国立西洋美術館でラ・トゥール展がひらかれると知ったときの嬉しい驚き。まさか日本でまとまった数のラ・トゥールが見られるとは思ってもいませんでした。この快挙にいささかの前景気をつける意味も込めて、早速スタジオ・ジブリの小冊子『熱風』に連載中の拙文「一枚の絵から」で『大工聖ヨセフ』を取り上げました。それはよかったのですが、今回の展覧会で教えられるまで、1954年に東博ではじめて見たそれを、恥ずかしいことにルーヴルの真作だったとばかり思い込んでいたのです。出品されたブザンソンの模写作の前に立って、これがあのときの絵なのか、としばし感慨にふけりました。当時のふるえるような感動はありません。すでに真作の圧倒的な奥深さを知っているからです。比較すれば格段の差が感じられます。しかし、五十年前の感動はほんものでした。そしてそれをもたらしたのは、原作者ラ・トゥールの力です。
この個人的な体験は、今回出品された多くの「模写作」について、その意味を深く考えさせられました。工房による類似作ではなく、なぜ模写作が多いのか。それは、いま見ているこの絵がほしい、という人がいたからだと思います。私たちが名画の複製をほしがるように。そしてラ・トゥールの絵の意味内容・突きつめられた構図・人物表現・光と影、その異様なしずけさは、模写作からでも惻々と伝わったのにちがいありません。そしてラ・トゥールの絵の純化された表現は、かえってそれを可能にするものだった、とも言えるのではないでしょうか。
とはいえ、やはり真作のすばらしさは断然圧倒的でした。そのうち、驚きがひとつありました。『書物のあるマグダラのマリア』です。テュイリエの本のモノクロ写真で見ていたときは、あまりにモダンでシンプルで、ほんとうに真作なのかしら、と疑っていたのですが、実物には強い力がありました。たとえ偽作だったとしても傑作だと思います。
この展覧会の実現に努力された方々に心から感謝します。 |
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ボクはラ・トゥールという画家については、ほとんど何も知らない。でも、展覧会は見に行った。この画家には三つのフォルムがある。一番目は縦長の絵。二番目が横長の絵。三番目がやや縦長の絵というスリーパターンだ。
縦の絵の多くはほとんどひとりの人物。横の絵は2人もしくはだいたい複数の人物が描かれている。「一」か「二」か「多数」か。縦=一の絵の人物は正面を向いているか、横を向いているか、下を向いているか…。
たしかに絵の中にはひとりの人間しかいない。しかしである。ボクにはその絵がとてもひとりに思えないのだ。その絵の中の人物と向き合う形で左右対称、前後対称には神がいる。そう思って描かれていない神を自分で想像して、もう一度、元の絵を見直すとガ然、ボクには「あ、そうだったのか…」と納得できるのだ。
あの絵のすぐそばには神がいるのだ。神との抱き合わせで縦長の絵を見る。ラ・トゥールはそういうテクニックを使ったな。彼は目に見えない神をそこに見せているのだ。
蝋燭と人物という構図。その蝋燭の反対側には描かれていない神がいる。
面白いのは絵の中に2人の人間が描かれているものは、神が遠ざかって見えにくくなっている。4人以上の人物が描かれている横長の絵は、もう神の存在が完全にフェイドアウトしてしまって消えている。
ラ・トゥールの絵のキーワードは、神のポジショニングにあるとみた。神と向かい合っている絵。神が遠ざかっている絵。神が消えてしまっている絵。ラ・トゥールは絵そのものを見るな。描かれていない神の存在を見ろなのだ。 |
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三月、「新日曜美術館」撮影のため、フランス北東部ロレーヌ地方を訪れました。画家・ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生まれ、生涯をすごした地です。車窓には、早春の緑におおわれたなだらかな丘がつらなるのどかな風景が続きます。ラ・トゥールの生まれ故郷ヴィク・シュル・セイユは大きな聖堂のある小さな町でした。古いながらもよく手入れされた町並みがかつての賑わいを髣髴とさせます。町の人とすれちがうと、みな「ボンジュール」と少し恥ずかしげに微笑みかけてくれます。
