「私と芸術−三鷹時代からの半世紀−」。4月22日(土) 、詩人ゆかりの街である三鷹市の三鷹市芸術文化センター・星のホールで「詩人の眼−大岡信コレクション展」を記念する対談が開催された。

 

 ●大岡信、大岡玲 両氏の登場

1931年静岡県三島市生まれの大岡信氏は57年(昭和32)に結婚、三鷹市上連雀に転居する。翌年長男玲氏誕生。三鷹に住んだのは71年までで26歳から40歳までの期間、この時期に読売新聞外報部勤務から詩人・評論家に転身した。美術批評の分野でも目覚ましい活躍を開始する時期であり、現在400点あまりという美術品の収集もこの三鷹時代に始っている。

“大岡信×大岡玲”という対談の組み合わせは、親子でありながら、日本を代表する詩人・評論家とNHK「日曜美術館」の元司会者というブッキングでもある。玲氏は終始「父さん」と呼び掛け、軽妙な語り口で大岡氏の芸術に対する思いを引き出していく。その問いかけに答えるかたちで、大岡氏自らの言葉によってコレクションの成り立ちや作家たちとの交流についてが語られた。


大岡信 OOKA Makoto/詩人

1931年静岡県生まれ。文化勲章受賞。日本芸術院会員。
詩集『記憶と現在』『故郷の水へのメッセージ』(現代詩歌椿賞)『世紀の変り目にしゃがみこんで』、評論『現代詩人論』『詩人・菅原道真』(芸術選奨文部大臣賞)『紀貫之』(読売文学賞)『折々のうた』(菊池寛賞)/美術関係書『芸術マイナス1』『眼・ことば・ヨーロッパ』『美をひらくとびら』他多数。

「流浪の生活のように生きてきた。流浪の一端として三鷹にきた」と切り出した詩人は、三鷹で暮らした時期の住宅事情から話し始める。読売新聞外報部で懇意にしていた先輩の住む家が空家になることに――「偶然のこと」で、そこに移り住んだ。「小さい家は当たり前。家の前には美しい花の咲き乱れるような小さな庭があったが、その後ろ側の家たるや傾いていた」。まもなく長男が生まれようというときのこと、狩野川台風(1958年9月27日神奈川県に上陸、伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えた)の際は妻と二人で一晩中家の戸を押さえていたという。

あきらかに当時の“庶民”の住宅に違いなく、そこにはまた庶民の暮らしぶりも窺えるが、すでにこの時期、大岡は美術雑誌に盛んに寄稿し、美術書の翻訳・解説を手掛け、まもなく初の美術評論集も上梓することになる。そうした活動のなかから数多くの美術関係者たちとの交流が始まった。

対談の一部を紹介しながらコレクション生成の経緯をたどろう。



 

大岡玲 OOKA Akira/小説家・東京経済大学教授

1958年東京都三鷹市生まれ。
東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒
同大学院外国語学研究科ロマンス系言語専攻修士課程修了
'89年に『黄昏のストーム・シーディング』で
第2回三島由紀夫賞受賞。'90年に『表層生活』で第102回芥川賞受賞

【大岡玲】 あの家は結局どういう構造になっていたかというのがわからなくて。父さんが仕事をしていた寝室兼居間みたいになっている所がありましたが、あれは和室で、私が二段ベッドで寝ているところはじつは玄関だったんですね。玄関の戸は開かなかった(笑)。その玄関から入っての、あれは二畳程ぐらいですかね。変な間取りですよね。そこに二段ベッドを入れて、あそこの脇にも小さい机かなんかがあって、そこでも仕事してましたよね……あれだけ長い間住んだっていうことは、何か気に入った感じがあったんだと思う。

【大岡信】 家族の皆さんは大変に迷惑していたと思いますけど(場内…笑)、私は結構気に入っていたんだな。家そのものが、かなりオールド・ファッションだからね。そういう意味では私には趣味に合ったんだ。新式な家はダメなんだね……竹薮が裏にあってね、お前さんと妹の亜紀さんが、裏のおばちゃんのところにね、とても気に入って遊びに行っていた。

【大岡玲】 あの傾きかけた家に、美術家の人たちって遊びに来てました?

