オルセー美術館展示室  ( C ) Satoshi NOMA / IMC

―― これはこちらで拝借してきた写真ですが、オルセー美術館の普段の展示風景ですね。今回のオルセー美術館展で注目をあつめている、エドゥアール・マネの《 すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ 》が一番手前に掛けられています。この肖像作品はいつ頃からオルセーのコレクションに加わったのでしよう?

高橋 わりと最近のことですね。比較的近年まで相続人のところに置いてあったものです。

―― この作品のように、個人蔵の作品を譲り受ける場合もあるわけですか。高橋さんが準備室にいた当時からさまざまな方法でコレクションの収集が始っていたわけですね。

高橋 そうですね。各地方美術館からの移管や交換を通してコレクションの骨格が成立していく最中でした。私もドニ家の人たちと一緒に、モーリス・ドニの作品を南仏まで調査しにいったことがありますよ。生前のドニと交流のあった当時の新聞社の社長さんが所有していたドニ作品でしたけど。

ポール・ゴーガン 《 黄色いキリストのある自画像 》
 
トレマロの礼拝堂のキリスト像  (C)Akiya TAKAHASHI 

個人蔵の作品がコレクションに加わった例としては、例えば、今回来日しているゴーガンの《黄色いキリストのある自画像》もそうですからね。昔、ドニの家に遊びに行ったときに、あの作品が壁にかけてありましたよ。

―― あの自画像がドニの家にあったと……。もともとドニ家の所蔵品だったんですか?

高橋 モーリス・ドニにはドミニックさんという息子がいましたが、その娘のクレールさん、つまりドニのお孫さんと私は親しいんですよ。それでお宅にお邪魔したときに見せてもらいました。

―― そういえば1981年のことでした。国立西洋美術館でモーリス・ドニ展が開催されましたね。日本初のドニ回顧展でしたが、あのときの開会式でドニのお孫さんが挨拶されたのを憶えています。

当時の高橋さんは西洋美術館の若い研究員でしたけど、そのときからのお付き合いですか?

高橋 そうです。その後ドニさんの家には何度か行っていますが、家中の壁がモーリス・ドニの活躍した時代のコレクションで埋まっていますよ。生前のドニが交友関係のなかで手に入れた当時の作品が多いようですね。

私がオルセーの開館準備室にいた85年頃だったでしょうか、ドニ家の客間だったかな……壁にこの《黄色いキリストのある自画像》が飾ってありました。その後、94年にオルセー美術館の所蔵になりましたね。

ここに描かれた黄色いキリストですけど、これにはモデルになった彫像がありまして。ポン=タヴェン近郊のトレマロに小さな礼拝堂があるんですけど、その壁に掲げられている17世紀の木彫です。写真も撮影してありますよ。

―― ゴーガンはこの黄色いキリスト像を単独でも描いていますね。これがモデルでしたか。

モーリス・ドニ 《 天国 》

高橋 それと、ドニに関していえば、今回展示されている《天国》という作品、あの絵が描かれた場所にも行ったことがありますけど。

―― 《天国》は、海に面した庭のような場所を描いた作品ですね。

ただの庭を描いた絵かと思って見ていると、じつはそこにいる何人かの背中には羽根がはえている。天使ですよね。穏やかで、どこか神秘的な雰囲気の漂う作品です。

あの絵にはモデルになった場所があるんですか。

高橋 この作品は、ブルターニュにあるドニの別荘の庭を描いたものなんです。この写真は今となってはとても貴重なものかもしれませんが、クレール・ドニ(左から二人目)と、ご両親のドミニック・ドニ夫妻(紺色の帽子を被っている)が写っています。 ヨットに乗るのが好きだったご夫妻はヨットマンの服装をしています。私も乗せてもらいましたけれど。ちょうどこの写真の石段を上がっていったところの、3階の部屋から眺めて描いたのがこの絵です。

