|
田中 ちょうどその頃でしたが、ついにパソコン普及時代が到来しました。当時で20万円くらい出せば、デジタルカメラが買えて本当にフィルムと遜色のない映像が撮れて、しかも家庭で編集ができてしまう時代になったんです。これはもう今しかないんじゃないかと。
―― ある意味で完璧にリセットができて映画学校にいた頃の心境に戻れたわけね。田中さんが今つくっているのは、そういうデジタル方式の映画ですね。
田中 そうです。
―― それは画質、その他の点でも劇場での上映に耐え得るものですよね。
田中 『スター・ウォーズ』なんかは完全にそのやり方ですよね。ただ、日本ではそのあたりに立ち後れている部分があって、製作者の側に「まだまだフィルムがいい」っていう感じがあると思います。おそらく9割くらいがまだフィルムで撮っていて、あとの1割が、これからはそういう時代になるからということでデジタルじゃないでしょうか。
―― その頃つくったのが「ハローワーク・フィルムス」という映像集団で、このネーミングにはもちろんギャグの意味も入っているんでしょう?
田中 そうですね。どういう名前にしようかと思った時に、自分が失業保険をもらっている最中だからそういう名前にしようと。いわゆる「インディーズ・ムービー(自主制作映画)」ですよね。
―― 映画製作の仕組みっていうと、まずプロデューサーがいてスポンサーを見つけてきて、実際に作品を作って配給元をみつける――みたいな感じでいいのかな。
そういう意味で言うと「インディーズ・ムービー」っていうのは、世の中にどういうかたちで存在していることになるんですか。
田中 パソコンが普及する前と、普及してからではかなり状況に差があるんですね。
普及する前は、いわゆるアナログの時代ですから、8ミリフィルムなりで撮影して、それを見てもらうために小さな小屋を借りて上映会をするというようなスタイルでした。僕が映画の学校に入った頃はその時代で、結局“お友達同志で見せ合いっこする”という状況でしたね。まさに「ひとりよがり」と言えなくもないですね。
―― その時代なりの良さというのはあった?
田中 その世界からメジャーの映画監督になるような人が彗星のごとく現れることが多かったですからね。森田芳光しかり、塚本晋也しかり……。いわゆる東宝とかの映画会社が監督を養成しなくなって、昭和40年代の後半あたりから新しい監督が出なくなりました。じゃあどこから出てきたかというと、自主制作映画、インディーズの分野から出てくるしかなかったんですね。
―― 自主制作映画が「映画監督」というソフトを供給する源だったんだ。それがデジタル時代になってどう変わった?
田中 それがですね、デジタル時代が始まってさらに混乱してきたといいますか……。
それまでは「自分はインディーズの監督である」ということがひとつのステイタスになっていたような面があって、実際映画をつくるのにも機材を買わなくてはならないとか、それはけっこう大変なことだったんです。
それが、ホントに誰でも映画を撮れるようになったので、その時点からインディーズ監督を自称する人たちがたくさん出てきて、自主制作映画の監督であることの価値が一気に下がりましたよね。
―― みんなが始めてしまったから、セミプロたちは差がつけにくくなってしまったと。
田中 それと、今まで「機材がないから撮れない」とか「俺には才能はあるけど自主制作というかたちでやるのは難しいんだ」という言い訳をしてきた人たちの立場もなくなりましたね。
だから、誰でも作れる時代になったけど、実際に良い作品がどれだけできるのかというと、それはどうなんだろうという時代になりましたね。
―― では、インディーズ・ムービーの社会的な立場は向上したのではなく、かえって薄められてしまったというのか、何かよくわからないものになってしまったんだ。かつては小さくてもとんがった氷の山だったのに、今ではテーブルにこぼした水みたいなもの、ということかしら。
田中 うーん、そういうふうに言えなくもないですけど。ある意味、幼稚園児でもスイッチを押せば撮影ができて、パソコンが使えるようになれば映像もつくれる時代になったわけですから、かつての映画制作者たちが徒弟制度のなかで叩き上げてきたようなものとは全然違ったかたちの作品が生まれる可能性が広がったことは間違いないですけどね。
―― じゃあ、あえて「インディーズ」を名乗らなくても、「マイ・ビデオ」で胸を張ってもいいのでは?