【大岡信】 いや、そうでもなかったね。井口の方に行ってからの方がそうかもしれない。美術家としては宇佐美圭司君が奥さんの爽子さんと一緒にときどき来ていたね。

【大岡玲】 ちょうど私が物心ついたぐらいの頃から美術評論とかの、そういった活動がすごく盛んになってきて、それにあわせて作り手の方たちとの交流も増えていったのかなあ、という気がして……。

 

 ● 加納光於《波》1960年
 ※大岡信コレクション第一号
 (当時の購入価格 5000円)

大岡信は1963年に読売新聞社を退社し、同年10月渡仏して「パリ青年ビエンナーレ詩部門」に参加する。

新聞社勤務時代にはすでに南画廊主・志水楠男やそこで紹介された海外の作家たち、そして南画廊を拠点として活動を始めようとしていた新進作家・宇佐美圭司や、コレクション第一号となった版画の作者・加納光於などの国内美術関系者と出逢っていた。加えて、あらたに渡仏後に知り合う現地の画家、邦人美術家を含めた交流を通して「大岡信コレクション」が形成されていったようである。

コレクションは、それ自体が目的化された趣味といったものではなく、「自然の成り行き」だったという。――「絵のコレクションみたいなことをする気は全然ないけどもね、自然に集まってきちゃったっていうことがあるんだね。とくに僕の場合にはサム・フランシスとかね、ほかにも外国の作家が何人か知り合いですけど、そういう連中がくれたりすることがありますね」(大岡信)

また今回の展示の主軸をなす複数の造形作家たちとのコラボレーション、とりわけ加納光於と共同制作した作品のように詩人の手が直接加わった所蔵品の数も次第にふえていく。美術批評の分野にいた詩人・大岡信は、自作の「詩」を素材としながら美術家たちと共作することで、当時の現代美術の領域に直接足を踏み入れていった。そうした作品群に反映されているのは、批評家としての「見る側」の視点というよりは、“言葉の実作者”がもつ「詩人の眼」だったのかもしれない。それだからこそ、数多くの芸術家たちとの親密な関係を築くこができたのだろうし、こうしたコレクションも自然なかたちで成長していったといえるのではないだろうか。気鋭の詩人が分野を踏み越えて行動するのだから周囲はその磁力に引き付けられていったに違いない。結果としてそこに浮び上がるのは、この時代における大岡信という詩人の人間性とその求心力だと思える。

 

三鷹時代の思い出に続いて、スライドによる展示作品解説が行われた。

1 美術評論家・東野芳明による写真《シャドー》制作年不詳
2 滝口修三《リバティ・パスポート 詩人旅行必携》1963年
3 駒井哲郎の版画作品
4 加納光於の作品

……と、所蔵作品とその作者との交流の話題が続いたところで、今回の展示で最大の絵画作品が写し出された。宇佐美圭司の《オールド・ファッション・アーケード》。縦が2メートル以上という大作は会場でもひときわ眼を引くものである。この作品所蔵の経緯については、今回の対談で語られた内容と実際の事情には食い違う点もあるようだが――当初の所蔵作品はもっと小さなもので、後日、本人の申し出によって当時の代表作であるこの作品に取り替えられた(宇佐美氏談)――この逸話は、美術作品に接する詩人の姿勢とともに美術家との交流の一端を窺うことのできるものであり興味深い。 当時を懐かしむように回想が続く。

 

【大岡信】 これは宇佐見圭司のでかい絵で、これはね、非常にエピソードがあってね。宇佐美圭司が、ある年の12月の25日頃かなあ……。

【大岡玲】 暮れですよね。暮れも押し迫った頃。

【大岡信】 暮れも押し迫った頃に電話をかけてきたか、うちに来たのか忘れたけれども、「大岡さんにちょっとひとつ絵を預かってもらいたい」ということでね。「何だ?」って言ったら、「年が越せない」って。

