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はい。では左を動かしてください。スライドお願いします。あっ、私か。私がやるのか。はい。ではそちらも。(PHOTO-09)
で、まあ先ほどから展覧会の話をずっとしてますが、せっかく今日みえた方はやっぱりラ・トゥールの作品の話も多少は聞きたいのではないかという気もしますけれども、まあ、ラ・トゥールの生涯とかそういうことに関してはNHKが「新日曜美術館」をつくるにあたって非常に短くまとめてくれたビデオが入り口で流れていますよね。あれは短いけれども良く出来ているので、むしろそいうところで見て頂いた方がいいかもしれません。いろんな美しい映像を使っていますしね。
ただ一応確認しておきたいのは、やはり先ほど言ったラ・トゥール自身のこういう制作の状況ですよね。これはちょうど17世紀の地図ですが、神聖ローマ帝国があって、ロレーヌという小さい公国があって、ここの小さなヴィックという町で生まれて、ずっと制作していたわけですね。ロレーヌ公国自体は神聖ローマ帝国の、形式的にはその一部、臣下ですから。ただややこしいのはロレーヌの人たちは基本的にはフランス語を喋る人たちで、文化的な視点からいけば、イタリアからスイス、アルザス・ロレーヌ、それからネーデルラントに至るこのまん中の土地というのは、元々は中世以来のある文化的なまとまりのある一帯だったんですね。それが右と左から、東と西から徐々に侵蝕されて現在はドイツとフランスという近代国家に飲み込まれてしまいますね。
で、さらにロレーヌをもうちょっとよく見ればこういう茶色い司教区が入り組んでいて、ですからこれはカトリックの司教領ですよね。でも司教領の政治的な代行というのは実はフランスがやっていて大変ややこしい。世俗の権力と宗教的権力が入り乱れていますね。
一方で北ドイツの方からスウェーデンにかけてはプロテスタントが圧倒的に勢力を伸ばしてきますよね。南ドイツからロレーヌを含めた南の方をずっとカトリック圏が17世紀には対抗宗教改革ということでプロテスタントに対抗するという図式ですね。もっとややここしいのは、ロレーヌとラ・トゥールが巻き込まれる「三十年戦争」自体が単純なフランスと神聖ローマ帝国との政治対立という以上に宗教的なものが絡まっていたことですね。ですからフランスはカトリックの国ですけれども、同じカトリックのハプスプルク家の神聖ローマ帝国に対抗するためにプロテスタントの国であるスウェーデンと同盟するわけですね。カール・グスタフのスウェーデンは大変に強力で北の方から南に攻め入ってくるわけです。で、それに呼応してフランスもロレーヌに進駐してくる。
そうした過程でラ・トゥールが制作していたリュネヴィルという町は焼かれます。彼のアトリエもおそらく焼かれて、町のなかにあったいろんな作品もたぶん破壊されているんですね。で、こういう非常に大変な状況のなかで制作していた画家なので、このあいだ新日曜美術館のなかで私は「チェチェンとか、それこそボスニア、イラクで仕事をしていたそういう芸術家を想像してください」というふうに言いましたけども。私もそんなに戦場を知っているわけではないけれども、60年代のヴェトナム戦争の頃のヴェトナムをちらっと垣間見たことが子供の頃にあります。でももちろん死臭が漂う戦場を歩いたわけでもないですが、一緒に話していた藤原新也さんはそういう経験がありますので、ラ・トゥールの絵は死というのを非常に色濃くそばに漂わせていると言ってました。
一方で今回の展覧会にでているジャック・カロという版画家、ラ・トゥールの同郷人で同時代人の版画『戦争の惨禍』というのがありますね。『戦争の惨禍』のなかでは木から死体が吊られたり、村が焼かれたり、殺されたりレイプされたりという状況がそのまま描かれていますが、藤原さんは「これは完全に演劇化された世界で、あまり死を感じないな」とも、また「死臭、死の臭いがない」という言い方もしていました。でも、実際にあまり周りに死が充満している所だと、人間はだんだん痛覚、痛みの感覚というのを麻痺させていく、それはよく聞きますよね。戦場に行く兵隊が皆そうだと。たぶんそういう状況なんだろうということも言っていました。
はい。ではそちらを動かしてください。(PHOTO-10)
左はラ・トゥールの生まれたヴィック=シュル=セイユという町ですね。なかなか宗教的な建物が多くてかなり栄えた町ですね。右が今のナンシー、ロレーヌ公国の中心であるナンシーの町。ここに見えるのは世界遺産に登録されていますが18世紀にできたスタニスラス広場というポーランドから来た王様が整備した大変綺麗な広場ですね。これもそうですね、ちょうど美術館の所ですかね。大変洒落て綺麗ですけども、18世紀は殆どフランスの傀儡のような、フランス王国に組み込まれる寸前の状況でしたけれども、やはりこの地域というのは中世以来、中世のフランク王国以来の文化的な伝統は脈々とあって、18世紀にもこういう大変綺麗なものをつくっているし、この後19世紀になればそれこそエミール・ガレとかアール・ヌーヴォーの作家達がまた出てくるんですね。
