AKADOU SUSUNOSUKE

 

この夏ほど苦しい思いをしたことはありません。苦しいから焼酎をあおり、その酒精が苦しみを倍加し、激痛にとび起きてそのまま眠れぬ熱帯夜を何度過ごしたことでしょう。ぼくに巣食った異物の、どれほど醜悪で執念深いことか。ようやく猛烈な痛みは収まったものの、いまだに完治しないこの業病は、新たなかゆみをともなって次なる攻撃を準備しています。

「これじゃあ今は手の着けようがないね」と医者にいわれ、しばらく抗生物質を飲みつづけて、炎症がほぼ引けてからおもむろに治療にはいったのですが、それからすでに一月以上がたちます。この老医は診断ミスでかつて患者の指を腐らせ、その指はあえなく切断に至ったと、焼鳥屋のおかみがこのあいだ教えてくれました。待合室にいつも人けのないのが不安のたねではありました。話し方もモソモソしてよく聞き取れず、看護婦さんが通訳してくれてやっと理解できたのでした。足をひきずらなければ歩けないため、仕事場からもっとも近い医者を選んだのでしたが──。@水虫は油断すると雑菌が増殖し、手が着けられなくなるほど悪化することがある。A医者は近ければいいというものではなく、ベテランであればいいというものでもない。これがこの酷暑の夏に得た教訓です。

治療中、老医の口からたびたびタムシという言葉が語られて、高校時代の悩みの最たるものであったインキンタムシをはからずも思い出しました。他人の、練習直後の下履きを借りて柔道の稽古をしたのが、直接の原因です。ばかなことをしてしまったものです。あれよあれよという間にシミが内股に生じ、癢痛がわが恋心を浸食していきました。しかしかゆみなら我慢できる。どうしようもなかったのは茶褐色の地図がぐんぐん拡大して、海水パンツから大きくはみだすほどになってしまったことです。その夏、ぼくは水泳の時間をすべて「見学」にし、同級生のはつらつと水をとらえるさまを、見学席でさびしく見守るほかありませんでした。

たくましく日焼けした(月並みな形容ですが)A。バックで静かに水面を切るほっそりしたB子。25メートルプールの青春がタムシのおかげで蘇ってきました。彼らともう会うことはないでしょう。あいつとは死ぬまで会えないだろうな。そんなことも考えました。そしていささか甘い感傷にひたされ、胸もジーンとするのですが、はて、「死ぬまで会えない」って少しおかしくないだろうか。死んだらいかにもまた会えるかのような〈錯覚〉に依拠した表現ではないだろうか。ほんとうは、死んでも会えない、たとえ輪廻転生を繰り返したとしても、未来永劫あいつとは会えないのではないか。こう思いいたったとき、存在の奥の奥から、しのびなきが聞こえてきました。

「死ぬまで会えない」って言葉のほうが、まだやさしさがありますね。救いがあります。言葉は実相をマイルドにして、希望をつないでくれるもののようです。死ねば親しい人が弔いにきてくれるわけですし、それはそれで死者にとって楽しみなのかもしれません。先日、学生時代に世話になったM先生が亡くなられ、貴兄も知っているO君らとお宅を訪ねました。奥さんの話によると、最晩年は脳の病気を患われ、幼時にもどられたようでした。よく飲み、しゃべり出すととまらない先生でしたが、幼時にもどってからは話もほとんどされず、「野バラ」や「ふるさと」を断片的に歌っておられたとのことです。「ぼくは言葉の職人だから」というのがM先生の口癖でした。「専門家」ではなく、あえて「職人」と自称されたことが、言葉の周辺で飯を食っていたぼくの支えになっていたことを白状します。

立ち飲み屋でYさんという自由労働者のおじさんと話していて、そのYさんに、「あなたはオーラが出ている」と言われました。「あの人たちとはまるで違う」と他の客を指さしながら危ういことを言いだします。彼らの怒りに触れないうちにと、ぼくはYさんを外に連れだし、ラーメン屋でビールと餃子をおごったのでしたが、「オーラが出ている」と言われて気分がよくならないはずはありません。

ときどきぼくは自分のオーラが見えるのです。初めて見たのは温泉の部屋でくつろいでいたとき。蒸気のようなものがぼくを包んでいるのに気がついたのでした。風呂から上がってそう経っていなかったので、最初は体から発散された上気かと思ったのですが、どうも違うような気がしてきます。やがてこれがオーラというものかと、はたと気づいて納得したのです。それから何度かぼくはおのれのオーラを目撃しています。いちばん最近はつい数日前、トイレに座っていたときのことでしたが。

