
―― 高橋さんがオルセー美術館開館準備室に在籍したのは、文部省の在外研究員として国立西洋美術館から派遣されたわけですね。仕事上のことで語りにくい部分があるとは思いますが少しだけお願いします。
具体的には、主に「松方コレクション」の調査や企画展の準備作業をされていたということですが、松方コレクションは実業家の松方幸次郎がヨーロッパで収集した美術品を含む収集品で、その点数も膨大な数にのぼるものですね。とくに戦時下のフランスで管理されていたものについては正確な点数等も不明のようですし、そのあたりを調査されていたわけですね。
高橋 松方コレクションの調査というのは大変に広範囲なものがあって、いまだにわからないところがたくさんあるんですね。
オルセー美術館は、フランス近代、とくに19世紀美術を扱うことを目的として新たに創立されたものです。そこで収蔵作品や対象美術作品についての資料を収集・作成して大規模な資料室をつくり、美術館の事業のひとつとして一般にも公開することになっていました。
その流れの中で私がしていたのは日仏どちらにも有益であろうと思われた、日本にある松方コレクションの資料を持っていってオルセーの資料に加えたり、逆にあちらの資料を調査・渉猟して日本に持ち帰ることでした。
戦後になって日本に返還された「松方コレクション」については詳しくわかっていますが、松方がフランスに置いていた美術品の全体は実際にはどういうものであったのか、どういうふうに保管されていたのかについてほとんど何もわかっていませんでした。現地に行って調査をしたらどこまでわかるのか、ということさえあまり詳しくわかっていなかったんですね。
―― それは戦前、戦中のことだから、ですね。関連資料の存在や関係者が生きているのかさえ不明という。
高橋 実際にはフランス国内で紛失してしまった作品もありますし、そのほかにもいろいろなケースがあります。諸事情について推測が成り立つ部分がないわけではないですけれど……。
―― “封印”されてしまった部分もあるということでしょうか。
高橋 もちろん、コレクションの戦後における処遇については1951年のサン・フランシスコ平和条約で決められたことですから、法律的な問題は何もありませんけどね。返還についても、結果的にはフランス側の好意でしてくれたことですから。でも戦時中のことに関してはね……。ドイツの占領下の話ですからね……。
―― 今回は、そのフランスに残された旧松方コレクションの一部から《ゴッホのアルルの寝室》が来日しています。前回の「神戸リポート」では、市立博物館の岡泰正先生にこの作品を語っていただきました。不思議な魅力をもつ作品だと思いますので、さまざまな見解があるのではないかと。
高橋 この作品はゴッホが同じ構図で寝室を描いた3点目の作品ですね。同じ主題で描くというのをゴッホはよくやっていますが、最初の作品がちよっと荒いタッチの作品なのにくらべると、3点目はけっこうピシッと描いてますね。
このオルセー美術館所蔵の「寝室」はサン=レミ時代の作品と言われています。3点の「寝室」がそれぞれ同じような前提で描かれたと仮定して言えば、最初の作品はゴーガンがアルルにくる前の作品です。ゴッホがアルルに来たのは2月ですね。そこにゴーガンがやってきて二人が仲たがいするのが12月ですからひと夏越えているわけです。
実際に行ってみるとわかりますが、アルルというのは10月あたりまではまだ暖かいんですけどね、12月に入るとかなり寒くなります。その間に、春から夏にかけてゴッホはかなり“ハイ”な状態になってたくさんの作品を制作したわけです。でも、だんだん冬になって……南フランスは夏は暖かくて素晴らしいですけど、とくに冬になるとアルルのあたりは寂しいんですね。荒涼とした感じの場所なんです。
サン=レミはの冬はもっと凄くて、山から“秩父おろし”のようなミストラルが吹いてきてね。びゅうびゅうと吹きまくって、星空が冴え冴えとして、この世の果てのような荒涼とした光景です。普通の状態の人でもちよっとどうにかなってしまうような感じがあると思いますね。
―― そういう季節感も含めて、ゴッホがこの3作目を描いた時期は、心情的にも決して穏やかな状態ではなかったろうと。するとゴッホはこの作品にどんな思いを込めたのでしょう。
高橋 想像ですけど、精神病院に入院したサン=レミでは、おそらく“ハイ”と落ち込んだ状態が交互にきていただろうと思うんですね。でも、この絵の感じには、どちらかといえば落ち着いた感じがあります。サン=レミでほかに制作された作品の燃えるような感じとは違うので、かなり落ち着いた精神状態で描かれた作品ではないでしょうか。
アルル時代へのノスタルジーがだいぶあるのではないかと思いますね。ゴーガンがアルルにやってくる前の、まだ夏が終わっていない時期の思い出というか、まだ気持ちが高揚していて希望もあった頃にもう一度戻りたい、あの状態を呼び戻したいという気持ちがあったような気がします。
彼の「楽園」は、この作品を描いた時期にはもう終わっていたのは明らかで、そのことは彼自身の精神と意識が明晰なときには理解していたでしょう。だからこの絵は「追憶のなかのユートピア」ということになりそうですね。サン=レミでは本当に孤独ですよね。病院の窓から見えるのは荒涼とした山と糸杉ばかりで、ほとんど牢獄に近い状態ではなかったでしょうか。
―― この絵に描かれた部屋は残っていたり、復元されたりしているんですか。
高橋 ありません。
―― では、実際の部屋はこんな色の壁だったのでしょうか。
高橋 それはあり得るかもしれません。ヨーロッパでは扉を青く塗ったりすることもありますし、絵のなかの水差しも青い色で描かれていて実物の色に近いですよね。すべてとは言えませんが、この絵の色彩が実際の部屋の色に近かった可能性はありますね。
―― 絵のなかのディテールについてですが、この寝室の壁には2枚の肖像画が掛けられていて、その人物を見ると、3点制作された「寝室」ではそれぞれ違っていますね。画中の人物を変えて描くことに何か大きな意味でもあったのかと……。
