●ファン・ゴッホの《ゴッホのアルルの寝室》について


 

●フィンセント・ファン・ゴッホ 《ゴッホのアルルの寝室》

―― 今回の展示にも誰もが認める名作が並んでいます。そのなかから、とくに神戸という開催地にちなんでファン・ゴッホの《ゴッホのアルルの寝室》についてお聞きします。

かつてこの神戸には「川崎造船所」(現在は「川崎造船」)がありました。その初代社長の松方幸次郎(1866〜1950年)は神戸の経済的基盤を築いた人物のひとりであり、彼の収集した美術品は「松方コレクション」としてひろく知られています。

松方が第一次世界大戦中から昭和の金融恐慌時までヨーロッパで収集した美術品の一部については第二次世界大戦中、フランス国内で保管されていた。しかし諸事情で戦後もフランスに残され、後年そこから17点を除いた作品が大戦後の日仏平和条約の際、日本に返還されたという経緯があります。

岡さんも11月17日付けの日本経済新聞(関西版)で書かれているように、今回来日している《ゴッホのアルルの寝室》は、そのフランスに残された、日本で言えば国宝的な作品17点のうちのひとつです。それが松方ゆかりの土地である神戸にやってきたことについては、さまざまな思いがあるのではないでしょうか。

岡   今まで何度オファーしても借りることのできなかった《ゴッホのアルルの寝室》が今回来ているということですよね。これは(保存)状態が悪いということで今までダメだったんです。それに加えて、ゴッホの作品は目玉ですからオルセー美術館の常設から外すのが難しいという事情があったかもしれませんけど‥‥‥。

この作品が松方コレクションのひとつだったということを言わなくても、今回のテーマに沿って言えば[はるか彼方へ]のセクションではゴーガンの自画像と並ぶ重要な作品ですね。ゴッホの作品が浮世絵やゴーガン、エミール・ベルナールの影響を受けて平面化していくということは美術史にとってすごく大事なことなのです。展覧会としてもコンセプトのなかにしっかりと組み込まれた作品です。

神戸だから、松方コレクションだからということだけはでなくて、何度もオファーしてきたものが今回神戸に貸し出されたというのは、学芸員としては「これが神戸にきた!」っていう喜びがあります。「松方コレクション展」(1989年、神戸市立博物館)のときには貸りることができませんでしたので。

もし戦争がなくて、この絵が日本に置いてあったら‥‥‥。もし、それから戦争が起きて神戸大空襲にあっていたら、この作品は焼けてしまっていたかもしれませんね。実際に戦争でなくなってしまったゴッホの作品もありますし。

―― 松方がコレクションを日本に持帰れなかった理由のひとつは関税が高かったからだとも聞きますが。

岡   諸事情はありましたが、それもありますね。10割の奢侈税があって、それを日本の税関が日本へ運び込まれる際にかけようとしたことがあり、松方は憤慨してヨーロッパへ送り返したというのが実情のようです。

松方は国のためにと思って(美術館計画を進めながら)美術品収集をしていたけれど、それが自分の楽しみや道楽、贅沢のために買っていたということにされてしまって。彼の収集は本当のメセナの気持ちですよね。それが理解されなかったという悔しい思いがあったでしょうね。


―― この作品について別の角度からもお伺いしたいのですが、本展のテーマは「19世紀 芸術家たちの楽園」です。 ゴッホにとって憧れの国であった日本。その“仮想・日本”としてのアルルが楽園だったことはわかります。しかし具体的なイメージとして、誰もいない無人の部屋を描いたこの作品が、どのように「楽園」と結びつくのでしょうか。

 

岡   ゴッホの手紙を読むと、彼はこの作品の第1作目を描く前と描きあげた後にすごい充実感があるんですね。本当の満足感があった。

朝の新鮮な光のなかでこの作品を描くと彼は言っているんですよ。一気呵成に描くのではなくて、自分のコンディションがよくて光の調子のいいときに描こうとしている。それで描きあげてみて、すごくいいものができたということで自信作だという晴れやかな気持ちで弟のテオに手紙を書いているんですよね。

だからゴーガンをアルルに迎えるにあたっての高揚感と……それと彼はその頃、芸術家村的なものを夢想しているんですね。

ゴッホの芸術家村というのは、それぞれがディスカッションしながら高めあって創作をするという、日本の職人たちの制作工房のようなものを思い描いているんです――ホントは日本にそんなものはほとんどないですけど。どうやらそういうものを考えていて、そこにゴーガンがやってくることによって、ゴーガンの強い個性に寄り掛かりたいとか刺激を与え、また受けたいという願望があったかもしれません。

