■1970年代〜80年代前半の美術展図録

上左:JARANESE ARTISTS IN THE AMERICAS( 京都国立近代美術館、東京国立近代美術館 1973,1974 )

上右:アメリカ現代美術の巨匠たち――抽象表現主義の形成期 '35―'49展( 西武美術館 1978 )

下左:イタリア・ルネッサンス美術展( 国立西洋美術館 1980 )

下右:ジャン・デュビュッフェ展( 西武美術館 1982 )

15 【 カタログ夜話 (3)】   2007/11/03(土)

 

もう11月ですか。今年は展覧会に行く機会が少なかったですね。とくに忙しかったわけではありませんけど、何でもどんどん見て吸収してやろう、みたいなのはもう「卒業」にしたい感じもありましたし。まあ、これは巡り合わせみたいなものでしょうか。

じつはつい先日、ある美術展を見てきたばかりなんです。でもその時は、見るか見ないかで少し迷ったんですよ。イヤな予感がしながらも結局は「後学のために」とかのテキトーな理由をつけて出かけてしまいました。

平日にもかかわらず凄い人気の展覧会でしたよ。でも、やっぱりダメでした。気持ちがそちらに向いていないのに身体だけ会場に運んだってなんにもなりません。そんな状態で見ても得るものなんて無いということ。

よ〜く考えてみると、そもそも「勉強のために」とか理由をつけて行くのがかなり怪し気な状況でしたね。こういう“ぬるさ”をいまだに抱えている自分にガッカリです。

それで、カタログですか? 大型のサイズで、それほど分厚くもありませんでしたね。「3000円」の販売価格を見て“微妙な値段をつけるなぁ……”って感心しただけです。見本には触りもしませんでした。

 

 Les noirs de Redon (ルドンの黒)
カタログ( 2007年 )

明るい話をしなくてはいけませんね。暑かった今年の夏の思い出をひとつ。

8月にBunkamura ザ・ミュージアムで観た展覧会〈Les noirs de Redon (ルドンの黒)〉はモノクロの版画を中心にした展示でした。これは気分がよかったですよ。「気分のよさ」には、この画家が好きなのと会場の美術館が好きなのと両方があるんですけどね。

Bunkamuraは渋谷にあります。駅周辺の繁華街にあるので必ずしも広大な展示スペースが確保されているわけではありません。でも、そこが逆にメリットにもなっていて、疲れなくていいんですよ。

もちろんラクだからだけではなく、近・現代を軸にしてスッキリとまとめた企画が多いですしね。展示内容に物足りなさを感じたことはありません。比較的短時間で充実した鑑賞が可能という都市型美術館の好例だと思います。

入場料金が若干低め(?)に設定されていたり、リピーターのために料金面での優遇措置を提案したりしているところにも好感がもてますね。「ウェルカムの姿勢」みたいなものを感じるんですよ、この美術館には。

 

それでルドンですけど、個人的には、この人の表現手段の使い分けに関心があります。一人の画家の作品のなかに、モノクロで追求する素描・版画の分野とパステルや油彩でつくるカラー作品の二つの世界がある。どちらが主でもなく、二つを同時に極めることのできたスケールの大きさですかね。

現実の話として、タブローを描く画家が版画制作をするのは珍しくないです。でも、言っていいでしょうかね……余技であったり片手間の感じがするものなんですよ。しかしルドンは違う。カラー作品のついでに量産可能な単色版画でラクな商売をしようなんて魂胆はなかった……まあ、ちょっとくらいはあったかもしれませんけど(笑)。

色彩表現でいえば、モノクロとカラーは対極に位置しますね。その両極にまたがり屹立する画家のアタマのなかはどんなふうになっていたのか?――このあたりの興味は尽きません。会場では順路の途中と最後に油彩やパステルによるカラー作品が置かれていました。モノクロ版画の連続のなかの適切なアクセントになっていましたし、その発色の強さが「ルドンの黒」の深さを際立たせていましたね。

 