ぼくのオーラを他者として初めて視認したYさんは、40年ものあいだ、精神的な抑鬱に苛まれてきた人です。とても苦しいのだそうです。ようやく立ち直り、人に交わることができるようになったのは、ごく近年のことだと言っていました。宗教が彼を導いたようです。自由労働者の街に住み、ほとんど定収もない人ですが、ぼくのとすっかり同じ黒のリュックを背負い、その中に一冊の美麗なノートを持ち歩いていました。地球環境を改善したいという彼の夢が書き込まれています。そしてときどき、そこにぼくのしゃべる言葉を書きつけます。なんの価値もないぼくの断片を──。

さて、ぼくのようにオーラを発する人間と、Yさんのように他者のオーラを見ることのできる人間と、どちらがかっこいいのでしょう。残念なことに、ぼくはいまだ他者のオーラを見たことがありません。わずかにおのれの上気=蒸気とも見なせるその痕跡に触れたにすぎず、いかにも修行の足りなさを痛感するしだいです。壮大な夢をいだき、他者のオーラが見えて、他者の言葉に裸でとびこめる自由労働者のYさん、ってなんなのでしょう。余生のすべてを辞書づくりに打ち込み、完成したら幼時に立ち戻ってしまった〈言葉職人〉の先生、ってなんなのでしょう。

──彼らこそ〈素っ頓狂〉と言うべき人たちなのです。現象世界とボタンを掛け違えたまま生きてきた人たち、素っ頓狂──。ぼくが愛してきたのは彼らだったのかもしれません。たとえばこの夏、ビレッジ・シンガーズの清水某を騙り、地方都市のカラオケ大会の審査委員長をして詐欺容疑でつかまった男、おぼえてますか? 目くじらを立てて非難する声もテレビで聞かれましたが、ぼくには一服の清涼飲料水のような〈事件〉に映りました。他人になりきろうとしてなりきれない哀切ももちろんあります。それは清涼飲料水の炭酸の部分かもしれません。しかしそれよりもなによりも、現代社会を小馬鹿にしたなんとも痛快なふるまいではなかろうか、と思うのです。しかも彼がカラオケ参加者の少女に語りかけた言葉、「一生懸命練習してきたんだね」と優しく語った励ましの言葉は、本物の清水がするであろうコメントよりも、おそらく次元を違えて胸を打つものとなっていました。

〈風狂〉と評された人々がかつていました。それに呼応してぼくは、〈素っ頓狂〉の魅力をこれから追求していきたいと考えています。心の奥に苦しみや哀しみを胚胎していながら、そのことに無頓着なまま、真剣に生き方を語るとんでもない不器用な人間の研究です。そしてできれば、〈スットン教〉をつくりたい。もちろん信者として充分に資格をもつ貴兄は、喜んで受け入れます。さらに言えば、貴兄の奥方が教祖にもっともふさわしいのではないかと考えているのですが。

赤胴煤之助
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

「カタッ、カタッ」という小さな音は、あちこちに立て掛けられた板塔婆が触れあう音のようでした。かすかに風は吹いていましたが、全然涼しくないのです。脳が煮立っていました。ひとつにはあたりに立ち並ぶ石の固まりの放射する熱を浴び続けたということ。ひとり石焼きビビンバ状態。それと一昨日来の不眠が影響しているかもしれません。

たくさんの御霊の眠る墓地でキツイ言葉を吐いてしまいました。「昨夜東京に戻ってから一睡もせずに、こうしてまたここに来ている。」「責任の所在を明らかにしていただきたい。」とかなんとか。石屋を紹介した葬儀社の担当者は両手を前で重ねて不動の姿勢。父の四十九日の法要が明後日というのに、まだ墓が完成していないのです。今年初めてと思われる遠慮なしに暑い日、七月四日のお昼前のことでした。

石を三段に積み上げ、墓誌などを置き、最後に白、赤、緑の(三色なのになぜか)「五色砂利」と呼ばれる小石を敷く。そこまでが石屋との契約です。

年老いた親方と中年の職人、若い衆の三人が積み終えた石の隙間に灰色の漆喰を塗り込んでいました。それが前日に見た最後の場面です。男三人が狭い場所にかがみ込んで仕事をするのは奇妙な光景にもうつりますが、湿した手拭いで最後の仕上げをするあたり、徐々に精度をあげていくところなどはわたしの仕事に似ているところもあります。なかなか繊細な味わいのものでして、思わず目で追ってしまいます。

