今回の展覧会、昨日で20万人入りましたね。20万人っていう数字は多いのか少ないのか。ちょっと私にもわかりません。私がこの企画を立てたときには、どれくらい入るんですかって事務の人たちにも言われたんですけども、「そう言われたってどれくらい入るかはわかりませんよ」って言ったのですが、まあ15万から30万のあいだって言ったら「そんな無茶苦茶な!もっとその数字はハッキリならないんですか?」って。

そう言われても全くわからない。なぜかって言えば、まずその時点では、ひとつには作品が何点集まるかわからなかったですから。実際にこれだけの規模の展覧会にまでできるかどうかというのは一年前にはほとんどわかっていなかったということがありますよね。それから、例えばそれがかなり自分の目算ではできると思ってやっていて、で、幸運にもその予測が当たりましたけれども、他方では展覧会って、やはり投じた宣伝費とかそういうものにかなり左右されるわけです。

どんな、かなり私なんかの目でもお手軽に見えるような展覧会でもそれなりの経費を投じて宣伝をすれば、やはり人はかなり入ります。そういう点から言えば、このラ・トゥール展というのは展示作品数もそうですが、予算規模としてもかなり小規模な展覧会なんですよね。ですから、そういう宣伝をどれくらいできるかによって、だぶん15万から30万人という幅の違いは絶対にでるだろうという気がしました。で、もちろん西洋美術館では去年開いた「マティス展」のような巨大な展覧会がありましたが、そういう展覧会から比べれば本当に数分の一の規模なんですね。ですから皆さんが駅で見かけるポスターなんかもマティス展から比べればかなり少ないです。それは当たり前の話で、マティス展をつくるためには、やっぱりこの数倍のお金が投じられるわけですね。ですから、その分の投じたお金は回収されなければならないので、私供も共催の新聞社としても当然そういう勘定はしなければやっていけませんので、そういうことになるわけです。

だけれどもまあ、その当たり前の論理をやるのは面白くないですよね。私は個人的にはそういう“大量投資・大量回収”という日本の展覧会のやり方になんとか風穴が開けられないかなというのがありました。ですから一年間で、かなり早い段階でいくつかのラ・トゥールの出版物を出すことを考えて、出版社の人とも相談をしてそういう計画をつくりました。

そのひとつは先ほどちょっと話がでていました。私が監修した小さい本ですけども、これは小さいけども中味は大変充実しているというか、フランスでも大変評判になっている本なんです。それの翻訳なんですね。ラ・トゥールがいかに再発見されたかという、まさにその観点で最初から終わりまですべてが書かれているという、ちょっと面白い本ですね。これがでたし、あとかなり綺麗な大きい図版が入っている画集もでましたし、芸術新潮の編集部も頑張ってくれて大変見事な特集を組んでくれました。

まあ、さらにはラジオの「深夜便」とか、それからこのあいだ5月1日に「新日曜美術館」が放映されましたけれども、かなりNHKの方でも頑張ってつくってくれました。担当の女性のディレクターはこの展覧会を見てからフランスに行って取材してつくってますから、良い意味で力が入って、最近の「新日」のなかでもたぶんかなり出来はいいんじゃないかと思います。まあ、そういう本当に“草の根”的なアプローチをしながら一年間準備して今年の三月にこの展覧会を開いたわけですが、その開催時にできればラ・トゥールの名前があちこちで浸透していて欲しいなという、そういう希望で組み立てていったんですね。

私がこのカタログのなかに書いた文章のなかでも話していますが、どうしても日本の情報のあり方というのが、伝統的に、ピンポイントなんですね。これはもうたぶん一千年以上の伝統があるのでそう簡単にはなくならないとは思いますが、まったく奈良・平安の昔から外来のものに関しては一次情報がそのまま入ってくるわけじゃではなくて、必ずどこかで濾過されてフィルターのかかった情報が入ってきています。で、人々はその二次情報に皆飛びつくわけですね。他方で、一旦取り込まれて紹介されたものに関しては、本当に効率良く情報が津々浦々まで浸透していきますね。美術の分野だってずっとそうですよね。まあ、ずっと中国から、あるいは百済、新羅から伝来して技術者の集団が入ってくれば、その人たちのもっていた技術を全部吸収していく。でも、たぶん意図的にせよそうでなかったにせよ、その人たちから抜け落ちていたもの、その人たちがもっていなかったものもたぶんありますよね。それらはまったく、何ひとつ、誰も受け取らなかったんじゃないかと思いますね。

それは、近代の西洋文化の受容に関しても同じだと思います。さまざまなものが、どどっと明治期以来紹介されるんだけれども、何か抜け落ちたものがあるんですね。それらに関しては全くゼロに近い情報量です……。ですから例えば印象派のような、知らない人はいない「モネ」、「ゴッホ」もそうだし、それから「ミレー」なんかもそうですよね。これはもう全国隅々、なんでこんな田舎に行っても皆ゴッホの絵を、複製を掛けてるの、っていうくらいにどこでもある。こんな国は世界的にも珍しいと思いますけども、ある種の知識欲がある国民性なんだと思いますけども、でもそうやっていつもフィルターが一枚かかっているわけですね。

で、ラ・トゥールは完璧にそれから抜け落ちていた人ですね。で、一方でフェルメールは数年前にフィルターを取り替えたらしくて(場内…笑)、突然何か“誰でもフェルメール”というということになりまして、どんな展覧会をやっても必ずフェルメールがでてくるような、そういう仕組みに最近なってきました。とにかく一点入れておけばそれでかなりアピール度が違うということなんですよね。まあ、そうしたことを少しでも是正できないかというのが私の大きい希望でした。