このスライドはロレーヌの公爵の宮殿ですね。で、そちらお願いします。(PHOTO-11)
今回来ている《蚤をとる女》というのはここの美術館から来ました。で、右もう一回お願いします。(PHOTO-12)
で、これは版画です。ちょうどこの当時の同じ場所。わかりますね、この像があって、ここにもありますよね。殆ど当時のままに残っていますが、こういうセレモニーがあって、そのときの群集と行列を描いた版画ですね。そして、これはそのときのロレーヌ公の葬儀の場面です。こうやって蝋燭を立てて、ずーっとこのような葬儀の葬列が続くわけです。まあ、ひとつ想像して頂きたいのは、当時のこういう“暗さ”の実態と感覚ですよね。
で、例えばラ・トゥール、ルイ13世、リシェリューの時代ですが、小説の「三銃士」の舞台となった時代でもあります。ダルタニアンですよね。パリではそういう時代だけれども、その後今度は17世紀後半になるとルイ14世の時代になりますよね。で、ヴェルサイユが造営されてけっこう華やかな、これこそフランスが完璧にヨーロッパの文化をリードした時代になりますけども、その頃のルイ14世だって、寝ている寝台、ベッドの所は手探りで歩かないと部屋の中は歩けなかったという記録があるくらいにね、そういう闇の中で暮らしていたんですね。
だから例えばルイ14世のヴェルサイユには今度は鏡の間なんかができますけど、やっぱりそれは鏡にシャンデリアの光が映って大変豪華に明るく見えたはずなんですが、今のヴェルサイユに行ったって本当に薄暗く見えますよね。こちら側のギャラリーの片側にずーっと鏡があって、その反対側の庭に面したほうから光が入ってきますよね。昼間はある一定の時間明るいけれども、それを過ぎれば夕方なんてホントに薄暗い。ですから実際には大変な闇の中で暮らしていたという部分が大きいと思うんですね。とくにヨーロッパの冬の暗さとかそういうことも考えると、一日に何時間も昼の明るさがない所で、暗いほのかな灯りの所で、生活していたということが分かります。だから、ラ・トゥールの絵の蝋燭の情景というのは、そんなに別に特異な効果を狙ったわけでもなくて、とても親しい感覚で皆見ていたはずですね。
もちろんラ・トゥールの描くようなああいう光のさまざまな効果は決してリアルなものじゃないです。それは、写真家の人たちなんかも、このあいだも映画監督の山田洋次さんと話していたら、こんなライティングあり得ないなと、ホントのプロだったら。それは藤原さんもそう言っていたし。たとえば逆光と順光が同時にあるようなライティングね。それはもう完全にフィクションの世界ですよ。ですからあまり混同しない方が良いと思いますけど。でもやはり、あるベースの感覚としては、大変に日常的なものがラ・トゥールの絵にはあり、当時の生活の実像と共通したものがあったと思うんですね。
はい、そちらお願いします。右、もうひとつお願いします。(PHOTO-13)
これなんかは公爵の宮殿におけるイベントですけどね。いろんなページェントなんかが繰り広げられていたわけですが、まあそれだって、こうやって版画で見れば、全く明るい世界のように見えるけれども、じつはじつは、もう本当に光と闇の世界ですよ、たぶん。で、このあいだのコンサートをやってくれたル・ポエム・アルモニークという古楽器のアンサンブルは今とても売れているグループですのでヴェルサイユの「シャペル・ロワイヤル」、王宮礼拝堂を使ってモリエールの「町人貴族」を上演する、その音楽演出をやると言ってましたけども、それも3000本の蝋燭を使ってやるんだと。火事にならないか、ちょっと心配ですけどね。だけど、そういう所で見るものって全然違いますよね。日本だって、現代の明るい照明で見る歌舞伎と昔の歌舞伎とでは見えるものが絶対違ったはずだし、それはある想像力で補っていかないとわからない部分がありますね。
右お願いします。(PHOTO-14)
これがさっきちょっとお話したジャク・カロですけどね。こんな大きくしてみると不思議だけども、会場で見ればホントに小さいものですよね。まるで干物を干すみたいにこうやって干していますけども、とてもルポルタージュ風の、ほとんど感情移入をしていない、そういう描き方ではありますね。
えっと、右お願いします。(PHOTO-15)
こういう情景を見れば、彼の町のリュネヴィルの町がフランス軍に略奪された時はたぶんこういう状況だったと思いますよ。で、ラ・トゥールは58歳まで生きますけども、晩年はたぶん自分の作品がこうやって、おそらく今残っている四十数点から考えればその十倍程度は描いていたはずなので、たぶん7割8割の作品というのがこうやってなくなっていったのを実際に目にしているわけでしょうから、そういう心情は推し量らなければいけないものだと思いますね。
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