その頃のゴッホは、ゴ−ガンの進もうとしていた「綜合主義」の考え方に近寄っていこうとしていたということもあるだろうし、輪郭線を強調した《アルルのダンスホール》のようなゴーガン・オマージュとも思える作品もアルルで描いていますね。晩年のゴッホになる前の、もっと構成的な、輪郭線のきちっと取られた、それでいて点描法を弱めた新しい画法へのターニング・ポイントをこの作品はもっていると思うんですね。

―― 心情的には、新生活と(制作上の)新境地の予感で「楽園」だったということでしょうか。

岡   そうでしょうね。浮世絵のような平たい色の面を組みあわせ、強い色彩を配した世界を油絵でやってみたらこういうものが出来上がって、ゴッホにとって、それはそれなりにかなり満足のいく新境地であったということですね。浮世絵から得たインスピレーションを自分なりにアレンジして描きあげた作品でしょう。

ただ、この絵のためのデッサンを見るとかなり秩序立てて描いているんですよ。画面は横長できちっとしたデッサンなんです。だけど油絵の方では、室内の椅子は見下ろしたように描かれているし、ベッドは見上げている。視線のバランスは浮世絵のように自由で、堅苦しい遠近法から解放された視点で構成しています。

ゴッホのなかで一度取り込まれたイメージがもう一度合成されて吐き出されている感じで、逆に動きがあって見るものを勇気づけるような活気があるんだけど、それはアカデミスムの眼からみれば歪んでいるとも思えますね。彼の芸術が新しい表現主義の方向に進もうとしている――ある種の充実感がここにはあります。“自分としても良く出来た”と感じたのでしょう。だから同じ構図の絵を3回も描いたと思うんです。

――たしかに、誰もいない部屋なのに寂寥感がありませんね。

岡   ないです。なにか南仏の光が揺らめいているようなハッピーな気持ちになるんですよ。この絵には、晩年の作品のような痛々しくて“壊れている”というような感じはありませんね。とくにオーヴェール・シュル・オワーズで描いた作品群は見ていて辛いですよ。確かにやっぱりそこにはルナティックな苦悩があるから。この作品は「耳切り事件」を起した後の作品ですが、むしろ狂熱的な集中力は感じるけれど決して思いつめたような感じはないですね。

僕がカタログの論考に書いたのは、ゴッホは黄色とかオレンジとかの強い色彩を使って幸福感を表すということを念頭においていたことです。それを自分の表現のテーマにしていた。強いあざやかな色彩を実験的に用いて安らぎを表現することもできるはずだ、だからそれに挑戦してみるんだというやり方ですよね。

色彩を(象徴的な意味で)自分の感情を表現するのに使うというのを、彼は制作のコンセプトとして打ち出して文章にも書いていますから。それを有言実行して満足できるものが出来上がったのがこの作品ですよね。

だから「楽園」っていうのは、霊感を得てインスピレーションが降りてきて、それを表現することのできた場所ということですよね。決して幸せばかりではなくて、内面的なもの、苦悩とかもありますよね。

ゴッホの場合は、この絵にまつわる充実した時期にそれがあるだろうと。おっしゃったように、自分に霊感を与えた芸術の国――日本を楽園と夢想し、浮世絵の表現を解釈しているわけですし。本質的な人間の生き方というのは、決して虚飾味を帯びたブルジョア的なものではなくて、今生活していくのにはこれだけのシンプルな空間(部屋)だけで充分だ。そこにある暖かさとか、人間に対する信頼の感情とか、ゴーガンに対するもてなしの思いの丈を全部投げ出しているようなところがこの絵には感じられます。

しかし実際には2か月でゴーガンと仲たがいしてしまったわけでショックは大きかったでしょう。自分の理想を分ってもらえなかった。“理解してもらえない症候群”みたいなものが彼にはあって、怒りとかそういうものから自分を傷つけてしまう発作を起こしたわけです。この作品は「耳切り事件」の後に描いた第3作ですが、黄色やオレンジという「楽園」の色で仕上げた満足感・充実感があったからこそオランダの家族のために描いたのです。

ゴッホの作品には大変にロマンティックな部分があって、彼の文学的な趣味・教養はかなり深いものです。そこから入っていかないと、造形的な側面からだけで理解しようとしても分りにくいところがあるかもしれません。



●異文化を受け入れた美術の国・フランス



―― 最後になりますが、この神戸市立博物館で3回のオルセー美術館展を開催してきたことの意義をお聞かせください。

岡  印象主義やナビ派とか象徴主義について言う時に、工芸品も含めて、東洋の美術の影響というのがものすごくあるわけですね。もちろん民族美術やイスラム美術の影響もありますけど。

ゴーガンなんかとくに浮世絵だけではなくてペルシャ絨毯とかイスラムのミニアチュール、もちろんマルキーズ諸島の芸術の影響も受けています。そうやって異文化、異文明を受け入れながら印象派をよりノーブルなものにしていったり、フランス的なもので取り込んでいって、より強く新しい気品のあるものにしていきますよね。