―― 庭の様子も少し写っていますけど、花の色や植物、横長の庭の雰囲気とかが、ほとんど絵の感じそのままなんですね。頭の中でつくりあげた景色だとばかり思っていましたが、現実も取り込んでいましたか。

 

 
ドニ家の人びと
(ブルターニュ:ペロス=ギレックのドニ家別荘にて )
(C)Akiya TAKAHASHI
 
海を見下ろす別荘の3階の広間
(C)Akiya TAKAHASHI
     
 
プリウレ美術館 (パリ近郊サン=ジェルマン=アン=レー)
(C)Toru OKUSA
 
クレール・ドニ ( 中央 ) とともに 2006年
(C)Toru OKUSA





―― ゴーガンの自画像がドニの家にあったのは驚きですけど、よく考えてみると当時の先鋭的な画家たちには「反アカデミスム」という立場で結集していたようなところがあるわけですね。だから画家同士の交流も盛んだったと。今回のオルセー美術館展のタイトルになっている「19世紀 芸術家たちの楽園」というネーミングにはそういった意味も込められているのでしょうか。

我々はつい、モネならモネだけとか、あるいはルノワールとか、個々の作品に圧倒されてしまって、美術展を「点」の集積としか考えていないところがありそうです。キュレーションをする側の視点として19世紀美術の流れをどんなふうに捉えているのか、とくに画家たちの相関関係を軸にして聞かせてください。ちょっと「秘話」から離れてしまうかもしれませんが……。

ファンタン=ラトゥール 《 バティニョールのアトリエ 》

高橋 やっぱり、ゴーガンっていうのは当時の“隠れ主役”なんですね。印象派からポスト印象派(後期印象派)ということであれば、普通はモネやゴッホに人気が集中しますけど、一方には、マネからゴーガンという系譜もあるんですよ。

―― 当時の美術思潮の裏側(?)を仕切っていた人物ということですか。表立った派手さはないけれど、全体に強い影響を与えたようなところがあるとか。

高橋 でも彼らは強い人たちだから、決して自分から働きかけたりするのではなくて、彼らをめぐっていろんな人たちが動いていたんですよ。

その力関係というか、人間関係の全体像が一番よくわかるのが、今回来ているファンタン=ラトゥールの作品です。絵筆を持つマネを中心にしてルノワールやゾラまでがいますね。マネをめぐってこれだけの人が集ってくるわけですよ。

印象派の世代はこのマネの影響下から出てきました。そして今度は、そのなかから印象派に背を向ける人たちが出てきます。彼らの場合は“反印象主義”的な傾向を示して印象派の表現から離れていきます。その中心にいたのがゴーガンでした。

ポール・セリュジエ 《 護符 》

あのゴッホだってゴーガンを慕っているわけですし、ゴーガンがブルターニュに行けば若い画家たちがそこに集まってくるし……。

今回のポール・セリュジエの作品にしても、ゴーガンにアドバイスされてああいう作品になったわけですね。「ああ、ゴーガン様、ゴーガン様……」っていう感じなんですよ。

―― 一種のカリスマですね。

高橋 今度はゴーガンの影響を受けたこのセリュジエの作品が皆の宝物になって、そのまわりにドニやボナールといった画家が集まってきたわけですね。エミール・ベルナールもゴーガンと一緒になってクロワゾニスムを始めたりしていますよね。

ゴーガンはやがて海外に出ていってフランスにいなくなりますけど、その間にますますカリスマ性が高くなっていきます。そのゴーガン自身はというと、これがマネを尊敬していたわけですよ。マネの《オランピア》を一生懸命模写したこともありますからね。

―― なるほど。印象派に反発した若い世代のボスはゴーガンだったけれど、そのゴーガン自身は前世代のボスであるマネを認めていたと。影の主役の交代劇だけではなくて、19世紀後半の美術思潮の大きなうねりと同調している感じですね。