でもそれをやったところで、もしかするとまた同じことかもしれません。たぶん今回これで日本にラ・トゥールの名前は定着しますよね、では他の画家はどうなんだ、と言われると、たぶん17、18世紀の画家っていうとフランスだけ考えても本当に何千人っていう画家が仕事していたんですよね。そんな中で知られている画家って数えるほどですよ。10人、20人、専門家の間でもその程度だし、ましてや一般に知られる画家なんて片手で数えられるほどの数しかいません。美術家だけじゃなくて音楽家だってそうだし、文学者だってすべてそうですけどね。では、そういう人たちをどういうふうにして蘇らせていくのかっていうのは我々やマスコミの仕事なんですが、まあ、それを考えると少し虚しくなるような感じなんですけどね。えー、しかしやはりそうは言ってもそういう努力を続けていかないことには仕方がないとは思いますので。まあ、ある種そういう情報の修正というか、矯正というか、そういうことがこの展覧会の大きい、これは“個人的な”ですけども、モティベーションなんです。

 

じゃあ、例えば今まで西洋美術館はどんなことをやってきたかといえば、今回ラ・トゥール展をこうしてやれたということには、もうひとつ言えば西洋美術館自体が今までずっと西洋美術の地道な蓄積をしてきたという事実があると思うんですね。そういう土台がなければポンとジャンプしようと思ってもなかなかできるわけではないので……。

えー、ちょっと寺島さん、すみません、ちょっとそれ出してみてください。

例えばこれは、80年代にやったエル・グレコの展覧会ですね。これはなかなか素晴らしい展覧会でした。企画したのは今、横浜美術館の館長をしている雪山さんですけども、たぶん戦後のオールドマスターのワンマンショーとしては本当に記憶に残る展覧会だったと思いますね。

 

 

それからつい数年前ですが、これは今学芸課長をしている幸福という私の同僚が企画したものですが、クロード・ロランの展覧会。サブタイトルは何でしたっけ? クロード・ロランの……「理想風景画」。どうもありがとうございます。

大変これも綺麗なワンマンショーでしたけどもね。クード・ロランなんかは全くラ・トゥールと同じ時代を生きた人で、ロランというのはロレーヌの人ということですから、まさに故郷も同じ、でもたぶんこの二人はほとんど個人的な交流はなかったんじゃないかなと思います。片方はずっとイタリアへ行っていましたしね。まさに17世紀フランスの古典主義的で明澄な世界を扱った画家ですけれども、何かラ・トゥールの世界とも共通点もありまた対極にあるような世界でもありますね。はい、スライドありがとうございます。まあ、ラ・トゥールの展覧会がここに至ったまでの蓄積というのは実は大きいんですね。

えー、今度はちょっとあれを出してみて、スライド。

で、この右側のスライドは何回も皆さんご覧になっていると思いますが、この展覧会を企画する切っ掛けになった《聖トマス》ですね。西洋美術館が去年三月に購入したもので、これがなければ本当にこの展覧会は成立しなかったと思います。

左にいる人はこの《聖トマス》のモデルではなくてですね(場内…笑)。……こうやって出すと似てるなあと思いますけど、ルーヴルの前館長のピエール・ローザンベールという人ですけども、まあラ・トゥールの大専門家の一人ですね。

で、なんでこういうふうに出したかといいますと、このローザンベール、もしかすると『ダ・ヴィンチ・コード』のなかで殺されるルーヴルの館長がいますよね、あのモデルになっているのかもしれない人ですけど、今彼はリタイアして、義理のお嬢さんがイタリアの貴族と結婚してヴェネチアのパラッツォに住んでいますからそこへ行ったり来たりして悠々自適にしています。ご本人も大変お金持ちで、再婚相手がなんとあのロスチャイルド財閥のお嬢さんでしたから、それも同じアパートに住んでいて、どうもそのロスチャイルドのお嬢さんが飼っていた猫が迷い込んできちゃって、それで知り合ったというね、どこかの映画にあるようなお話で。私も昔からよく存じ上げているんですけども大変ハッピーに暮らしていらっしゃるようです。

実はこのラ・トゥールのこの作品、1987年にアルビという南フランスの、ロートレックの生まれた町ですけども、そこの農家から発見されたもので、すぐに91年にモナコのオークションにかけられて、それから日本にずっとある作品なんですね。

で、えーと右をもうひとつ。

これは今プラド美術館にある「ヴィエル弾き」ですね。右手でハンドルを持って、回して音を出そうとしてますけども、これ素晴らしい作品なんですけどもね。今回本当に借りたかったんだけれども借りられませんでしたが、二点が日本にあったんですね。

で、ローザンベールはこれが売られた後だったかな、90年代の前半だったと思いますけどね、日本にちょっと来て、そのときに私はラ・トゥールの良い作品が日本にあったのにどうして流出させたんだという話を聞きました。なんで西洋美術館は買わなかったんだと。なんかちょっと恥ずかしかったのは覚えています。

いずれにせよプラド美術館に売ったのは4億円近いお金でしたから、当時の西洋美術館の予算では無理だったと思いますけどね。それでもそのとき、もう一点あるよ、という話も出ました。先ほどの《聖トマス》はその作品で、その後もずっと日本にあって、それがつい最近というか去年の時点でどうも海外流出する可能性があるということだったので、私もこのローザンベールの話をすぐ思い出して、なんとかこれは食い止めないとと考えました。二度同じことをするのは恥ずかしいですからね。西洋美術館の見識もよほど疑われるわけです。で、なんとか結果的に日本に留めた、そういうことになったんですね。ですから私もローザンベールさんには大変個人的に気持ちとして感謝しています。そのことをまだ話したことはないですけど、実は。


 
 
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