拝啓ラ・トゥール様

 覚えてますか?私のことを。かつて上野のお山に、ミレーのお供をして貴方は「大工ヨセフ」を携えて来てくれましたよね。あれから40年近く経ちました。当時は海外からの美術展の黎明期、会場は大変な混雑でしたね。
 貴方の絵の前から離れずに見入っていた子供がこの私です。その絵は他を圧倒していました。静謐な画面は、リアルを超越した光を放出し、且つ抜群の構図構成。忘れるはずなどありません。同年齢くらいの孝行息子はキリストと知ったのは随分のちのことでした。
 「ラ・トゥールやるよ」西美の高橋氏に告げられた時は、秘かに動揺しました。貴方に長年思い入れの深い私が、その作品を展示するための会場造りをするとは。
 どうでした会場の居心地は? 想像を超える数の人達が、作品を一生懸命に見入る姿を見て私は大満足でした。お子さん連れも多数見受けられて、本当に嬉しかったな。デザインをする前に、貴方の作品達とは随分話しをしましたね。私が会場デザインをする時、心の中にいつもあるのは、子供には大人と同様、それ以上の感覚・感性が存在するということです。これを教えてくれたのが「ラ・トゥール」でした。あのとき貴方に出会わなければ、私は今この仕事をしていないような気がします。思えば、それほど貴方に翻弄され続けた人生だったのかも知れませんね。また会ってくれますか?。

追記:本来の原稿ご依頼の主旨とは違うかもしれません、何を語りたいかというより、ラ・トゥール本人に語りかけたい、そんな思いが生まれました。
常々、私共のような裏方スタッフは、埃にまみれながら会場造りをしています。「業者」と呼ばれる立場ではありますが、その一人一人がそれぞれの思いの上に、作品に対して真摯な愛情を抱いて仕事をしています。このようなことも知っていただければと思います。
 
 
 
 日頃よりカタログ制作を前にして思うことは、一過性という宿命を背負わされた美術展の内容を如何にして魅力的な小宇宙に凝縮して残していくかということです。カタログは展覧会の記録という使命もさることながら、展示空間とは異なるひとつの独立した世界をもち、さらにはより多くの鑑賞者が美術館で味わった感動を後日繰り返し想起できることが理想です。今回の「ラ・トゥール」展で先ず思ったことは、34点という少ない作品数で果たして本としてのヴォリュームを出すことが可能かということでした。しかし、拡大図版を多用することによって、比較的暗い会場では明確でなかった人物の表情が見えてきて、予想以上の効果を上げることができたように思われます。展覧会場で味わう満足度、それを補いかつ異なる世界をもたらしてくれるカタログ、両者の相乗効果が、入場者の7人に一冊という販売率の高さにつながったのかもしれません。
 
 
 
 展覧会を組織するという仕事に携わる人間には、「この企画を実現させてみたい」という夢がある。ラ・トゥール展を行いたいという話を高橋明也氏から聞いた時、「すばらしい企画だから是非やりましょう」と(けしかけるように)返事すると同時に、「果たして作品が何点集まるだろうか」という思いがよぎった。ラ・トゥールの作品は主にフランス各地に散逸しており、それぞれが美術館の宝物だからだ。そこで、この画家の専門家であり各美術館に顔が利くジャン=ピエール・キュザン氏、ディミトリ・サルモン氏にフランス側コミッショナーおよび副コミッショナーに就任してもらった。私たちの待ち合わせ場所はルーヴル美術館のカフェマルリー。どこの美術館にどのタイミングで手紙を送りいつ訪問するか、展示は、カタログはどのようにしたらいいかなど、時には来欧した高橋氏も交えて何十回と打ち合わせを行った。いつしか二人とも「展覧会を成功させたい」という日本のスタッフと同じ思いを持ってくださったのだと思う。キュザン氏はナント美術館まで自らの意志で足を運び、一度は断られた「聖ヨセフの夢」の出品を実現させてくれた。ルーヴルの傑作「ダイヤのエースを持ついかさま師」を借用できたという奇跡的な出来事も、この二人がいなくては起こりえなかっただろう。そしてラ・トゥールの生まれ故郷ヴィック=シュル=セイユにあるこの画家の名前を冠した美術館からは、ガブリエル・ディス館長の厚意で2点しかない作品を両方とも貸してくれることになった。
 私は時にこの仕事をケミストリーのようだと思うことがある。展覧会のテーマはもとより交渉相手、関わるスタッフなどがプロジェクトごとに変わり、その結果が展覧会として目に見える形となる。ラ・トゥール展は各人の情熱が上手く化学反応した結果だ。その意味で私の数十の展覧会経験の中でも、いつまでも記憶に残るだろう。情熱は、夢は、人と作品を動かす、ということを身をもって経験したのだから。