【大岡玲】 じゃあこれは、言ってみれば“お金を借りたい”と。借金の形に置いていくということですか。ほとんどなにか質屋だか高利貸しだか……。まあ、高利は取らないから高利貸しじゃないですけども。言ってみれば質屋みたいなものですね。それでこれは結局“質流れ”でうちに来ちゃったわけでしょ。

【大岡信】 そうそう。 5000円じゃないけどね(場内…笑)。いくらだったかなあ……。

【大岡玲】 基本的にお金の多寡はわからないですけど、全然ね。これは全部母親の担当で、お金の多寡は5000円も、5万円も、50万円も一切よくわからない。

【大岡信】 私は全然、お金の計算はできないですから。

【大岡玲】 でもいくらかを貸してあげるというか。で、結局それを買った格好になるわけですね。

【大岡信】 それで年が越せるようになってね。年が越せたんだよ。だけどじゃあ宇佐美が来て、(絵を)持ってきてくれたからね、これはいつどうやって返したらいいんだって言ったらね、「大岡さん、僕はこれを描いたけれどね、べつに俺がもっている必要はないと思う。大岡さんの家に置いてくれれば一番いいな」って言うんですね。それで置いてくれたんですね。で、「これを、このあいだ大岡さんに借りた金を、これを買う金にしてくれ」って言うからね、それはもう、もちろんそれで結構ですよと。これは……こんな大きい絵は我が家に掛けられない。

【大岡玲】これはいつの家の時代でしたっけ。三鷹の井口の方でした?

【大岡信】 三鷹の井口かなあ。

【大岡玲】 小さい家ですよ、あそこも。たしか二十数坪ぐらいの敷地で。

【大岡信】 あの……井口だな。井口の家だ。

【大岡玲】 
それは、だってとんでもなく何もないような、私がイタズラ書きをする階段のところの壁があったくらいで、他は何も別にスペースがないから。これ(絵)はたしか高さが人の背くらいありますよ。これはどれくらいだろう、120号くらいか。

【大岡信】 これは家でね、家でこれを……。まあ、言ってみれば、家の支えみたい。(場内…笑)

【大岡玲】 それは危ないでしょ。絵が可哀想。

(中略)

【大岡玲】 「家の支え」とか言ってるわけですから酷いもんだと思いますが、まあ。非常にそういう意味でいうと……。

【大岡信】 それだけね、親しみがあるってことだよ。

【大岡玲】
 だから美とかそういうものを、しゃっちょこばって考えるっていうことは、まず私は子供の頃からなかったというのは、たぶん父親がそういうふうにやってきたからで、それはある意味で非常に感謝していることですね。いわゆる美術を美術館でかしこまって見る、それはもちろん美術館ではかしこまって見るものですけども、それだけじゃないんだ。もっと血が通って非常に暖かいもので、それをつくっている人たちとの交流を子供の頃から見てくると、全然こう、美術っていうものに対する考えが違ってくるんですね。ですからそれは私は非常に幸運な環境だったなと思うんですが、でもそれはじつはどういうケースでも言えることだと思うんですが、皆さんが絵を見る時にあまりしゃっちょこばって見るっていうのは、じつは芸術の側でも喜んでくれないことなんじゃないかなという気がするんです。ですから今回のうちの父親のコレクションというものの意味もたぶんそういうあたりにあるんじゃないかなあ、という気がしているんですけど、いかがでしょうか?

【大岡信】 いやあ、まことにありがたいことですね(場内…笑)。本当にその通りで、そう思いますよ。美術作品っていうのはそういうふうにしゃっちょこばって見るものじゃないですね。まあ、蹴飛ばしたりなんかすることはないですけど。

【大岡玲】 それはいくら何でもやり過ぎ。


【大岡信】 絶対それはよくないけどね。そういう馬鹿なことをしなければ、美術品っていうのは非常に親しみをもって見るべきものだからね。その、有り難そうに見ているのは良くないという気がしています。