「ああ、こんなに美しい土地がラ・トゥールを育んだのだなあ」などと感慨にふけりながら、毎日撮影のために車を走らせているうち、あることに気づきました。この土地には異様ともいえるほど慰霊塔や墓地が多いのです。それは、かつてここロレーヌ地方を襲った過酷な歴史―三十年戦争、その後の第一次大戦、第二次大戦の熾烈な戦場となったという―の痕跡であることはすぐに気づきました。しかし、とまどったのは、生活の場と死者たちの眠る空間のあまりに近いことでした。小さな村の真ん中に、沢山の白い十字架が立ち並ぶ大きな墓地。牛が草を食む牧場の一番見晴らしのよい丘の上には無数の人びとの名が刻まれた慰霊碑が建てられています。そうした光景に次々でくわすうち、やがて思うようになりました。これは、この地に暮らす人びとの意志なのではないか、この地に刻まれた歴史と運命を人びとが受容し、生きることの一部にしたことの結果であるのではないかと・・・。生の傍らにある死を忘れぬこと、死を見つめながら生きること―。
ラ・トゥールの描く人物たちもまた、静かに生と死を見つめる人の姿であるように思えます。彼らはいつも光と闇の「はざま」にいます。栄光の光に包まれるのではなく、しかし絶望の闇に閉ざされるのではなく、その「はざま」に踏みとどまって自らに与えられた生と死の意味を見つめること。盲目のヴィエル弾きは、マグダラのマリアは、荒野の洗礼者聖ヨハネは私であり、あなたであり、すべての人である、ラ・トゥールはそう語っているように思います。ラ・トゥールの生きた十七世紀同様、あるいはそれ以上に混迷の時代である今、彼は絵の中から静かに問い続けています。「あなたは、何を見つめ、どのように生きるのか?」と。
ふと気づくと、厚く空を覆っていた雲はとぎれ、春先の日ざしがヴィックの町並みをやわらかく照らしていました。礼拝を知らせる鐘が静かに鳴りはじめました。
出会う前と出会った後では自分の中の何かが変わってしまう絵、私にとってラ・トゥールとの出会いはまさにそのようなものでした。こうした機会を与えてくださった高橋明也さんに感謝いたします。
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《聖トマス》一点の購入が機となって驚くほど短い時間で国立西洋美術館での「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」が実現した。この四百年ほども昔のフランスの画家の個展が、今日に残る全作品の半数近くを集めるという充実ぶりをもって日本で開催されたのは、かつてそこに在職した私にとり西美の目覚しい成長の証しとして大きな悦びである。
ラ・トゥールは多くの日本人にとりこれまで名すら知られなかった存在であった。その展覧会が三ヶ月余の期間中に二十五万人もの観客を集めたのは期待を著く上廻る作品の質の高さに依るとともに、他方また西洋美術に対する日本人の理解の深まりを如実に示すものでもあった。
どの作品をみてもその超絶的ともいうべき写実の技量に目も眩む想いがするが、しかしラ・トゥールは決してただ写実だけで終った画家ではなかった。近在の老農かと思われるモデルを使って彼はあるいは使徒を描き、あるいはヴィエール弾きを写す。そして一方では精神の高揚を、他方では老残の惨さを剰すところなく描き分けているのである。
私がどうしても忘れられない絵は《聖ヨセフの夢》(ナント)であった。聖書を膝に披きながらまどろんで了った老人の前に、右手を差し出し左手を上へ向けた姿勢で一人の天使が近付いてくる。明るい燭火に照らされたその顔の何とも言えない美しさ、そして神々しさはどうしても此の世のものではない。画家はその眼で本当に天使を視、その手で彼(彼女)の姿を画布に留めたのであった。私はこの絵をみるまで若きレオナルド・ダ・ヴィンチが師ヴェロッキオの《洗礼図》(ウフィツィ)の中に描いたと伝えられる天使が一番美しいと思っていた。しかしそれをラ・トゥールの天使に較べてみると、まだまだ人間臭さが残っている。ラ・トゥールこそは本当の天使を描き得た唯一人の画家であったと思う。 |
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2004年11月、取材旅行でイタリアとフランスに赴いた。まずはシチリア島で、海中から引き上げられた古代彫刻「踊るサテュロス」の取材。続いてパリ、ナント、ヴィック・シュル・セイユで「ラ・トゥール展」の取材、その合間を縫って「ルーヴル美術館展」の同館側企画者にもインタビューする――といった具合で6泊8日、なかなかハードな日程ではあった。いずれも翌05年の上半期、読売新聞が主催する展覧会にかかわる取材である。しばしば美術記者は勤務する新聞社の展覧会の関連記事を担当するものだが、それから半年間、正直少なからぬ量の原稿を書き続ける仕儀となった。
