阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼する鎮魂の祭典、神戸ルミナリエも間近に迫った12月6日、「オルセ−美術館展――19世紀 芸術家たちの楽園」が開催されている神戸市立博物館を訪れた。

大規模な美術展、人気のある展覧会が各都市を巡回するのは珍しいことではない。オルセ−美術館展は、今回も含めて過去10年間に3回がこの神戸と東京で開催されている。印象派&19世紀美術の殿堂、オルセ−美術館のコレクションを鮮やかな切り口で呈示してきたテーマの的確さ――それが“長寿展”の秘訣かもしれない。

9時30分の開門。若い誘導スタッフたちの「おはようございます!」の声が明るく響く。

 

同じ美術展ならどこの会場で見ても同じこと、と思われてはいないだろうか。実はこの会場の前に立つまでは筆者自身がそう思い込んでいた。

神戸市立博物館は昭和初期に建てられた銀行の建物を利用している。建物自体がすでに登録文化財に指定されているのだ。ギリシア神殿を思わせる偉容は、歴史に支えられたヨーロッパ美術を紹介する会場として相応しいものだろう。美術展会場は日常から飛翔することのできる異空間に違いない。ならば、その空間へと誘う入口はできるだけ厳かなものであって欲しいと思う。一歩足を踏み入れたら、ただちに“美の世界”に引き込んで欲しいからである。

 

 

 

「オルセ−美術館展――19世紀 芸術家たちの楽園」はテーマ別に5つのセクションで構成され、絵画、彫刻、工芸、写真の計140点の作品から成り立っている。

第1のセクション[親密な時間]にはピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、モーリス・ドニ、オディロン・ルドン等の画家たちの作品が並ぶ。

タイトルの「親密な」という言葉が示すように、特定の人物との親愛の情をともなう継続的な関係(「時間」)のなかで制作された作品群である。ドガは婚約中の妹を描き、ルドンはひとり息子のアリを、ホイッスラーは母を描いた。

《 ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子供)》
ピエール=オーギュスト・ルノワール

画家と描かれた人物との間には通いあう情愛だけが存在している。この“理屈抜き”の関係を絵画のなかに見ることの安らぎ。芸術家がパトロンや雇い主のためだけに描いた時代は遠ざかり、19世紀後半の画家たちの筆さばきは軽やかだ。

ルノワールは親友マネの姪、ジュリー・マネを描いた。ジュリーの両親の死後は彼女の後見人にもなっている。画家のスタイルが印象主義を離れ新古典主義の絵画に近づきつつあった時期の作品だけに、いくぶん硬質な印象を与えるが、愛らしい少女に抱かれた猫の姿には、ついこちらの表情もゆるむ。

 

 

 

 

やはり人気のある画家の作品の前には人だかりができるようで、前夜、無人の会場を撮影をさせて頂いたおかげで、こうして会場の壁面の色合いとともに作品をご紹介することができる。

それにしても、この黄色い色をした壁面が新鮮である。黄色といっても“どぎつさ”はなく、彩度は下げて明度をあげたような、つまり若干の白を加えたような目に優しい色調。重厚な印象を与える博物館に足を踏み入れたとたん、どこかでふわっと軽くなるような感覚は“外光派(印象派)”をメインにした美術展会場に似つかわしいものだろう。

博物館を“美術展仕様”に模様替えする際にはいろいろな工夫がされると聞いていた。美術展のコンセプト(企画)に対するのがプレゼンテ−ション(展示)であるなら、「オルセ−美術館展」神戸会場には、そのプレゼンテ−ションのための並々ならぬ意欲を感じる。

 

 

 

土地にまつわる記憶やつよい思いというのは誰にもあるもので、それは心ひそかにしまっておかれるものかもしれない。

しかし画家たちにはそれさえもモチーフとなり得るのであって、個人的な思いで画面に定着された「特別な場所」は、人々の共感を得るイメージにまで高められていく。ときには一種の既視感さえともないながら‥‥‥。

マネ、モネ、ピサロ、シスレー、スーラといった、印象派から後期印象派にかけての作品が並ぶこのセクションには、マネ《ブーローニュ港の月光》、モネ 《アルジャントゥイユの船着場》、シスレー《洪水と小舟》、そして ジョルジュ・スーラの《ポール=タン=ベッサンの外港、満潮》というふうに、水辺、あるいは水そのものへの回帰を思わせる作品が比較的多くみられるようだ。

正面はクロード・モネの 《 ルーアン大聖堂 》

クロード・モネの《ルーアン大聖堂》はこのセクションの入口にかかげられ、絶妙なライティングのなかに輝いていた。ゴシックの大聖堂に当たる光そのものをモチ−フとして描かれた連作のひとつで、うつろいゆく光を重厚なマチエ−ルのなかにとらえた、あまりにも有名な作品である。

この作品を見てから左奥に進むのが順路。展示室の後半から第3のセクションになるのだが、ここでひとつ気がついたことがある。どうしたことか、いつのまにか会場壁面の色が変わっているのである。

第1室の黄色からすると、やや赤味を帯びたベージュ、あるいは明るい茶色への変化といったものか。この壁も落ちついた色合いで、とくに違和感はなく、むしろ順路を先に進んで別のコーナーに来たことを教えてくれているかのようである。なるほど、展示空間そのものの色彩環境についても、こうした工夫があるのだと感心する。

 

 
ジャン=フランソワ・ミレー 《 グレヴィルの教会 》
 
水辺を描いた作品の多さが印象に残る
 
 
 
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