この展覧会のカタログは喜んで買いました。ほぼB5判に近いコンパクトサイズで、155ページと比較的薄めの冊子です。

近ごろの大規模な美術展でお馴染みの、大型で分厚いカタログに慣れた目からすると拍子抜けしそうなコンパクトサイズということになりますね。でも、わたしには全く違和感がないんですよ。というのも、かつて図録といえば“展覧会の規模にかかわらず”およそこういうものでしたから。持ち運びが簡単で保存にも場所をとらない、それがカタログの常識でした。

上の大きな写真は昔の美術展のカタログを並べたものです。1970年代から80年代にかけての、わずかに4つの例だけですけど、変型判も含めてサイズ(表紙の面積)はA4〜B5判あたりにおさまっています。まあ、上手くすればカバンにも入りましたし、手に持っても負担を感じるようなものではありませんでした。それでいて中身は充実。何の不足もありませんでしたよ。

〈Les noirs de Redon (ルドンの黒)〉のカタログは、あの頃のカタログを思い出させて、どこか懐かしいような――それゆえにかえって新鮮な感じさえするコンパクトなものです。

現在でも、展覧会の規模によっては小さめのカタログは普通に存在しますが、こちらは「巨匠ルドン」の図録ですからね。サイズの大きさや派手さを競う今どきの大型カタログとは一線を画した世界といっていいかもしれません。「2000円」という販売価格も購入者にとっては適正価格の範囲だと思います。

 

 「レオノール・フィニ展」カタログ
( 2005年 )

じつはここに、もう1冊、同じくBunkamura ザ・ミュージアムで2年前に開催された展覧会のカタログがあります。サイズは前出のルドンのものと同じ、ページ数もほぼ同じ。正確な値段が思い出せませんが高いものではなかったと記憶しています。

2冊のカタログがほぼ同様のフォーマットで製作され、同様の価格で販売されているということは、そこに主催者の意向が反映されていると受け取っていいのでしょうね。

両方を通覧、通読して思うのは、図版のサイズとレイアウト、そして解説を含めたテキストの難易度と分量がほどよくセーブされているということ――つまり紙面の無駄を省き、一般に難解で冗長(?)になりがちなテキスト部分が慎重に吟味されているということです。その結果、シンプルにして適正価格の冊子が実現していると感じます。

おそらくは、基本的な方針として、購入者に様々な意味での負担を強いないようにとの配慮がなされているのではないでしょうか。コンパクトで、安くて、わかりやすいカタログは、わたしたち鑑賞者には「ウェルカムの姿勢」と映るんですね。

 

そういえば、テキスト、図版、資料という図録構成の基本は何十年も前から一つも変化していないんですね。なのになぜ大型化していったのか。それが販売価格にはねかえって、すでに数千円という値段も特別なものではなくなっているようですし……。まさか「美術展が気軽に楽しめる時代は終ったのだ!」なんてことはないでしょうね???

以前にもお話したように、カタログの使命は展覧会の忠実な記録と鑑賞者の思い出に貢献することだと思っています。たしかにその要件の一部は満たされてきているとは感じます。でも一方で、マイナスの部分も鮮明になってしまったとは思いませんか? ひとことで言うと「デカイ、タカイ、ムズカシイ」っていうことなんですけど……。

 

 「ドイツ美術展――中世から近世へ」
カタログ( 国立西洋美術館 1984年 )

そうそう、どこまで小さいカタログが存在するのかと思って探してみたら、こんなものが出てきました。

「ドイツ美術展――中世から近世へ」カタログ( 国立西洋美術館 1984年 )。

サイズは縦24×横13.3センチ。ちょっと大きめの手帳、といった感じでしょうか。画廊などが発行する図録にはもっと小さなものがいくらもありますけど、美術館のものとしては、わたしの所有するなかでおそらく最小です。でも、展覧会としては立派なもので、国立西洋美術館の昭和59年度特別展でしたよ。

小さいなりにレイアウトや編集に工夫が凝らしてあって想像以上に読みやすい冊子です。ルーカス・クラナッハ(父)の板絵の輝きは、小さな図版からでもまざまざと思い起こすことができました。

こういう図録を眺めていると、カタログサイズの大型化にいったいどんな意味があったのだろう、ってホントに考え込んでしまいますね。


先月は更新できなくて申し訳ありませんでした。今月はもう一度UPする予定です。


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