何度も眺めているうちに好きになってしまう絵があるようです。ラ・トゥール展会場を計6回も訪れてしまったリピーターとしては《犬を連れたヴィエル弾き》がそれでした。盲目の楽士は路地裏にでも立っているのでしょうか、背後の壁面は一種の「闇」と思えます。孤独、不安、ささやかな希望。そうしたものを背負うとき、人は唄わずにいられなくなるのかもしれません。闇との交歓。
 「この絵に赤外線をあてると、男の右足の膝から下には描き直した跡が見える。つまりそれがコピー(模作)ではないという根拠のひとつ。描きながら考えたり、迷ったりしているわけだから…」。閉館後の会場を撮影した際に、ラ・トゥール展企画者はそう教えてくれました。模作のいくつかを眺めては、確かに“筆さばき”に緊張感が足りないとは感じていたのです。それが光学的に裏付けられる場合もあるのか、と感心しつつ場内をひとめぐり。なにやら模作を観ることの積極的な意味めいたものが浮かび上がってきました。
 二点の《煙草を吸う男》は、ひとつはオリジナルかあるいは工房の作品であるらしく、もうひとつは質の高い模作です。しかしその差は歴然。でも、なぜかこちらに残るのは漠とした「差異」や「落差」の印象ばかり。「そうか、もしかして企画者はこれを見せたかったのかもしれない…」と、ひとり納得してしまいました。
 オリジナルと模作との距離(感)を実感してもらおうという企ては、こちらの想像力をおそろしく刺激するものです。この感覚をもってすれば《ランタンのある聖セバスティアヌス》の良質な模作二点を並べた一角には、失われたオリジナル作品が見えてくるのではないか、などと。色調の微妙な違いとハイライト(最明部)の白絵具の塗り方を除けば、ふたつの作品は酷似しています。一枚の精巧な模作のむこう側には、それをレンズとしてひとつの像が結ばれる。そして、もう一枚のむこうにも同じように像があらわれる。時と場所とを変えて描かれたふたつの視点から、ひとつの対象物を想起させるという発想は「立体視」そのものでした。そこには現存しないオリジナルが「展示」されていたのです。

 国民の大多数が「ラ・トゥール」の名前さえも知らないという怪奇現象の時代はまもなく終わるのではないでしょうか。日本で最初の、もしかして最後になるかもしれないラ・トゥール展のおかげで、その画家がわたしたちのなかに棲みついてしまったからです。

 
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 ― 光と闇の世界 ―
2005年3月8日〜5月29日
主催  国立西洋美術館  読売新聞社
 
 

 
【特集】 ラ・トゥール展が遺したもの
 
 
特別寄稿  高橋明也(国立西洋美術館主任研究官)
 

大谷公美(慶応義塾大学大学院博士課程)  陶山伊知郎(読売新聞文化事業部次長)

後藤智子(東京スタデオ)/杉浦 博(コギト)/今津京子(コーディネーター)

 
   「私の観たラ・トゥール展」コメント(敬称略 50音順)
 
   伊熊泰子(「芸術新潮」編集部)/神戸愉樹美(神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団主宰)
   木島俊介(共立女子大学教授 群馬県立近代美術館館長)/塩川徹也(東京大学教授)
   篠田節子(作家)/高畑勲(アニメーション映画監督)/ターザン山本!(プロレス&格闘技評論家)
   辻佐保子(名古屋大学名誉教授)/藤村奈保子(NHK新日曜美術館担当)/前川誠郎(元国立西洋美術館館長)
   前田恭二(読売新聞文化部記者)/真野響子(女優)/宮下規久朗(神戸大学助教授)
 

 
[協力] 国立西洋美術館  読売新聞社
 
[企画・制作] イワサキ・ミツル
 

 
 
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