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第7回
/ 2007.03.15
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| ファンタン=ラトゥール《デュブール家の人々》 (2) |
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アンリ・ファンタン=ラトゥール
《デュブール家の人々》(部分)
(1878年制作)
第1回オルセー美術館展(1996年)
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高橋 一方で絵画の形式としては、構図からいえば、これはオランダ絵画から学んだものですね。
描写の精密さの点では、オランダのものよりもさらに進んだ写真的なリアリズムの手法が採用されていて、そこにさらに近代性が加わっています。その新しさは何かというと、例えばオランダの絵画であれば、この背景の部分が……。
―― 暗かったりしますね。ドラマチックに演出された人工的な闇として描かれている場合が多いようです。
高橋 そう。そういう状況で斜め横から光が当てられたような感じで描かれますよね。ところがこのファンタン=ラトゥールの作品では全光に近い状態でフラットな光が当っています。これは日常の光の表現ですね。特別な演出はしていないわけです。
―― 過度な演出がなくても普通に絵画として成り立っていると。
高橋 その点がこの作品の形式的な新しさということになると思います。例えば17世紀のフェルメールなんかでも、一見平易なリアリズムをつきつめていったように見えますが、実際は斜め上から光が当っていたり、後ろに地図や地球儀があってそれを眺めているとか、本当の意味での日常性からは離れたドラマチックな演出を意識していますね。そうした作品とは違う19世紀美術の新しさがこの《デュブール家の人々》にはあると思います。
―― 例えばこのファンタン=ラトゥールと同じように、当時はむしろメジャーな存在であったにもかかわらず歴史のなかで影の薄くなってしまった芸術家たちがいると思います。一連のオルセー美術館展で紹介された例としては、どんな人たちがいたでしょうか。
高橋 そうですね……当時普通に知名度があって、それなりに“作品で食べられていた”芸術家といえば、例えばシャヴァンヌとか彫刻家のダルーなんかはパリに行くとあちこちに壁画や大きなモニュメントがあったりして、パリ市や政府からのオフィシャルな注文制作もたくさんこなしていますね。今見ても、力があって、良い作品をつくっていたと思います。パンテオンやソルボンヌにあるシャヴァンヌの壁画や、ナシオン広場のダルーのブロンズ群像などは素晴らしい傑作ですよ……。
第8回
/ 2007.03.16
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| 印象派の画家たち――クロード・モネ (1) |
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クロード・モネ
《サン=ラザール駅》
(1877年制作)
第1回オルセー美術館展(1996年)
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―― 時代の変化というのは皮肉なものかもしれません。ファンタン・ラトゥールのように一般に評価され支持されていた画家たちも20世紀の到来とともに次第に忘れられていきました。
高橋 20世紀のモダニズムのなかでは、より過激なものが求められていきますからね。よりストレートなものを求める現代人の嗜好に合わなかったということでしょうね。
―― その意味で対照的なのが、“オルセー美術館展の華”の部分に相当するでしょうか、印象派の画家たちですね。当時マイナーで少数派だった彼らも、今では展覧会の目玉になっています。モネの《サン・ラザール駅》は第1回オルセー美術館展の核になる作品のひとつでした。
高橋 奇しくもですけど、モネの《サン・ラザール駅》とファンタン・ラトゥールの《デュブール家の人々》はほぼ同時期に描かれています。この二つを比べれば明らかにスタンスの違いはわかりますね。片方は「17世紀」を半分引きずっていますが、モネにはそれがまったくありません。
―― 「何が美なのか」という価値基準はそれぞれのようで、印象派の画家たちにしても単に“不運にも世間に認められなかった芸術家たち”ではなく、けっこう
ノリノリで描いていたのではないかという気がしてきます。しかし、この運動そのものは期間限定の短いものでした。その原因は?
高橋 印象派の絵がある意味で長続きしなかったのは、一定のところまでいったらこの試みはもう続けられない、という種類のものだったからでしょうね。
印象派のスタイルそのものはほとんど10年ほどしか続きませんでした。いくら一生懸命に光を追求したって、それはカンヴァス上で完璧に捉えきれるものではありませんよね。あくまで形態あっての色彩であり、光であって、「これをずっと続けていてどうするの?」っていう感覚が当然出てきたでしょうから。
―― 画家たちも、しだいに色彩そのものやフォルムといった揺るぎないものを追求したくなっただろうと。
高橋 その意味で、この印象派のスタイルを最後までずっと続けていったのはモネだけで、彼の作品には違った意味の凄みが出ていったわけですよね。
第9回
/ 2007.03.17
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| 印象派の画家たち――クロード・モネ (2) |
―― モネの作品は、とくに日本では非常に人気がありますね。この時代の画家としてはゴッホに次ぐほどのものだそうですが、その理由らしきものを探っていくと……?
