ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593〜1652)は闇に浮かび上がる神秘的な情景を描いた作品で知られる17世紀フランスの画家。その存在は没後急速に忘れられ、300年近い空白の時を経て劇的な再評価を獲得する。
「神秘の画家」の実像、そして、描き出された「光と闇」の正体とは?

国立西洋美術館では3月8日から「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 ― 光と闇の世界」(主催:国立西洋美術館、読売新聞社)が開催されています。

ラ・トゥールの名声はすでに世界的であるにもかかわらず、その作品が日本でまとめて紹介されたことはありませんでした。現在まで残るラ・トゥールの真作はおよそ40点ほど。今回の展覧会ではそのほぼ半数と、若干の失われた原作の模作・関連作を含め、計30数点のきわめて貴重な作品が集められました。

この展覧会を企画した高橋明也氏(国立西洋美術館主任研究官)に、作品展の見どころ、そしてラ・トゥールの描いた「光と闇の世界」の魅力についてうかがいました。

高橋明也(たかはしあきや)

1953年東京都生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。ドラクロワやマネを中心とする19世紀フランス美術史専攻。1984〜86年、文部省在外研究員としてオルセー美術館開館準備室に在籍。現在、国立西洋美術館主任研究官。研究、執筆、講演のほか国立西洋美術館での展覧会の企画を担当する。

主な担当企画展覧会としては「ジャポニスム」「ドラクロワとフランス・ロマン主義」「バーンズ・コレクション」、二度の「オルセー美術館展」(1996年,1999年)など。著書に「ゴーガン」「マネ」「ドラクロワ 色彩の響宴」他、共著に「フランス発見の旅」等があり、翻訳に「ロマン主義」がある。

 

神秘の画家「ラ・トゥール」

―― いよいよ「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」の開催ですね。まずは素朴な質問からです。これほど有名な画家なのに、日本で展覧会が開かれたことがありませんでした。なぜなのでしょう?

高橋 ひとつには、「これほど有名な画家」ということですけれども、美術好きな人は皆知っていますが、美術に関心のない人は、当たり前ですがほとんど誰も知らない画家ですから。大衆的な知名度が低いのです。展覧会が開催されなかったのはそのためもありますね。 

―― 「ジュルジュ・ド ‥‥」という長い名前も覚えづらいですし‥‥。

高橋 「ゴッホ!」「ミレー!」とか、ひとことで言えれば楽なんですけどね(笑)。認知し易い名前かどうかというのもあるでしょうね。ですから、今回は短く「ラ・トゥール」でいきます。楽になるでしょう。

知名度の低さの問題がひとつと、それから、17世紀の画家ということもあって、現存する作品が40点あまりと圧倒的に少ない数なので、貴重なその絵が日本に来る機会がほとんどなかったというのがあります。

―― 今回の展覧会は、国立西洋美術館が2003年度にラ・トゥール作の『聖トマス』を購入したことが切っ掛けで企画されたそうですね。この作品はどの画集をみても掲載されていないので、まだこの世に未発見のラ・トゥールの絵が残っていたのかと驚いています。

高橋 国立西洋美術館では2004年の3月にこの『聖トマス』を購入しました。詳しいことをお話しますと、実はこの作品はこの十数年間にわたって日本にあったのです。ですが、もともとは南フランスのアルビという町の大聖堂に「キリストと十二使徒」を描いた連作の一点として飾られていたものでした。その連作の多くがさまざまな理由で紛失してしまい、大聖堂に残された本物は二点だけという状態でした。ところが第二次世界大戦後になって紛失した作品が少しずつ発見される。三点発見されたうちのひとつがこの『聖トマス』だったのです。

『聖トマス』はアルビの民家から発見されてすぐにモナコのオークションにかけられました。そして、画商によって落札され、ひそかに日本人の収集家のコレクションに入った。‥‥日本での“バブル期”の出来事でしたが、いわゆる投機目的の収集とは一線を画した本格的なコレクションです。以後、この絵はその存在を知られることなく、ずっと日本にありました。

しかし近年では、数百点の所蔵を誇るこのコレクションも解体を始めていて、ラ・トゥールの作品も海外流出の危機にさらされていました。そこで西洋美術館として寄託をお願いして、最終的に購入できたというわけです。

