[ オルセー美術館展 19世紀 芸術家たちの楽園 ]鑑賞記
 


松本 猛
 MATSUMOTO takeshi

1951年東京都生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1977年 ちひろ美術館、1997年 安曇野ちひろ美術館を設立。BIB(ブラチスラバ世界絵本原画展)、カタロニア賞絵本原画展、アジア国際絵本展、絵本にっぽん賞、日本絵本賞の審査員を歴任。現在、長野県信濃美術館館長。安曇野ちひろ美術館館長。エリック・カール絵本美術館(アメリカ)名誉理事。安曇野アートライン推進協議会副会長。

著書に『母ちひろのぬくもり』(講談社α文庫)、『ぼくが安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』(講談社)、『ちひろ美術館の絵本画家たち』(新日本出版社)、『「戦火のなかの子どもたち」物語』(岩崎書店)、『ちひろのアトリエ『(新日本出版社)など、監修に『ノーマン・ロックウェル画集』(白泉社)、『ちひろと世界の絵本画家たち』(講談社)などがある。

 

 土曜の午前、どうせオルセー美術館展は混んでいるだろうと思いながら、上野に足を運んだ。公園を抜け東京都美術館の前に着くと、ゴッホの絵がついた看板の前で記念撮影をしている人たちがいた。ふと、パリのオルセー美術館の前で写真を撮っている人々の姿が頭をよぎる。果たして、オルセー美術館の満足度の何分の一を得られるのだろう。シャッターを押す人々を冷ややかに眺めつつ、あまり期待もせずに展示室に足を踏み入れた。案の定、人の頭越しに作品を見ることになった。

 展示空間のスケールの違いはどうしようもないが、よくこれだけの作品を持ってこられたものだと眺めているうちに、ある種の感慨が湧き上がってきた。作品との距離感が近いのだ。オルセーでは味わえない親しみを感じる。なぜだろう、最初のコーナーのテーマ「親密な時間」に仕掛けられた展示構成の効果だとしたら、してやられた、という感じだ。空間の狭さをうまく利用している。確かにオルセーの大空間で見るのもよいが、ここでは、向こうで見た作品が、ちがった表情で迫ってくる。

エドワード・スタイケン
《谷への道、月光》
(1904年)
 
ポール・ゴーガン
《黄色いキリストのある自画像》
 
オディロン・ルドン
《ペイルルバードの道》

 「特別な場所」をテーマにした展示の、なじみ深い印象派の作品を過ぎると19世紀末から20世紀初頭の写真が並んでいた。暗い画面のスタイケンやスティーグリッツの作品を見ているうちに、この時代の写真家たちの意識は光の表情をとらえることにあったのではないかと思えてきた。印象派の画家たちとは別の方向から光をとらえようとしたのだ。印象派の次にモノクロ写真を持ってきた構成も、なかなかにくい。

 ゴーガンの『黄色いキリストのある自画像』があるコーナーには不満が残った。展覧会を構成する側の人間から見れば、ゴーガンの作品の前に人が溜まるのはわかりきっている。あの、小さなコーナーに作品を押し込めれば、人が渋滞するのは当然だ。結局、階段の途中から、このコーナーの人だかりと作品を眺めながら、ゴーガンの何が人をひきつけるのだろうかとあらためて考えた。時間に追われる現代人は、タヒチに移り住み、土地の人を愛しながらも、少し距離を置いて人間を見つめたゴーガンの生き方に、羨望と共感を覚えるのだろうか。

 マネの名作『すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ』がある「芸術家の生活」のコーナーは壁の色が深い赤に変わった。グレーや黒い色調の絵が多いこの空間で、色としての黒の魅力を生かす演出は素直にいいと感じる。

 展示室の最後の構成は、物理的制約との戦いのあげく、あれしかなかったのかと思いつつも、もう少し工夫ができなかったのかと残念だった。展示を見終わって、展示室を逆に戻りながら、東京都美術館という空間の中で、オルセーの魅力をどう伝えようかと腐心したキュレーターに思いを馳せた。大変だったろうなあ、と同情しつつ、随所に挟んだ写真は、展示のリズムを作り、効果を発揮していたと思う。「親密な時間」から「幻想の世界へ」という5つのテーマでくくった展示は、オルセー美術館では味わえない作品との出会い方を提示していた。個人的には、『ペイルルバードの道』をはじめとした、ルドンの絵がなぜか心に残っている。どの場所にあっても、ルドンは独自の静かな雰囲気をかもし出していた。世俗の仕事に忙殺されている人間が、不思議な静寂の中に吸い込まれるような感覚に心惹かれたのだろうか。

 会場を後にして、東京都美術館の外に出た。オルセー美術館展の看板の横では、相変わらず写真を撮っている人たちがいた。その人たちを見ていたら、いっしょにいった友人が「撮ってやるよ」といった。ゴッホの絵の前でニヤッと笑ってポーズをとった。

 

(長野県信濃美術館・安曇野ちひろ美術館館長 松本 猛)


 


Photo : Iwasaki

 
 
TOP 2 3 [あとがき]