 1963年のはじめての個展に大岡信さんが『5つのヴァリエーション――宇佐美圭司のために』という詩を贈ってくれました。

 私の絵より迫力があるのではないかと秘かにおそれをいだいたすごい詩でした。私は展覧会のオープニング当日、カタログを見てはじめて詩を読みました。五連すべてでは長くなるので最後の第五連だけ引用させていただきます。


  薄くそぎ落された

  白い線条の網目

  宇宙的な檻の輝き

  もがいて逃れようとする

  青いけものの眼に

  ひろがる仄暗い遊星の水たまり

  遠近法の包囲をやぶっても

  現れるのはもうひとつの空間の檻か

  たてがみをふるわせて

  青いけものは叫ぶ――

  この見なれぬ星の

  精霊はなにものか


 
「遠近法の包囲をやぶる」とは抽象絵画の成立のことを言っています。大岡さんには『抽象絵画への招待』(岩波新書)もありますし、最も若書きのもののなかにもたしか「抽象絵画を支持する」という発言があったと思います。

 しかし問題はその次の行
「現れるのはもうひとつの空間の檻か」です。「か」は一応疑問形ですが、それに続く四行を読めば、それがすこしやわらかくした断定であることがわかります。


 中世の空間の檻を遠近法が打ち破り、イタリア・ルネサンスが誕生しました。その戦いは、ウッチェロ、ピエロ・デラ・フランチェスカからダ・ヴィンチ、ラファエロに到る多くのすぐれた表現者を生み出します。その後500年続く遠近法の包囲。そして20世紀の初頭ピカソやマチス、カンディンスキーやモンドリアンたちが今度はその空間の包囲を抽象的な表現によって打ち破ります。しかしそれが解放として現象するかに見えるのはわずかの間、マルセル・デュシャンではもうそれが一つの空間の檻として認識されています。

 大岡さんは、空間は私たちがそこで認識を成立さす場であり、それはとりもなおさず一つの檻として現れるのだと詩っています。

 原始的な空間でも、中世的なそれでも、又現在私たちをとらえている空間でも、芸術家はその空間のなかで表現を成立させるのではなく、その空間と戦うことで表現を成立させねばならない。最後の四行はその表現です。

 「青いけもの」は一応私のことを言ってくれたものでしょう。しかしそれは大岡信その人のことでもあるのです。「見なれぬ星の精霊」とは未知の空間を旅するものです。

 お前は抽象表現を乗り越えて未知な空間に到るのだと励ましてくれています。

 ここには希望と屈折する歴史があります。

 抽象絵画の成立は半世紀前のヨーロッパ。

 それを受けてそこからの脱出解放のもさくがすでに西欧の現代美術ではじまっている。

 抽象絵画と脱抽象絵画を同時にキャッチするのが日本の一人の若い画家です。詩もまた同様な歴史的現実を背負っているのを大岡さんは強く認識されていたのです。

 空間の檻を私はどう乗り越えていくのか。大岡さんの呼びかけに答えた作品の一つが二年後の個展(1965年)で発表した《オールド・ファッション・アーケード》でした。




●「詩人の眼 ─ 大岡信コレクション展」会場にて
《オールド・ファッション・アーケード》1965年 油彩・カンバス

宇佐美圭司/画家
1940年大阪府生まれ。'63年南画廊で初個展。'89年日本芸術大賞受賞。'01年「宇佐美圭司・絵画宇宙」展(福井県立美術館)開催により
2001年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。/著書 『心象芸術論』'93年(新曜社)で宮沢賢治奨励賞受賞。

 

対談の第二部では聴講者からの質問が紹介されて、大岡信、大岡玲両氏がそれに答えた。なかでも下記の二つの質問に対する応答は、詩人・大岡信が美術作品を観る際の根本的な考え方について平明に語ったものであり、深い共感をおぼえた。


【司会】Q1 コレクションのなかには抽象作品が多く含まれるようです。具象作品と抽象作品というふうに区別するのもどうかとは思いますが、とくに抽象作品についてのお考えがあればお聞かせください。

