エドワルド・ムンク展( 1970年 神奈川県立近代美術館 他)カタログ / ムンク展( 2007年 国立西洋美術館 )カタログ

17 【 カタログ夜話 (5)】   2008/01/01(火)

 

美術展のカタログについて日頃思うこと……というか、この三十何年かのあいだに蓄積した感想をお聞きいただきました。あまりダラダラと続けるのもどうかと思い、一応は今回でおしまいにということに。

最終回は、ふたつのムンク展のカタログを並べてみました。1970年に開催された「エドワルド・ムンク展」のものと、現在、国立西洋美術館で開催されている「ムンク展」(2008年1月6日まで開催)の図録です。この2冊が、現在、わたしのもっている一番古いカタログと最新のものということになります。図らずも同じ「ムンク展」なんですね。こういう組み合わせも面白いかなと思って取り上げてみることにしました。

 

白状しますと、じつはムンクについてあまり詳しくないんですね。オリジナルの作品に接したのは今回を含めてわずか2度の展覧会だけ。市販の画集にしても、かつて1冊を買ったことがあるくらいです……その1冊も紛失してしまいましたし。1970年の「ムンク展」以降、この画家を扱った美術展が何度か開催されていますけど、そちらも全く見ていません。

なぜ30年以上のブランクがあったのかと考えてみました。たぶん、この画家の作品が苦手だったのではないかと思います。好きとか嫌いとかではないんですよ。とにかく避けたかったという感じですね。

《叫び》
1970年「エドワルド・ムンク展」カタログより

その昔、高校生のときに見たムンク展(1970年)が衝撃的すぎました。

生きていること喜びの裏側には、ほぼ間違いなく根源的な「不安」や「恐怖」みたいなものが貼り付いている――ナマイキながら、そういうことは少年の頃からわかっているつもりでした。でも、目の前のムンクの絵にはそれがそのまま具体的に描かれているわけですよね……。

やっぱり純朴な(?)少年には“重たすぎる世界”でした。いくつかの作品の題材になっていた「嫉妬」や「エロス」にしても、それが人間の真実の一部だとは理解できる。でも実感をともなわない認識なら、どこまでいっても脳内の出来事ですからね。結局は人間の抱える“毒”の部分としか映らなかったのでしょう。

でも時間がたちました。「不安」や「恐怖」なんてものはその後の人生でイヤというほど味わいましたし、今ではリアルタイムで「老い」まで体験しています。その行き着く先にある「死」だって、かすかにカウントダウンの音が聞こえるようになりましたからね。

つまり、すべてに慣れたし、かなりの精度で実感できるようになったということです。そんなわけで、もうこの画家を忌避する理由がなくなりました。ただし!「エロス」についてだけは、まだちょっと経験が足りないかもしれませんけど(笑)。

 

今回のムンク展は、この画家が考えていた絵画の連作による装飾計画(実現し成功したものも、そうでなかったものもあるようですが)を軸にして展覧会を構成するというもので、興味深くハイレベルな内容と感じました。

どのあたりがハイレベルかというと、個人的には、絵画作品について単品ではなく「群れ(連作)」として受け止めることを鑑賞者に求めるようなつくりの美術展に思えたということでしょうか。もちろん実際の鑑賞行為は個々の作品を見ていくわけで、それだけでも充実感は味わうことができますけど、その上で、さらにセクションや連作ごとにムンクの思い描いたプランの総体を受容してください、ということだったと思います。

一般に美術展の会場では、入場者は人の波に飲み込まれ順路にそって流されているだけの場合も多いですからね。鑑賞の基本はあくまでも“作品と一対一”であるにしても、展示の全体を取り込むことに慣れない眼には新鮮な課題を提供していたかもしれません。美術展は深くなったんですね。

 

せっかくムンクのカタログを並べてみたので、過去(1970年以前)の作品紹介の歴史についても少しだけふれてみます。

1961年には国立西洋美術館で「ムンク版画展」が開催されていますね。ただし当時の西洋美術館では、必ずしもすべての展覧会について図録を製作していたというわけではないそうで、この版画展のカタログは存在しないようです。

それに先駆けてムンクに関する展示があったのかどうかわかりませんけど、70年のカタログに掲載された参考文献の一覧を見ると国内での展覧会資料が見当たりません。ということは、やはり61年、70年あたりがムンク作品の実物が本格的に紹介されたスタート地点なのでしょうか。

もっとも雑誌等では明治の頃から複製とともに紹介されてきたようで、例えば『白樺』の明治44年2月号には武者小路実篤が「エドヴァルト・ムンヒ」を寄稿しています。でも、なんてったって「ムンヒ(!)」ですからね。呼称統一のような基本事項まで含めて、この40年あまりの期間に開催された美術展がムンク芸術を一般に浸透させていったわけでしょうね。

 

それでカタログの話に戻りますけど、今回の図録の販売価格は2800円でした。いつも値段のことばかり言うと思われるかもしれませんね。でも、美術展を一過性のイベントにしたくなければカタログの購入は考慮しなければならないでしょう(?)。入場料金にカタログ価格を加えたものが鑑賞者にとっての実質的な“展覧会の値段”と考えていいのではないでしょうか。