ラ・トゥールについては出発前、日本で得られる資料は極めて少なかった。展覧会に併せて邦訳・刊行されるJ=P・キュザン氏の著書のゲラを手に入れ、かつて瀧口修造が「芸術新潮」誌に書いた原稿のコピーを高橋明也氏から頂戴し、あとは展覧会のコーディネートに携わった今津京子氏がエール・フランスの機内誌に書いた記事に目を通した程度。それゆえ関係者に直接尋ねたい質問のリストは膨大な項目に上った。
キュザン氏とのインタビューは約束した午前中の時間では終わらず、午後に再び時間を頂いた。ラ・トゥール美術館のガブリエル・ディス館長はメッスの駅からヴィック・シュル・セイユの美術館まで自らハンドルを握って案内し、ほぼ半日間の取材の後、帰路の車中でもインタビューに応じ、ついにはメッス駅前に車を止めて、さらに熱く語り続けて下さった。極東の島国からやってきた、ほとんど知識の乏しい新聞記者に対して、彼らの対応は極めて温かく、また誠実なものだったと言ってよい。
彼らのラ・トゥールに対する情熱、また美術作品が国ごとの文化的なコンテクストを超えて理解され得るという信念は、基本的にわれわれの国の多くのそれをはるかに凌駕しているとも感じられたわけだが、それを引き出したのが国立西洋美術館と高橋明也氏による「聖トマス」の獲得であることは繰り返し強調されてよい。フランス側はその事実に敬意を表し、ラ・トゥールを紹介し、語り合うに足る相手国だと認めたのだろう。意気に感じる、という言い回しがフランスにもあるのかどうか、彼らがそう思ってくれたことを、私もまた心ひそかに意気に感じ、なるべくよい記事を書こうと考えた。どのくらい実現できたかはまた別の話ではあるけれど。展覧会が終わったいま、24万6315人という入場者数について、個人的に言えば安堵の念を抱いている。 |
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今回のラ・トゥール展は近年まれに見る画期的な展覧会であった。わが国で、このフランス最大の画家の全貌に接することができるとは夢にも思わなかった。昨年ラ・トゥールの貴重な作品を購入するのに尽力しただけでなく、この展覧会を企画し、世界中の美術館をまわって粘り強く交渉し、多くの作品を借りてきた国立西洋美術館の高橋明也氏の熱意と手腕には深い敬意を表したい。私は5月に足を骨折してあやうく行けなくなりかけたが、足を引きずりながら無理に上京して見てきた甲斐があった。
以前から感じてはいたが今回確信したのは、静謐な夜の画家ラ・トゥールが意外に激しく表現主義的な様式を生来もっていたということである。出品作《辻音楽師の喧嘩》はアメリカにある作品と比べると滑らかで整理された描写を示すが、これが真筆と模作とを分ける規準のひとつではないかと思った。《犬を連れたヴィエル弾き》はその意味でも圧倒的な傑作であり、この画家が単なるカラヴァッジェスキの地方画家にとどまらぬ大きな存在であることを印象づけた。私は2001年に開催された「カラヴァッジョ展」に携わったのだが、そのときは10点弱の真筆を展示しただけでも画期的なことであったのに、ラ・トゥールの真作の半分にのぼる20点以上の真筆が出品されたのは圧巻であった。今回は真筆の疑わしい作品や模作も比較展示されていたが、これはラ・トゥールのように真筆が少なく、謎に満ちた画家を理解するのには必要不可欠で、きわめて有意義であった。もっとも嬉しかったのはウクライナに行かねば見られない新発見の《金の支払い》をじっくり見ることができたことである。この風変わりな作品には今述べたラ・トゥールの表現主義的特質が表われているだけでなく、拙著にも書いたことがあるが、金を支払う人物の身振りがカラヴァッジョの作品とも関係し、主題についていろいろ考えさせられた。その他の作品についても気づいたことが山ほどあって語り尽くせないほどだが、学術的にもきわめて有益な刺激を得ることができた。展示構成も解説パネルも効果的で見やすく、カタログもコンパクトながらハイレベルで充実しており、大いに満足したものである。
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