| 江戸はまもなく十九世紀を迎えようかという頃、絵師の勝(勝川)春朗は金龍山浅草寺本堂を錦絵に描いた。この若き浮世絵師の仕事は「浮絵」といい、西洋の透視画法を取り込んだスタイル。すでに江戸の町衆にはお馴染みの画法ではあったが、対象の細部にまで執拗に食い下がり、その目に映るものひとつひとつを遠近法の世界に封じ込めようとするさまにはこの絵師の後年の姿を予感させるものがある。春朗はのちに、葛飾北斎と名乗った。
その『浅草金龍山観世音境内之図』には参拝客とともに多くの鳥たちが描かれている。鳩、そして尾の長い鳥など。隅田川は目と鼻の先だから水鳥はやってきただろう。実際、この境内でカルガモと鳩とが並び餌をついばむ姿を目にしたこともある。ここに集うのは人間ばかりとは限らないようである。
かつて境内には池があったし、今もある。「鯉に病気が移るので金魚や亀を放してはならない」と立て札まであるのに、跡を絶たないのだろうか。つい先日までは、天気の良い日に限って石の上で甲羅干し。そんな子亀もいた。しかし、この境内にはもっと大きな亀がいる。
雷門をくぐり、まっすぐに仲見世、宝蔵門と抜けて本堂へ向う。突き当たったら左(西)へ。その行き止りに木立に囲まれたスペースがある。「新奥山」に集められた碑のひとつ。その台座が一匹の大亀だった。
この碑は平成六年に影向堂が建造されるまでは、たしか池の裏手あたりにあった。それで、てっきり池に棲息したものたちに捧げられた供養碑であろうと思い込んでいたが、さにあらず。文化14年(1817)建立の『三十六歌人の碑』という。
大きな小松石の直方体の三面には桜花を詠んだ和歌が三十六首。たそがれどきには浅く彫り込まれた文字が判読できない。その読めないところがこの碑を異形のオブジェに変える。
亀は巨石の下敷きとなり四本の足で地表を掻く。そしてその首は天を仰いだ。いったい亀とは鳴き声を出すものなのか。それは「鳴」くのか、あるいは「泣」いているのか。泣いているなら石の重さに耐えかねてということか。それとも桜の季節を待ち侘びて、とでもいうのだろうか。そうやって、二百年ものあいだ身動きひとつしない亀がいた。
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(C) 2003 Mitsuru Iwasaki
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