“巨匠ムンク”の展覧会ですから、仮に価格を3000円に設定したとしても一定以上の部数は売り上げるだろうと想像します。でも、そこを2800円にするところが主催者の努力なんでしょうね。

カタログの外観については、本体は通常の冊子で、その表紙の上に薄くて透明な樹脂板がかぶせてあります。タイトルロゴや筆記文字などの白い部分は樹脂板に直接プリント。このカバー兼用の透明シートがカタログとしては珍しいかもしれません。実際に手に取ってみてもとくに違和感はなく、むしろ触感は良好。

肝心のカタログサイズですけど、1970年のムンク展のものと比べてもわずかに大きいほどで、決して大型というのではありません。本棚にもスンナリと入るミドルサイズといった感じ。掲載図版の大きさもとくに不満を感じませんし、全体として好ましい大きさではないかと思います。

 

《 橋の上の女性たち 》( The Ladies on the Bridge )
―― 左ページ   
2007年「ムンク展 」カタログ

《 波止場の女たち 》( WEMEN ON THE QUAY )
1970年「エドワルド・ムンク展 」カタログ

ところで、この2冊のカタログを眺めていて気がついたことがあるんですね。

今回の会場でもとくに鮮やかな色彩が際立っていた《 橋の上の女性たち 》という名品(ムンク美術館所蔵)があります。この作品は37年前のムンク展にも(題名は微妙に違っていますが)来日しているんですね。それで、そのカタログ上での図版のサイズの違いのことなんですよ。

右の2枚の写真(上下)は、ふたつのカタログの大きさの違いを再現できるように等距離で撮影してあります。図版の大小関係もそのまま再現されていますね。

ふたつの図版を比べてみていかがでしょうか? サイズのわずかに小さい70年の「エドワルド・ムンク展 」カタログ(下)の作品図版のほうがひとまわり大きいことに気づかれると思います。

カタログサイズと図版の大きさとのあいだに微妙な逆転現象が起きているわけですね。もちろん、図版が大きいから良いとか良くないとか、そんなことを言おうとしているのではありませんよ。

今回のムンク展カタログ(上)の図版サイズについては、図版ページにテキストを組み込むケースも可とした編集方針から導き出されているわけですよね。サイズ的にも不足はありませんし。

なにか「レイアウト論」のようになってしまいますけど、要するに、ある程度まで限定された判型・サイズのなかでも多様な演出が可能である、ということを言いたいんです。

これは、今までくり返してお話してきた“カタログの大型化に、いったいどんな意味があるのか?”という問いに呼応していると思いました。たまたま今回のカタログのなかに好例を見つけたということです。

 

わたし自身がグラフィックデザインと出版の分野をわずかに経験していますので、例えば複製印刷の課題だとか、お話し申し上げたいことはまだまだたくさんありますけど、制作の現場で担当される皆さんは充分ご存知なわけですよね。

それでも、もう一度だけくり返させていただきたいことがありまして……。それは、やはり“一般向けとしては難しすぎるテキスト”ということです。たしかに展覧会の意義・趣旨を専門家と後世の人びとのために詳細に記しておくという意味では高度で難解な文章も容認できるのかもしれません。しかし、それを参照する人たちがごく少数でしかないこともわかっているわけですよね。

いつも思うのは、一般のファンのための、もっと読みやすい普及版カタログは作れないのかとか、論考の部分は別冊・別売にしてもいいのではないかとか、そういうことです。美術展の運営を入場料とカタログ代でサポートする多くの人たちにフィットする図録が存在しにくいという現実は、やはり看過できないのではないでしょうか。

じつは、わたしの若い友人たちには美術展の好きな人が多いんですよ。でも彼らがいつもカタログを買っているかというと、そうではないんですね。理由を尋ねてみると、つまりは「絵の複製は欲しいけれど、読んでもわからない本を買うのは納得できない」というわけ。残念ながら拒否反応ですし、きっと疎外感だってあるでしょう。

 

そういう現状の一方で、「展覧会の内容も含めて、もっと敷居を低くするべきだ」と主張する専門家もいます。また編集サイドにしてもコラムやインタビューのような柔らかい部分を増やす工夫をすることが多くなりましたね。それと何よりも、一般の読者を意識する執筆者が増えてきたと感じています。

だから、まったく希望がないわけではないのでしょう。いや、むしろ将来を見据えれば“希望はある”と予想するのが正しいかもしれません。それは、もしかしてすでに本格的な検討が始められているかもしれない、そしていずれは必ずやってくるであろう“デジタルカタログの時代”みたいなものなんでしょうけど。

詳細は知りませんが、すでに一部では展覧会の公式DVDカタログが発行されたこともあるようですしね。もしその時代が到来すれば、テキスト自体のあり方も映像に則したスタイルが求められて根本的に見直されることでしょう。美術展事業の本質にかかわる「大改編」ですよね。……そのドラマチックな展開を夢にでもみながら今夜は眠ることにしましょうか。折しも元旦ですから「初夢」ということにでもして。


(C) 2008 Mitsuru Iwasaki
画像およびテキストの無断転載等を禁止します