そうなると「ムービーって何なのよ?」ってことにならないかな。
田中 たしかに、インディーズ・ムービーって何なのかということになると、そのなかには例えばドキュメンタリー映画という枠組はあるかもしれませんし。あるいは家庭用ビデオコンクールなんていうものもありまして、それこそお父さんやお母さんが撮ったビデオに賞を与えるという企画もありますしね。そう考えると、どこまでがインディーズ・ムービーの範囲かというと……。
―― “うちのお父さん”もインディーズ・ムービー監督になっちゃうよね。
田中 そこはですね、僕としては、基本的にドキュメンタリーは認めますけど、そこに演出する側の企画意図であるとか、強い演出力が加わったものについてを差別化したいと思っていますね。そこにムービーとホームビデオの違いがあると思っています。
もちろんどんなホームビデオにも演出はあるんですけど、より強いメッセージと、伝えたいという作者の思いの強さがあるものについては別のものと考えたいです。
―― 作家意識、作家性ということね。じゃあ、もし“お父さん”がものすごい作家意識をもっていたらどうなるの?(笑)
田中 いやあ、もしかして世の中にはとんでもない「運動会ビデオ」が存在するかもしれないですよね(笑)。かつて市川崑が「東京オリンピック」という映画を撮りましたけど、もしかしてそんなふうな映像を撮っているお父さんがいるかもしれません。
今では発表する機会もいろいろとあるので、そういう意欲は必要でしょうね。やはり重要なのは作家性ですね。
―― 一応インディーズ・ムービーをそういうふうに色分けできたとして、現実にはビジネスに変換していくのが難しい分野ですよね。それでも頑張っている人たちがいると思います。何がモチベーションになっているのでしょう。
田中 例えば僕などが一番最初に感銘を受けたのは大林宣彦監督の「転校生」や、先日亡くなりましたけど実相寺昭雄監督が撮った「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」でした。そして、いわゆる暗闇の中で観る映画のなかで涙したり勇気をもらったり、魂を揺さぶられるような作品に接した時の感動には忘れられないものがあります。自分のなかには、そういうものを劇場用作品という枠の中で作ってみたいというのがつよくあります。
その環境を作っていく過程としては賞を取るのが一番近道かな、というのがあって、その先に劇場用作品の制作も見えてくるのではないかと。自分に限らず、みんなそういう気持ちで頑張っているんだと思います。
―― なぜ頑張れるんだろう。
田中 僕自身の経験でお話すると、それまでずっと映像関係の仕事をしてきて、ついに会社を辞めてフリーになったのが2000年、33歳のときのことでした。その時に思ったのが、自分の好きなことだけをやろう。自分の嫌いなことをやっている時間はないんだと、そういう気持ちが一番強かったですね。
ハッキリ言って今までは自分から持ち出しの感じでやってきたわけですけれど、それに対しては別にお金にならなくても全然問題じゃないと……苦にはならないんですね。そして僕たちの映画に出てくれている若い役者さんたちにしてもインディーズに出て、さらにステップアップしてメジャーにあがりたいという気持ちが強いと思います。
僕のやっているハローワーク・フィルムスには30代後半から40代のメンバーが多いんです。さっきも言いましたように、自分の嫌いなことをしている時間はないんだという、人生全体を振り返ったときの強い思い――それを強く感じている世代だと思います。
―― では、自主制作映画や、そこで頑張っている人達が市民権を得ていくには、どこを改善していったらいいと思う?
田中 そこに最大の問題があるんですけど。それがインディーズ・ムービーの一番の良さでもあり、弱点でもあるんですが、まさにその言葉の通り「ひとりよがり」なんですね。自己満足。自分だけがわかっていればいいっていう作品が本当に多いんです。
―― 今までにそういう作品をたくさん観てきたわけでしょう。どう感じた?