19世紀という時代は万博の世紀であってインターナショナルなムードがありました。このオルセー美術館展の3部作を通して見て頂きたいのは、やはりフランスの芸術家たちが様々な文化を寛容な態度で取り入れながらフランス的なものに変えていったということです。そこには古い教科書的な美意識に反抗するレジスタンスの気持もあった。やっぱりそこがフランスなんですね。フランスの美の中身を理解するということ。

印象主義がドイツにいったらよりエロティックで別の表現的なものになってしまったりとか、保守的なイギリスにいったらほとんど理解されないとか。そういうのではなくて、フランス的なエスプリというか、マネの絵に見るようなお洒落さとか、ルノワールのような優美な官能性とかがあらわされる。野獣派だって優美なフランスならではの芸術になっていくわけです。そこにフランス人をつらぬいているまぎれもない特質が感じられるんです。

●エドゥアール・マネ
《すみれのプーケをつけたベルト・モリゾ》

例えば今回来ているマネのベルト・モリゾの肖像なんかを見ても、僕は本当に“書”の、あるいは“墨絵”とかの、白と黒の表現にすごくこだわっていると思うんです。

だからマネの筆触は「書の筆の動きとかに思えるでしょう」と説明すると「ああホントですね」と反応がある。もちろんそれだけではなくてヴェラスケスやフランス・ハルスの影響なんかもあるけれど。でも「そういう日本的なものも感じるでしょう?」と話します。

――しかし、日本人というのはマネが東洋美術を勉強したなんて、そんなことは思いもよらないわけですね。自分の国のことを知らないし、知らないから自信を失っているんです。だけど西と東とは交流しあっているんだから影響を受け合うのは当然じゃないかと思うんです。日本の影響も受けたマネの影響が、さらに藤島武二、小磯良平なんかにも見られて‥‥‥そういうことは延々とくり返していくわけですよね。

19世紀後半のフランス美術にインスピレ−ションを与えたのが日本美術であれイスラムの工芸品であれ、そういうインターナショナルなものをフランスの、とくに革新的な芸術家たちが吸収していきながらギリシャ・ローマの固定化した理想美の教科書から外れ、20世紀美術への扉を開いていったというのが一連のオルセー美術館展に通流するものです。

それを通して、美術の国・フランスがもつ懐の深さ、寛容さ――つまり依って立つところ優れて独自で強い造形、新しい見方を生み出そうとする「精神」なんだというメッセージが日本の来館者に伝われば成功だと思いますね。

(2006年12月 06日  神戸市立博物館にて) 




―― 文明の産物は、いずれ古びてしまうし、核のように文化をおびやかしもするが、優れた造形は後世に残り、つねに人々を活気づける

岡泰正  「モデルニテ」の視点で明治の日本を見る より

「オルセ−美術館展―モデルニテ:パリ・近代の誕生」(1996年)カタログ掲載

 

あとがき

初めて訪れた神戸市立博物館で「オルセ−美術館展 19世紀 芸術家たちの楽園」の展示を拝見した。

近代美術が過去の歴史と対峙しながら、それを乗り越えて成立していったように、神戸市立博物館は大震災の被害を克服して蘇り、現在も展示施設として機能している。今回の展示を含めた3回のオルセ−美術館展開催は力強い神戸の歩みと確実にシンクロしていると思う。

美という概念が単なる抽象的な存在にとどまることなく、人々に希望を与えるような積極的・肯定的な力をもつ場合があることを改めて教えていただいた気がする。

神戸市立博物館、オルセ−美術館展事務局、日本経済新聞社大阪本社のご協力に感謝いたします。

制作者 


 

【 オルセ−美術館展19世紀 芸術家たちの楽園 関連HP 】

オルセ−美術館展 19世紀 芸術家たちの楽園 公式サイト

神戸市立博物館


 

神戸から東京へ「オルセ−美術館展」を追いかけて 〜Vol.1 神戸展リポート

【 協力 】 神戸市立博物館 / 日本経済新聞社
【 企画・制作 】 イワサキ・ミツル

 


          【著作権について】
        
          ●この特集に掲載されている「オルセー美術館展」の会場写真及び展示
作品の画像は
           
主催者の許可を得て撮影し、掲載しています。転載等の二次使用を禁止します。

          ●この特集に掲載されている「オルセー美術館展」出展作品図版は主催者の許可を得て
           カタログより転載させて頂いたものです。転載等の二次使用を禁止します。
     
       
   ●この特集に掲載されているすコンテンツの著作権は、その提供者または当サイトに帰属して
           います。ホームページ上の記事、写真等を無断で転載することは「著作権法違反」です。

          ●リンクを張ってくださる際は当サイトのトップページへお願いいたします。