだけあったでしょう。美術展を取り巻く環境も「成熟」に向っているのかな、という感慨があります。

 

 

「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」については、この続きということで近々書きたいと思っています。


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