高橋 ゴッホっていう人はそういうことを気にする人ですよね。細部にいろいろと思い入れを込めるタイプです。だからあまり意味なく描いているとは思えません。アンリ・ルソーなどもそうですけど、自画像のまわりにたくさんの人物を描き込んだ作品には、奥さんの肖像を小さく描き込んだりしていますしね。気質的にそういうパラノイアックなところがあると思いますね。
だから椅子にしても2脚が描かれていますよ。椅子を並べてゴーガンを待っていたわけですが、かなり一方的なものにしても、ゴーガンに対する憧れや愛情みたいなものが強かったでしょうね。
―― そういえば枕も……ですね。絵の細部にこだわりながら見ていくと、こちらの計り知れない心情までが込められている気がしてきます。この作品を描くこと自体がゴッホの“癒し”だった可能性もありそうですね。

―― 最後に、オルセー美術館のOBのひとりとして、この美術館への注文であるとか、今後期待される展開がありましたら。
高橋 少し真面目なことを言いますと、オルセー美術館には美術館としてのポジションの問題、つまり収蔵と展示の対象について、どこを起点にして、どこを終わりにするかというテーマが残されていると思いますね。その点については現在でも、けっこうもめているんですよ。
―― フランスには過去の美術ならルーヴル美術館、フォービスム以後の現代美術ならポンピドゥー・センターの国立近代美術館がありますね。美術館相互の守備範囲の問題ということですか。
高橋 オルセーが対象とする画家の最後は、現在マチスなんですよ。しかしそのマチスの作品にしても今は一点しかなくて。一方、始まりの時期の画家だと新古典主義のアングルの作品なんかがあるわけです。“なんでアングルのこんなものがあるの”って感じですよね。そうかといって同時代のドラクロワの代表作があるわけではないし。ジェリコーはもちろんないし……。
だから美術館としては、事実上の区切りとなるように1848年という数字を出しています。この年はどういうものかというと、2月革命が起きて第2共和国ができた年ですね。そこを起点にしようということです。
フランスという国は今も共和国ですし、共和制をすごく大事にしているんですよ。 共和制というのがフランスのアイデンティティーであって“イギリスとは違って、うちは革命をやっているんですよ!”っていうのがありますね。だから宗教だって分離しているし。
オルセー美術館が1848年以降の美術を始まりにしているのにはそういう理由があるんですね。
もう少し19世紀全体をカバーしてもいいんじやないかという話が当然出てきますし、19 世紀の終わりの部分をもっと強調していけばマチス、ピカソの初期あたりまで入ってくる展示も可能でしょうね。
政策としてはルーヴル美術館とポンピドゥー・センターの中間を埋める美術館として計画されたものではあるけれど、まだまだ問題が残されているということです。もちろん19世紀全般をカバーしようという基本的な姿勢は確認されているわけですが、全体を見せるだけでいいのか、それとも後半のとんがった部分を強調するのかっていうのは今も検討されていますね。展示と収集の対象期間について、まだコンセンサスのとれていない部分があるんです。
それとですね、オルセー美術館について皆さんご存じないかもしれませんけども、実は版画・素描部というのがないんです。まず版画作品を所蔵していないんです。
―― あっ、そういえばそうですね。
高橋 フランスでは版画はすべて国立図書館が扱うので、管轄が別なんですね。それと素描デッサンについても。オルセー美術館は一応所有権はもっているけれども、素描の大部分はルーヴルが管轄しているんです。
だからデッサンが見たいならルーヴル美術館のデッサン室に行くしかないんですね。もちろん誰でも見られるんですよ。日本人だって旅行者だって身分証明書さえもっていけば見られる。ゴッホのデッサンが見たいと言えばちゃんと机の上に置いて見られるんです。現実には、そこまでする人はほとんどいませんけど。
それと美術館の内装デザインについてですね。これはイタリアの女性デザイナー、ガエ・アウレンティが担当したものですが、個人的に言わせていただければ、全体のつくりがメソポタミアやエジプトの古代神殿のようなイメージがあって大型のサロン系の絵を見せるのにはいいけれど、小型作品はスケールの点で釣り合いがとれないと感じることがあります。
内部の壁の質感も強くて荒い感じなので、とくに印象派の絵などはもう少し柔らかい雰囲気の中で綺麗に見えた方がいいと思いますけれどもね……。私としては日本の展覧会場で見る方をお薦めしますね。おそらく今度の東京での展覧会では絵が絵がパリにいるよりも一層綺麗に見えるはずです。
―― ぜひとも「オルセー美術館展」の会場でそれを確かめてくださいということですね。その点についても大いに期待したいと思います。本日はありがとうございました。
( 三菱一号館美術館開設準備室にて )
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オルセ−美術館展 19世紀
芸術家たちの楽園
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| 会 期 |
2007年1月27日(土)〜4月8日(日) |
| 開室時間 |
午前9時〜午後5時(入室は午後4時30分まで) |
| 休室日 |
月曜日(ただし2月12日は開室し、13日[火]は休室) |
| 会 場 |
東京都美術館 企画展示室
〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36
電話 03-3823-6921 |
| 主 催 |
東京都美術館 / オルセー美術館 / 日本経済新聞社 |
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