高橋 私は……不思議なことに日本人はですね、基本的に光の感覚があまりないと思っているんです。
障子から射す柔らかな光やそこに映った影を愛でる、なんて繊細なところはもちろんあるわけですが、日本画なんかでも光そのものをとらえた感じ、光についての感受性はないですね。そこには光も影も描かれていない。色はあるんだけど光を表現するっていうことがないと思うんですよ。
そういう日本人が本当はモネを全面的に好きなのはなぜか……たぶん、モネの作品のなかのいくつかの要素が好きなんだと思います。ひとつには特に晩年、モネが対象を二次元的な、フラットな感じで描いたからでしょう。ナビ派などとも共通した感覚ですけれどね。
―― モネの晩年の睡蓮のシリーズなどを見ると、瞬間的にですが、平面的なまだら模様のように見えることがありますね。
高橋 日本人は空間認識が浅い民族なので、三次元的な深い空間をあまり認識したくないし、たぶんできないんですね。モネの作品というのは、絵画空間としてみるとたいてい浅く描かれていますよね。だけど同時に自然的主義的な、西洋絵画の伝統的な形態もきっちりと描かれている。そのふたつのギリギリのバランスの取り方ですね。
―― そこが日本人の好みに合うのではないかと。
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クロード・モネ
《ヨット――アルジャントゥイユのレガッタ》
(1874年制作)
第2回オルセー美術館展(1999年)
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高橋 1870年代にはとりわけ、日本人が「これぞフランス」と思うような、印象派の舞台となったパリ郊外の非常に美しい風景を描いています。青い空に白い雲、行楽の人々、といった自然と人工の織り成す典型、みたいな風景で、逆に日本の人々がモネの絵から刷り込まれてしまったのかもしれないけれど、一種、この展覧会のテーマで言えば「地上楽園」的風景ですよね……。
それに、難しいテーマ性もありませんし、思想的な背景もありませんからね。基本的に「花鳥風月」に近い主題がうまく近代的モティーフの中に溶け込んでいるので、きわめて心地よく眼に入ってくるのだろうな、と……まあ、モネについてはそういうことではないかと私は思っていますけれど。
第10回
/ 2007.03.18
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| 印象派の画家たち――オーギュスト・ルノワール (1) |
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オーギュスト・ルノワール
《習作:若い女性のトルソ、陽の効果》
(1875―76年制作)
第2回オルセー 美術館展(1999)
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(部分)
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―― ルノワールの作品についても毎回のオルセー美術館展で素晴らしい作品が来日しています。
第1回展で来日した《ピアノを弾く娘たち》(1892年)が功なり名遂げたあとのルノワールの作品であるのに対して、第2回オルセー美術館展の《習作:若い女性のトルソ、陽の効果》(1875―76年頃)はいかにも印象派らしい名作ですね。
高橋 この作品は1876年の第2回印象派展に出品されたものです。木陰にいる人物の肌に当った光がどんなふうに見えるのか、印象派が目指した光の効果の追求がどういうものだったのかが非常によくわかる作品ですよね。
―― これが発表された当時の反響には「死体の腐敗した状態」といった酷評や、その反対に「実に心地よい薔薇色の階調」のような賛辞もあり、賛否両論だったようですが。
高橋 今見てもある意味過激な作品ですよね。確かに女性のヌードは、光なんだか染みなんだか分からないような色斑で覆われていて、当時見た人は戸惑ったと思います。
ルノワール自ら「習作」と名付けていたことからも分かるように、明らかに描き込んでいない状態のままで出品し、これを完成作と見よ、という挑戦的な主張が感じられます。
でもそれを別にしても、豊満な若い女性の裸体が木漏れ日を浴びて素晴らしい生命力を見せ、「19世紀のヴィーナス」といった趣ですよね。
第11回
/ 2007.03.19
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| 印象派の画家たち――オーギュスト・ルノワール (2) |
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オーギュスト・ルノワール
《ピアノを弾く娘たち》
(1892年制作)
第1回オルセー 美術館展(1996)
