|
9 【美術展二題】 2006/08/30(水)
夏休みでしたからね、どこの美術館も家族連れで込み合っていたのではないかと思います。
この8月は「ルーヴル美術館展」と「若冲と江戸絵画展」に行きました。会場はそれぞれ芸大美術館と東京国立博物館。どちらも台東区にあって、わたしも同じ台東区の住人です。なので、その気になればいつでも観られますから、あえてふたつ同時に見る必要はないと、それぞれ別の日に出かけました。
実際のところ、展覧会の掛け持ちって難しいですよね。こちらはそのためにわざわざ入場券を買うわけで、“とにかく何か吸収してやろう”みたいな意欲はある。そんな殊勝な心がけもあの人込みをハシゴしたら軽く吹き飛びますよ。なんてったって展示物よりも他人の後頭部を見ている時間の方が長かったりするわけですから。一日でふたつなんて、とてもじゃないけれど‥‥‥。
個人的に言うと、今回のように集客力のある展覧会の場合は一日でひとつが精一杯。近いところでは昨年暮れの「北斎展」の混雑が脳裏をよぎりますし、少し前だと「日本国宝展」(平成12年開催・東京国立博物館)の殺人的な人口密度を思い出します。
とくにあの国宝展の込み具合はひどいものでした。後方からの圧力で最前列のわたしが陳列ケースを突き破ってしまうのではないかと思うくらいで、あちこちから「あっ、ああっ‥‥‥」とか「うっ‥‥‥」なんて声が。べつに国宝に感動して声を出しているわけじゃないんですよ!(笑)
そんなわけで、美術展ひとつ見るにしても事前に入場券を入手して、入場規制にも引っ掛からないように朝イチのタイミングで出かけるなどして――つまり、それなりの準備と覚悟で挑むことにしているのです。
それでも今回の「ルーヴル美術館展」にはめげました。会期末ということもありましたが、階段を降りたところの狭い入場口には第一会場を見終えて退室する人と新たな入場者とが溢れています。さらにその人たちが逆方向に擦れあう場所でエレベーターに乗り上階の展示場へ移動するという順路なのです。
エレベーター脇では誘導の係員が何事もないような顔で移動方法の説明をくり返していましたけど、これって単なる“対処療法”ですよね。混雑の度合いは想定の範囲内にしても、現場処理で済まされる問題なのかと理解に苦しみます。“ルーヴル”の名を冠した展覧会なら企画の段階から予想できた事態だろうし、会場のキャパを考慮して作品選定やら順路の工夫ができたのでは‥‥‥と文句のひとつも思い浮かんだところであたりを見回して気がつきました。今は夏休みでした!
会場内の狭い通路では、小学生の女の子が展示物に背を向けて壁面にノートを押し当てながら日記を書いていました。そのお母さんは愛娘に作文の指導中ですからね! それと、貴重なギリシア彫刻の周りを走る子供の顔には、たしかに「退屈」と書いてありましたよ。
こんなふうに鑑賞者のマナーにも問題があったようで、とにかく展示に集中できずに、なんだかワケのわからないまま会場を後にした展覧会でした。いくつかの彫刻はイメージとして頭に残りましたけど、展示の内容はぜ〜んぜん憶えていません。残念ながらわたしの場合はですね、こういう展覧会は自動的に記憶から抹消されることになっています。
対照的に、と言っていいと思いますが「若冲と江戸絵画展」は楽しめました。「ルーヴル美術館展」と同じく大勢の入館者で一杯の展覧会であったにもかかわらず。(まあ、客層の違いはあったようですが。)
この展覧会はアメリカの「プライスコレクション」という江戸絵画コレクションの一部を借りてきたものだそうで、タイトルに「若冲」の名前は入っていますが、実質的には若冲を含む「江戸時代の絵画」の展示でした。広い会場で若冲作品は一室だけですから、この絵師を目当てに来館した人にはすこし物足りないところがあったかもしれません。でも、その不足をカバーしてくれる部分がちゃんとありましたね。
ご存知かとは思いますけど、会場の東京国立博物館・平成館は正面中央にエスカレーターがあって、二階に上がった左右のそれぞれが展示用のスペースというつくりになっています。展示の前半部分(左半分のスペース)は若冲の部屋をメインにした部屋割り。それを巡回してから中央のフリースペースを経て右半分の後半を観ます。そちらの中心になっていたのは照明を落として暗闇に近い部屋で絵を見せるというユニークな展示でした。
「果たして一部屋きりの若冲とその余韻だけでこの広い会場がもつのか」なんて心配は無用でしたね。後半部分にもちゃんと見せ場が用意されていたわけです。芝居でいうと暗転みたいなものでしょうか、展示室が左右に分断される場所で一度気分を切り替えさせておきながら、その先には驚くべき演出が仕掛けられているという。
とにかく、その暗い部屋がいいんです。満足な照明設備などなかった時代に、薄暗い屋内に置かれた絵画は一体どんなふうに見えていたのか。この感覚を体験してもらおうと個々の作品は特殊な照明装置のついたケースに納められています。
絵に降り注ぐ光の角度は上下左右からと刻々変していく。例えば、朝日が横から差し込む時間帯に、その絵がどんなふうに見えていたのかを具体的に教えてくれるのです。金地の屏風は、“光の海”が次々と変貌していくさまを浮び上がらせていましたね。ガラスケースを使わない展示方法も嬉しく、画面の微細な凹凸を目で追いながらナマの作品にふれる喜びを感じました。
もしかしてわたしたちは、美術館のなかで作品正面から当てられるフラットな光に慣れ過ぎてしまったのかもしれません。よく考えてみると、これは標本箱のなかの干涸びた昆虫を眺めるようなものであって、美術作品とそれが現役の鑑賞物として機能していた時代を振り返るときの自然な姿ではないような気がしてきます。
暗い部屋と照明のアイデアはプライスコレクションでの展示を参考にしながら実現したものだそうですが、それがこの日本で、しかも国立博物館で実現するとは思ってもみませんでした。素直に「やるじゃん、東博!」の気分です。
美術展の会場内での“居心地の良さ”について思いをめぐらせているわけですが、たぶん中身(企画)そのものの質と適切な展示環境の両方が必要なんでしょうね。そのどちらか一方だけではダメ。というか、今では中身と外側の一致しない美術展は観衆の支持を得られないのではないかと思います。
今回の「若冲展」にしても100点あまりの出品作のうち若冲の作品は1/5ほどです。主催が国立博物館なので、展覧会としての体裁を整えようとするなら所蔵の名品を交ぜ込むこともできたはずなのに、それはしないであえて実験的な試みを導入しているようです。美術作品の見え方・見せ方にこだわった展示は、美術館(博物館)の側から観客に歩み寄る姿勢を見せてくれたような気がして後味のよいものでした。
‥‥‥そうそう、思い出しましたね。たしか例の暗い部屋には四条派の画家・呉春の《柳下幽霊図》というのも展示されていました。リアルな描写が物凄く、闇の中に浮び上がる姿はかなりの迫力です。折しも季節は夏。ちょっとだけ“お化け屋敷モード”が入っていたかもしれません。
「若冲と江戸絵画展」に出かけた日は朝の9時過ぎから入館者の列。オープンは9:30。照りつける日ざしのなか、ついにイライラもピークに達するかと思われたその時「ただ今より開館いたします」の放送が。厳密にはまだ何分かあったような‥‥‥。“粋な計らい”だったのかも。
|