4 【 ラ・トゥール展残照】 2005/12/26(月)


国立西洋美術館前のこの夜景は、今年の5月末、ラ・トゥール展終了直前に撮影したものです。デジカメをもって上野公園に出かけたのが、たしか日曜日だったような‥‥‥

ラ・トゥール展総括特集「ラ・トゥール展が遺したもの」のタイトルバックに使うための夜景を撮影したかったのです。ラ・トゥールとくれば夜の情景がお馴染み。それで特集の扉も夜景でいこうと。でもライトアップされた看板の前にはなぜか大型バイクが‥‥‥。

 「なんでこんなところにバイクなんかとめるんだろう!!!」
 
 「公園内は駐車禁止とかじゃないの〜〜」

そんなことを言い合いながら高橋君と二人がかりで大きな鉄のカタマリを移動。かなりの重量でしたが、展覧会が成功したのですから気分は軽やかなものでした。

日本初のラ・トゥール展はどんなふうにしてつくられた展覧会だったのか。会場を訪れた人々はこの「神秘の画家」をどのように観たのか。そうした内容を盛り込んだ展覧会の記録をネットに残したい――その思いはラ・トゥール展企画者の高橋明也君(国立西洋美術館主任研究官)も同じでした。

こういうものは「旬」のうちに公開しなくては意味がない!と宣言して作業開始。特集が完成するまでの1ヵ月間は楽しいのか、それともハードなのかよくわからない毎日が続いたのです(笑)。

 

この一年間を振り返ってみると我ながら驚いてしまいます。1〜2月はインタヴュー記事「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を語る」の作成。3〜5月の会期中はネット上の目立たないところでコツコツとPR活動を。そして展覧会終了後は総括特集というふうに、なんだかんだで半年以上もこの展覧会にかかわっていたのですから。

一連の行動はこれをしたからといっておカネになるとかではない、「ラ・トゥール展私設応援団」としてのものです。モチベーションの根底にはフレンドシップがあったわけですが、もちろんそれだけではありません。

美術ファンなら当然のごとく誰でも知っているはずのラ・トゥールという画家の名前が、一般にはほとんど知られていないという現実。熱心なファンはともかくとして、その「(日本では)無名な画家」のままで放っておけばラ・トゥール展は大方の人にとって一過性の美術イベントとして見過ごされてしまう可能性があったのです。

その懸念は高橋君自身も抱いていたはずですし、だから彼は見えないところで、静かに、全力で闘っていました。その情熱が周囲の人たちを動かしたのでしょう。「ラ・トゥール展私設応援団」にはさまざまな分野の人がいました。良いものは良いのだと伝えなくてはならない、という気持ちが皆さんの背中を押していたと思います。

 

 

ラ・トゥール作品と今回の展覧会について、少しだけ踏み込んだお話をさせていただこうかと思います。

ラ・トゥール展開催直前に制作した「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を語る」の記事はインタヴューの形式をとっていますが、この画家について幅広い層に関心をもっていただき展覧会場に足を運んでもらう目的でつくりました。美術展は「事業」なわけですから画家の知名度に応じて予算が組まれる。もしゴッホやピカソの展覧会であれば派手なテレビCMをどんどん流すこともできたはず。それができないから〜ということでした。「記事を読んで興味をもった。それで展覧会に行った」というメールを頂戴したときはホントに嬉しかったですね。

でも、インタヴューが単なるインフォメーションにとどまるのではこちらとしても物足りません。そこで、日頃思うこと、聞きたいことについてきっちりとツッコミを入れさせてもらいました。

ラ・トゥール作品のなかに「神の存在を見る必要はないのではないか」という問いがその核心部分です。主に宗教主題を扱ったラ・トゥール作品について、神の存在を否定するようなこんな発言はケシカランと思われるかもしれません。実際にラ・トゥール展会場では(シスターとお呼びするのでしょうか?)僧衣姿の女性も見かけましたし、おそらく多くの観衆が(キリスト教的な)聖なるものを期待して足を運んだことでしょう。

しかしすべてがそうであるかといえば、それはないと思います。信仰をもたない人、神の概念を受け入れない人はこの世にいくらでもいるわけですから。その人たちにとってのラ・トゥール芸術とは何なのか、という問いかけでした。逆に言えば、この神秘の画家の作品にはそういう人たちにまで訴えかける何かがあると思っているのです。ラ・トゥールのつくりだした光と闇の造形は、それが描かれた当時の思想的背景を離れてもなお輝きを失うことのないものではないでしょうか。

「むしろ神ではない何か」「より汎神論的な、もっと超自然的なもの」が見えるのというのが美術史家・高橋明也氏の解答でした。この答えは、中世から近代にかけての過渡期に描かれた宗教主題の作品に、果してどこまで「聖なるもの」が反映されているのか、というわたしの疑問に答えてくれるものでした。そして、ラ・トゥール作品については、観る側の立場や時代によっては本来の制作意図とは異なった次元で見えてくるものがあるという認識を示すものです。「たぶん、多義的な宗教主題の作品である」という言葉は深いところを語っているように思えます。

ところで、その後の彼がこうした見解をどのように話すのかには注目していました。彼は4月に出演したラジオ番組「ラジオ深夜便」の“絵を語る”のコーナーではそのことについてふれていません。そして5月のNHK「新日曜美術館」でも同じく。

最初は「なぜだろう?」と思いました。しかし少し考えてみるとわかるような気がします。多くの観衆がラ・トゥール作品のなかにキリスト教的な聖なるものを求めているのに、あえて公共の放送で“非キリスト教的なものまでが見えますね”と語る理由はないのです。研究者としてはさまざまな見解があるにしても、彼は何よりもまずこの展覧会を主催する美術館人でした。

わたしの知る限り、一般向けにそれが語られたのは会期末に開催されたミュージアムコンサート「ラ・トゥールの聴いた響きを求めて」の会場でのことです。コンサート開始前に限定100名の入場者を対象としたギャラリートークがありました。その解説に耳を傾けていると《聖ヨセフの夢》の絵の前で彼の口から「アニミズム」という言葉が出たのです。

わたしはその一言で納得しました。ホームとアウェイの違いとも受け取れますが、「まずは美術館にきてください、そしてご自身の目で確かめてみてください」ということのようです。それが美術館人の倫理というものでしょう。

 

ラ・トゥール展の会場に何度も通って旧友と語り合った時間は楽しいものでした。とりわけ撮影目的で無人の館内に幾度か立つことができたのは生涯忘れることのない思い出となるはずです。今では、その感動からいくつかの言葉や作品が生まれてくるのではないかとの期待感もあります。これからの楽しみはそれなのです。

 

 

「ラ・トゥール展をありがとう。そして、お疲れさまでしたっ!」

 


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