【大岡信】 あのね、僕は、具象と抽象というふうに言うけどね、その区別すること自体がね、よくわかんないんですね。別に具象作品でもいいものはいいしね。だけど抽象作品はね、みんなが“わかんない”って避けるようなものじゃない。そんなものじゃなくて、抽象作品というのは親しみをもって接すれば具象作品よりもずっと面白いものがあるというふうに僕は思っているんですね。

その理由を言えっていわれると難しいけどね。抽象を見慣れてきて久しいからね、そういうこともあるかもしれないけど。だいたい抽象作品の方が‥‥‥(サム・フランシス作《大岡の月》のスライド画像を見上げて)こういう絵がありますけど、こういうものを見てもね、ひとつの作品について見どころがいっぱいあるという気がするね。だけど具象作品ではね、どういうものを描いているか、どういう人を描いているか、どういう有名な女優さんを描いているかとか、そういうことにいっちゃうとね、それにいってしまって絵というものの他のいっぱいあるはずの見どころを見ずに一点だけで集中して見てしまう……ということがあるんじゃないかという気がするんですね。

【司会】 そうですね、抽象の方が想像力を働かす可能性があると。一般には抽象とか現代美術といわれるとそれだけで……。

【大岡信】 何か、みんなパッと閉ざしちゃうらしいけどね。そういうものじゃないと思うんですね。

【司会】Q2 今では銀座の画廊等でも一般客が作品を購入できる時代になった。大岡氏が作品を購入する際の基準とは?

【大岡信】 「基準」っていうのは「決まり」ということですけど、決まりは全くないと思いますけどね。ただ、一番大事な点は、自分がどうしてもこれを好きだ、なんとかして自分の手元に置きたいと思う気持ちがあるかどうか、そういう気持ちになったらかなり無理してでも買うべきものは買った方がいいという気がしてきますね。

【司会】
 かなり無理してでも…

【大岡信】 だからね、皆さんがこの三鷹の美術館においでになっているのは、僕のそういうものを観てくださるためにおいでになっていらっしゃるわけですけれども。やっぱり、そうですね、買ったものもあるし貰ったものもあるし、なんとかして自分で手に入れようと思って持ち主にかなり交渉してね、安くしてくれないかと交渉して買ったものもありますけど。しかしいずれにしても、これはどうしても自分が欲しいと思うものがあったら、それは絶対に手に入れるつもりで相手に交渉するしかないと思いますね。

【大岡玲】 「基準」っていうと、なんかこう、絵を見たときに向こうからパーンって自分に呼びかけられるようなものがあって、自分もそれにワァーッと応答するっていう、そういう感覚ってあるわけですよね。そういうときはそれがどうしても欲しいっていうふうに言い寄るしかないわけで、それが、画家が有名だからとか無名だからとかそんなのは関係ないですね、全然。基準は常に、自分がその絵がどういうふうに好きか、かかわりがもてるのかということですね。




 

なごやかな雰囲気と笑いに包まれた2時間のトーク・ライブ。大岡玲氏の巧みな話術に誘われて、その父、大岡信氏の、芸術をこよなく愛する姿が浮び上がるひとときであった。詩人の眼は何を見つめてきたのか、そしてその視線は、これからどこに向けられるのか――そうした興味の尽きない対談が幕を閉じた。

今回の展覧会を記念するように、4月25日、大岡信の美術論が新たに刊行されたばかりである。今までに公刊された美術論集に所収されなかった原稿が集められ一冊の本にまとめられている。『生の昂揚として美術』――その目次に眼を通しながら、三鷹のギャラリー壁面を埋めていた作品群に思いを馳せてみた。

 


『生の昂揚として美術』
発行:大岡信フォーラム
発売:花神社     
 定価 (本体2000円+税)

 

 
大岡親子が語る「コレクション」生成の経緯
 
 
 
 
 
 
SPECIAL EDITION

「詩人の眼 ― 大岡信コレクション展」〜 詩人は、どの地平から美を見ていたのか
 


寄稿  宇佐美圭司(画家)

協力  三鷹市芸術文化振興財団・三鷹市美術ギャラリー / 朝日新聞社

企画・制作  イワサキ・ミツル

 

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