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高橋 2年前のことですけど、パリで「ルノワール・ルノワール」という、ルノワールとルノワールの息子で映画監督のジャン・ルノワールの両方の作品を並べた展示を、シネマテック・フランセーズという映画博物館でやっていました。
絵画と映画という違いはあっても親子だからでしょうか、よく似た感覚をもっているようです。ジャンの作品はモノクロの映画でしたけど、女性が水浴びをする場面では、川面が空の雲や岸辺の樹木を映しキラキラ光って、それはもう印象派の画面そのものでしたね。この展覧会は内容を少し改変して日本でもやるらしいですが。
―― 《ピアノを弾く娘たち》(1892年)の方は、ルノワールがフランス政府の依頼で描いた作品ということで、過激な活動を展開した印象派の画家も20世紀が近づくにつれて次第に認知されていったということですね。
高橋 そうですよね。後に梅原龍三郎などが接触したころの晩年のルノワールはすでに認知され、エスタブリッシュされた大画家になっていて、それはそれである魅力的な世界を作っていたことは確かですね。
南仏のカーニュのルノワールのアトリエに行けば、この画家の「楽園」が見られます。文字通りオリーヴ畑に囲まれ、さんさんと地中海の太陽が降り注ぐ輝かしい場所です。
第12回
/ 2007.03.21
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| ファン・ゴッホ《星降る夜、アルル》 |
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ファン・ゴッホ
《星降る夜、アルル》
(1888―1889年制作)
第2回オルセー 美術館展(1999)
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―― 第2回のオルセー美術館展(1999年)に出品されたファン・ゴッホ《星降る夜、アルル》です。この画家の描いた夜景には独特の深みがあって大変に魅力的な作品ですね。
高橋 ゴッホの絵のなかのいくつかには、こういう広がりがあって宇宙的な感じのする作品がありますよね。ニューヨーク近代美術館の《星月夜》もそうですけど。
―― 星の瞬きのなかに「永遠」のようなものが見えてしまって、それが描けてしまっているという……。
高橋 ゴッホの心性のなかには、オランダという北方出身の人の、とてもロマン主義的なところがあるわけですよね。彼はわりとそれを控えめに、隠しているようなところがありますけど、ときどきそれが一気に吹き出ます。糸杉をモティーフに描いた幾つかの作品やこうした「星月夜」の連作のなかにはそれがよく出ていますね。
―― この作品を見て、何か心に染みてくるものを感じない人はいないだろうという気さえします。万人の感覚を代表しているようで、そこがゴッホのすごいところでしょうか。
高橋 実際に晩秋から冬のアルルに行ってローヌ川のこのあたりを歩いてみると、今もこの絵のままですからね……冷たいミストラルが吹いて、星が冴え冴えとして。孤独な感じがひしひとします。
だから皆さん、一度冬のアルルに行かれることをお薦めしますね。誰でも皆、ゴッホの感覚を実感できる――「ゴッホ体感ツアー」みたいな感じでしょうか。春や夏のプロヴァンスはあまりにも輝かしすぎますね。本当に楽園にいるような錯覚をしてしまうかも。(笑)
―― ゴッホがアルルに滞在した期間はそれほど長くはありませんでした。にもかかわらず次々と名作を生み出しています。現在開催中のオルセー美術館展「19世紀
芸術家たちの楽園」にもアルル時代の名作《ゴッホのアルルの寝室》が来日していますが、巨匠の生涯という意味では「ここが旬!」という期間が必ずあるような気がします。
ゴッホと「アルルという楽園」の結びつきについて、なぜこの地で名作が多数制作されたのか。「私論」あるいは「試論」がありましたら……。
高橋 どんな芸術家にも、ある瞬間、時代とクロスする、時代が本質的に求めるものをキャッチしそれを表現する時が訪れるのですよね。
それがほんの一瞬なのか、あるいは何年も続くのか、またはその時が訪れたことにさえ気がつかないのか、それはその人のキャパだと思うのですが……。いずれにせよ、印象派が最も印象派らしい、つまり最もトンガッタ形で時代のトップランナーであったのは1870年前後のわずか10年間くらいしかありませんでした。
ゴッホの場合もそうで、アルル時代の特に最初の数ヶ月は、彼のポジティヴな気分と求めた絵のありようがうまく一致した時期なのでしょうね。その高揚した時期の後にゴーガンとの悲喜劇が訪れて、あっという間にこの地は「失楽園」になってしまう……。
アルルからさらに遠いサン=レミーのサン=ポール精神病院の中に入ると、ゴッホの荒涼とした精神と孤独が今も実感されるような気がします。その中庭の小さな空間や野草などが、かろうじて彼に残された「楽園」のかけらだったのでしょう。
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