私がラ・トゥール展のアシスタントを打診されたのは2004年の3月初旬、開会のちょうど1年前であった。当初は、国立西洋美術館が購入したばかりの《聖トマス》を中心とする、こぢんまりとした展覧会が想定されていた。ところが状況は間もなく一転する。出品交渉のため高橋明也氏が3月末に渡欧、約1ヶ月にわたって所蔵者を訪れ、根強い交渉を続けた。帰国した高橋氏の表情は明るかった。展覧会の全貌が見え始めたのはこのときであった。
 しかし喜んでばかりはいられなかった。日本でラ・トゥールは一般にはほとんど知られていない。専門家の多くが強い関心を持っているにも拘らず、美術史における位置付け、画家の全貌が不明瞭であることから、踏み込んだ議論が躊躇されてきたためである。これは、1972年に田中英道氏が2つの著作を出版して以来、30年以上もラ・トゥールの全体像に迫る邦文献がなかったことに明らかであろう。その間、パリでは72年と97−98年に大回顧展が、アメリカでも96−97年に2都市で回顧展が開催され、ラ・トゥール研究の新しい側面を提示する熱意ある議論が展開されていたのである。つまり、国際的なラ・トゥールへの認識と日本におけるそれには大きな隔たりがあった。初夏から秋にかけての数ヶ月、いかにラ・トゥールを紹介するか、高橋氏と二人三脚のかなり孤独な画策の日々が続いた。ラ・トゥール展を取り巻く環境は想像以上に厳しいものだったのである。
 9月末には大まかな展示プランが作成され、展覧会が現実味を帯びてきたが、出品の確約は遅々として進まず、展示全作品が決定する12月末まで忍耐を強いられた。この間、真作の展示を断念せざるを得なかった作品について、模作の展示が検討された。これは高橋氏の当初の計画を曲げるものであったかもしれないが、最終的には、ラ・トゥールの画業を概観し、作品の意味、作品群のテーマを解説する上で有効であると判断された。同時に、作品タイトル1つに至るまで慎重な議論が重ねられた。この展覧会に際して発刊される書籍、雑誌、展覧会カタログがラ・トゥール像を決定し、今後の邦文表記のスタンダードになる可能性が大きいためである。
 年が明け、1月、2月はカタログ作成に慌しく過ぎ、開会1週間前、展示が始まった。作品点検の際、いくつかの作品のカンヴァスが平らではないことが判明し、ライティングに困難を来たすであろうことが予想された。会場を暗くし、スポットライトで作品を幻想的に浮かび上がらせる展示は、カラヴァッジョ派やラ・トゥールの展覧会では馴染み深いものであるが、画面の一部に反射した光が目に入り、見づらいこともしばしばある。しかし予想に反して、ライティングはことのほかスムーズに進んだ。しかも、ラ・トゥールの所蔵館では暗くて見えなかった細部まで鮮明に見える。ラ・トゥール作品を見るために、かなり辺鄙な場所まで足を運んできた私に、この素晴らしいライティングはささやかな感動をもたらした。またこのとき、ウクライナの《金の支払い》とルーヴル美術館の《いかさま師》に同じブラウスの模様が描かれているという思いがけない発見もあった(詳細は日仏語併記版カタログに掲載)。
 ラ・トゥール展が閉会して約1ヶ月、準備中の様々な困惑や葛藤の記憶が薄れ、客観的にこの展覧会を振り返ることができるようになった。スタッフとしては、誰もが認める「傑作」と呼ばれる作品をあと数点集められなかったことを残念に思わないわけではない。しかし逆に研究者としては、アメリカやパリの大美術館の作品ではなく、ほとんど目にすることのできない個人蔵の作品、交通事情の悪い片田舎の美術館に所蔵される作品を見ることができたことに感謝している。そして、貴重なラ・トゥール作品が、彼の画業を概観できる規模で日本に集められたという点で、大変意義のある展覧会ではなかったかと思っている。
 
 
 
 オールドマスターの展覧会、しかも日本では知名度の低い作家の展覧会ということで、どのようなことになるのか、手探りで進まざるを得ない部分もありましたが、何とかまとめることが出来たように思います。
 当初はこじんまりと12使徒シリーズの中で「聖トマス」を見せる、というコンセプトでしたが、一度きりのチャンスという意識から、ラ・トゥールの全貌に迫る展覧会へと構想が広がりました。今度は展覧会の規模をどうするかで議論になり、周辺画家を含めて数合わせをする誘惑にもかられましたが、30点程度になっても、ラ・トゥールにこだわることになりました。この決定が、展覧会に強い力を与えたと思います。
 美術館の新規購入作品を元に展覧会を組織する、という、日本ではなかなかできないオーソドックスな展覧会づくりが実現し、出品要請に対する所蔵美術館の反応も、驚くほど好意的でした。
 ラ・トゥール作品の所有美術館は、これまで付き合いのある都会の美術館は少数派で、ヨーロッパの地理に疎い私には、どこにあるのかさえすぐには分からないような地方都市の美術館がいくつもありました。こうした美術館とお付き合いが出来たのも、今回の展覧会の特色かもしれません。
 中でもウクライナのリヴォフ美術館は、ロシアとの仕事の応用だけでは対処できないさまざまな問題がありました。言葉の問題、仕事の進め方の違い、通信手段の不調、支払う日本側の身元保証を必要とする法律上の要請、すべてのアレンジにおける美術館側の不馴れなど、直前の1ヵ月は、ある種修羅場のような状況でした。謎の多い作品だったので、粘りに粘って出品にこぎつけました。会期中に科学的分析をする許可もとりつけ、赤外線調査も行うことができました。
 心残りはアメリカからの出品が少なかったことです。交渉のための時間も労力も割けなかったことが悔やまれます。
 
 

 
 
連続講演会 「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールと17世紀フランス」
 
1 3月8日  ジャン=ピエール・キュザン(元ルーヴル美術館絵画部長) 田中英道(東北大学教授)
2 3月19日   樺山紘一(国立西洋美術館館長)
3 4月2日 木村三郎(日本大学教授)
4 4月23日 田中英道(東北大学教授)
5 4月30日 大野芳材(青山学院女子短期大学教授)
6 5月7日 塩川徹也(東京大学教授)
7 5月21日 高橋明也(国立西洋美術館主任研究官)
 
 
スライド・トーク  解説 大谷公美(慶応義塾大学博士課程)
  4月1日・15日・29日 5月13日・20日
 
 
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展開催記念コンサート 「ラ・トゥールの聴いた響きをもとめて」
 
 演奏/ル・ポエム・アルモニーク  (5月12日・14日・15日)
 企画協力/大橋マリ  企画・制作協力/冨田三紀子  制作/アンフィニ
 
 
写真提供 読売新聞東京本社】