そうなるとマネについても俄然、関心がわいてきますけど。今回はベルト・モリゾ の肖像が来日しています。印象派に影響を与えたマネの“新しさ”って何なのでしょう。

エドゥアール・マネ
《 すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ 》
 
ファンタン=ラトゥール
《 シャルロット・デュブール 》 ( 部分 )

高橋 この作品について言えば、フォルムの単純化ということで墨絵のような日本の絵画の影響を受けている面が強いですね。これが描かれた1870年代には、マネは日本の絵画等をよく見ていたはずですから。

―― 黒の表現も美しいです。

高橋 そのあたりについては、例えばレンブラントのデッサンなんかを見ても黒の流麗な線で描いたりしていますよね。そういう影響も否定できませんね。オランダの肖像画やゴヤの絵も見ていただろうし、必ずしも日本の影響ばかりとは限らないでしょう。

―― 筆さばきのスピード感は風俗画を描く人に近いですね。フランス・ハルスの感じもあります。

高橋 ハルスなんかは影響を与えた典型でしようね。

―― 一般的に、マネの作品については「色面」を強調した表現が特徴的である、というようなことも言われて、そこがマネの新しさと言われてますけど、その点はどうでしょう。「色面」というわりには、ちゃんと陰影もつけてあるし空間も立体感もあると思いますけど。

高橋 同時代の絵画で比較してみるとわかりやすいかもしれませんね。ファンタン=ラトゥールのこの作品と比較してみるとマネの表現が画期的なものだったということがわかるでしょう。

荒いタッチで描かれていて、一見、未完成のように思える……マネのこういう表現が「ある種の美」であるという価値観ですね。フラゴナールだってこういう感じで描いたし、それはレンブラントやゴヤだってデッサンのレベルでこういうものをたくさん描いているわけです。それをあえて油彩のレベルでやってみて、これで終わり、仕上がりだということにしたマネの感覚が他の画家と違うということでしょうね。

―― これで完成なんだと言い切れるところがマネの新しさなんですね。 古い時代の絵画でいえば、この状態はどう見ても未完成ですものね。

高橋 作品のゴールの設定というのが全然違うわけですね。

―― マネはそれを確信をもってやってきた。だから若い画家たちの尊敬をあつめたと。

高橋 今回の展覧会ではベルト・モリゾの肖像が来ていますし、最初のオルセー展では《バルコニー》を展示しましたね。コンセプトというわけでもないですが、マネに始まりマネに終わるという展覧会になりました。マネの場合はモダンなものと伝統的なものの両方を踏まえた感じがあって、その幅と奥の深さですよね。

マネ本人は世代的には印象派のひとつ前に位置していましたが、彼が一番影響を与えたのは印象派のひとつ後の世代でした。彼のしたことは、印象派のような分析的な絵画ではなくて「綜合」なんですよ。

―― そのマネに私淑したゴーガンは「綜合主義」というようなものを唱えていますが、この主義もわかりにくいです。あちこちで解説めいたものを読みますけど、その意味がよく理解できません。

高橋 だから要するに、印象派は光を分析してって、最終的にはモネのように絵画を「解体」してしまうわけですよ。解体が進めば最終的に絵画には再現的な要素は何もなくなってしまうわけで、ある意味でどんどん抽象に近付いていくわけです。でもそうしないで、どこかで踏み止まるというのがゴーガンの「綜合主義」ですね。

―― つまりゴーガンが言うところの「綜合」は“アンチ・解体”の意味なんですね。解体するのはやめよう、っていうことなんですね。それならよくわかります。

高橋 その通りです。ゴーガンには「解体したって無駄ですぜ!」という気持ちがあって、そこに別の意味なりを盛り込んで、もう一回絵画を構築しよう、ということなんですね。平面的な絵画といっても、ゴーガンの場合は何の奥行きもなくなるまでペッタンコにするわけではないでしょう。ゴーガンだけではなくて、ゴッホ、セザンヌを加えた3人はとくにそういう意味で近代絵画を構築していった人たちなんですよね。

 

 
 
 
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