田中 たくさん観ましたね。「これはヒドイ!」と思いました。見るのが苦痛でしたよ。
―― それは田中さんが商業ベースのテレビ映像の分野にいたから? それとも、もっと前からそう思っていたの?
田中 僕は最初からそう感じていました。映画は面白くなきゃダメだと。
高校生の時に某大学の映画研究会の作品でしたか、見たことがありましたけど。それを見たときには、世の中にはこんなにつまらないドラマをつくっている世界があるんだと驚きました。
それ以前は、テレビや映画にしても、ちゃんとスポンサーのついた商業映像をみてきたわけですよね。それは最初から見てもらうためにつくられているから、ちゃんと見られるけれど、初めて見た自主制作映画はとにかく苦痛でした。芸術的とさえ思えない。「フィルムの無駄だ!」と思いましたよ。インディーズ・ムービーは、今でもそうですが、9割5分が苦痛な作品だと思いますよ。
―― それは単に全体的なレベルが低いということかな。
田中 もちろんレベルの低さはありますけど、苦痛になってしまうこともインディーズの宿命というか……。
つまり、僕なんかはテレビというプロの現場で揉まれてきたので、人にわかってもらわなければいけない映像づくりというのをずっとしてきたわけですね。そういうかたちで仕込まれてきましたから、そういうテクニックがインディーズの作品にはない、という点は感じています。
―― アマチュアということですか。
田中 テクニック的な話になると、例えば説明の絵がないとかセリフが足りないとか。もっとテレビ的なことで言うと、ここにテロップを入れないからだ、みたいなことになりますけど。逆にそういうことをしてしまうと、アマチュアっぽさがなくなって、プロっぽいスレた感じになってしまう。実際、そういうプロっぽさがないからこそ、さっき言った残り5分の中に、スレたプロには撮れない、ものすごい作品もあるんですよ。
僕はプロの現場で長くやってきたので、残念ながらそういう部分はもうほとんどないと思います。それこそテレビの世界では、目の不自由な方、耳の不自由な方たちにも伝わるようにつくれと言われ続けてきましたから。実際にテレビでは何十人、何百人という人たちのチェックを経たものが放映されていて、何だかわからないような作品はほとんど出ることがないんです。
僕は分かりやすい作品をつくることを練習してきましたから、これは活かさなければならないなと。じつは、そういう分かりやすい作品というのはインディーズのなかからは一番出にくいものなんですね。
例えばNHKの朝の連続テレビ小説のように、普通に見ていてちゃんとストーリーがわかって、誰がどういう台詞を喋っていて、誰が何の目的でどこに向かって歩いているのかがわかるような作品。極端な話、ちょっとお味噌汁をつくるためにテレビの前を離れて耳だけで聞いていてもわかるような作品――そういう作品はインディーズからは一番出にくいんです。だからこそ、そういう作品を作ろうと。見る人たちが苦痛にならない映画づくり。それだけは気をつけていこうと。
僕たちの作品が、2002年のインディーズ・ムービーフェスティバルの短編部門でグランプリをもらったというのは、おそらくそれが最大の理由だと思っています。
―― この賞は視聴者の投票によって決まるもので、それだけたくさんの人に伝わったということだよね。
田中 ホントに何のヤラセもなく、組織票もなく、べつに家族や親戚が投票したということもないのに、それこそ日本全国の方からの支持をいただきました。名前も知らないのに一票を投じてくださったわけですよね。これはひとえにこの映画が分かりやすかったからだと思いますね。
―― 映像も綺麗だし、ストーリーにしても、あれだけお馴染みなお台場の景色を取り込みながら無理なく展開させているよね。場所とか時代も確実に捉えて、それが物語を支えていると思います。
それと、何よりも中身が普遍的な話なんだね。素朴だけど誰にも覚えのあるようなことを分かりやすく語っているもの。だから共感を得たんだね。
|