―― 「存在を知られることなく」ということですが、この作品の所在や動向について、日本の美術ジャーナリズムや西洋美術館ではどの程度まで把握していたのでしょう。

高橋 『聖トマス』が日本にあるという事実については、国内のジャーナリズムはまったく関心をもっていなかったと思います。実は西洋美術館でも、ほとんど意識していませんでした。

ところがある時、ルーヴル美術館の館長さんが来日しました。日本にあるラ・トゥール作品の調査に来たのだそうで、「日本人のコレクターがラ・トゥールを二点もっている。西洋美術館ではなぜ買い取らないのか?」と私に聞くのです。‥‥世界の個人でラ・トゥールのオリジナルを二点もっているコレクターはほかにいませんでしたからね。二点のうち一点はマドリードのプラド美術館に入りましたが、もう一点についても海外に流出する可能性があるので‥‥。

―― なんとかしなくてはと。

高橋 ‥‥とは思いながらも、なかなかそういう機会もなくて。それで、いよいよ国外に売却されそうだという瀬戸際で緊急に調査をして、オリジナルであることがはっきりとわかったので寄託をお願いしたということです。『聖トマス』は発見後まもなくオークションにかけられたため、お披露目の機会はありませんでした。所有者である日本のコレクターのもとから海外の美術展に二度出品されたことはありますが、国内での公開は今回が初めてですね。

 

―― 今回の展覧会のポスターには「再発見された神秘の画家」とあります。これは、光と闇とを主題にしてユニークな作品を残したラ・トゥールという画家が歴史のなかで一度は完全に忘れられ、20世紀になって再び脚光を浴びたという劇的な展開を言い表していると思います。展覧会としては、貴重な初期の作品『聖トマス』のお披露目と同時に、この機会に現存するラ・トゥールの作品を世界各地から集めて画家の全体像を浮かび上がらせようということですね。

ラ・トゥールの作品といえば、お馴染みの「夜の情景」を描いた作品のほかに「昼の情景」を描いた作品があります。厳格な写実にもとづく初期の作品から、やがて謎めいて神秘的な様相を呈した作品を制作するに至るまでの展開は解明されているのでしょうか。

高橋 それはなかなか難しい問題ですね。真筆と認定された作品のなかにも年記の不明なものは多く、作風の展開を正確に辿るのが難しいのです。ラ・トゥール研究の当初には、この画家は最初〈昼の絵〉を描き、やがて〈夜の絵〉を描くようになったという見解もあったのですが、現在では両方を平行して描いていただろうというのが定説になりつつあります。ただしそれでも、現存する〈夜の絵〉は後半の時期に属するものが多いとは言われていますが。西洋美術館の『聖トマス』は〈昼の絵〉の最初期のものとして位置づけられるでしょうね。

―― 引き続き、今回の展示作品のいくつかについて具体的にお聞きしたいのですが、〈夜の絵〉と〈昼の絵〉のなかから、それぞれの“目玉”となるようなお薦めを選んでいただけますか。

高橋 〈夜の絵〉については『聖ヨセフの夢』(ナント市立美術館)と『蚤をとる女』(ロレーヌ博物館)でしょうか。〈昼の絵〉なら、やはり『ダイヤのエースを持ついかさま師』(ルーヴル美術館)ということになるでしょうね。

 


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高橋明也氏
【ラ・トゥールと再発見の歴史 】
 
1593 フランス東部のロレーヌ公国に生まれる(生家は製パン業者)
 
1639 頃 フランス王ルイ13世の国王付き画家となる
 
1652 死去
 
1915 画家の存在が確認される(ナント市立美術館所蔵の2点)
 
1934 「現実の画家たち」展(パリ)この展覧会で再評価
 
1991 アルビで『聖トマス』発見
 
2004 『聖トマス』西洋美術館蔵 
 
『ラ・トゥール再発見の歴史』
(フランス版)

※ラ・トゥール作品再発見の歴史を綴ったこの本の最終章には日本での『聖トマス』発見の経緯が記されている。写真は『聖トマス』と高橋氏。見出しが日本語!

■邦訳は「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール―再発見された神秘の画家」創元社刊(知の再発見叢書121)