また、白っぽい御影石の効果を活かすために、文字のつくる光と影のコントラストはくっきりとつけたい、だから彫りは気持ち深めにと注文しておいたのも正解だったかもしれません。デ−タ化した文字を石の原産国・中国に送り、コンピュ−ターを導入した機械彫りで完成させて輸入する――ウチはそれはやりません、と営業担当者が打合わせの席で話していたのもただのセールストークではなかったのだなと納得もしました。

漆喰の乾燥時間を尋ねると「夕立ちでもきたりしなければ大丈夫だがね。」というようなことを親方が喋ったと思います。「砂利は‥‥」の部分は聞き取ることができませんでした。言葉の細部、音のひとつひとつまでハッキリと聞こえるのですが、その意味がわからない。どこかで聞いたことがあるようで懐かしく、そして強烈なお国訛りでした。分らないながらもその場を離れ、完成を見せてやろうと母を連れに戻ります。そして一時間後なのですが、まだ日暮れまでには充分な時間もあるというのに、どういうわけか墓地には職人たちの姿が見当たりません。石材を載せるための発動機付きの台車も消えて、墓の周りは以前から敷いてあった汚れた小石が散らばったままなのです。

――職人は期待を裏切らない、というと現実的にはやや大袈裟嘘になるでしょうか。でも、それに近い信頼感を抱いていたのは確かです。まだ幼稚園に入る前のことでしたが、日中を一人ぽつんと道端で過ごすことの多い時期がありました。たぶん蟻とか虫などを眺めて時間をつぶしていたと思うのですが、そこへ近所に住む左官屋のおじさんがやってきて相手をしてくれたのです。

おじさんの小刀はゆっくりと竹の切れ端の表皮を削いでいきました。ものの数分もしないうちに差し出されるのが竹とんぼ。按配よくつくられた玩具は、子供の手のひらのなかからでも勢いよく飛び出して空高く舞い上がります。垣根越しにわたしを見つけては、おじさんはいつもそんなふうにしてくれました。割った竹を井の字に組み、それを芯にして塗り上げる土壁がまだ現役だった時代のことです――。

なぜ五色砂利が敷いてないのか。そしてなぜわたしが怒っているのか。ことの次第はこんな感じです。まず、契約を交わしたのに石の設置日を知らせてこない石屋がありました。どんな理由かは知らないが、法要も近づき、こちらの焦りが動揺に変る寸前にやっと設置日が決ります。そして当日の朝、現場にあらわれた営業部長から今日ですべての作業が終わると告げられました(部長はその足で組合の会合のために東京まで行くのだとか)。一方、あとから来た親方たちは長年守り続けたペースで作業を始めます。いわゆる“抱え”の職人なので、だれかにせかされることもなくマイペースの仕事ぶりです。暑いことでもあるし、五色砂利は明日にしようや、ということであったかもしれません。結果的には、その親方が砂利の作業を翌日に持ち越したことを会社に報告しなかったということのようです。

隣町を走るバスの側面にも広告を載せたりするほどですから、信頼できない会社というのではないのでしょう。でも会社に問い合わせてもわからないというし、夜になってやっと連絡の取れた部長氏は携帯電話の向こうから「砂利は本日たしかに入れ替えましたァ」と繰り返すばかり。アルコール混じりの軽い声からすると宴もたけなわのようです。

墓石の設置に立ち会うのは一日限りと決めていましたので浅草に戻ったのですが、どうしても眠れません。前夜もパソコンと向き合っていて寝ていない。だから眠いはずなのだけれど眠ることができない。おそらくこの件はなるようにしかならないはずであり、それはわかるのですが放っておくことができない。結局、夜が明けるのを待って始発のJRに乗り込みました。私鉄に乗り換えてからの一時間はある種の“引き算”ばかりをくり返していたのです。

相手の不誠実な対応に怒っているのか。いや、そればかりではないな。こんな面倒に付き合っている自分に呆れているのだろうか。‥‥いつものことだし。ひとつずつ引いていったのですが、たどり着いた答えを一言でいうと、“父との関係”それを確かめてみたいということだったようです。たとえば幼い頃のことを思い出してみると、父の顔かたちはまず浮んでこない。もやもやとしたイメ−ジはたいてい左官のおじさんの笑顔にまとまってしまう。残念ながらその先がない。一緒に暮らしていた父親の姿が浮かばないのは情けなくもあるし、謎でもある。そんな謎を抱えながらも、なぜ死んでしまってこの世にいない人のことでムキになるのか。それは生物学上の何かと関係があるのか。――あるギタリストの言葉に「ギターは弾かなきゃ音が出ない」というのがありますが、「親も死ななきゃ分らない」ということなのでしょうか。

葬儀社の担当者に通訳をしてもらって、親方の話のおよそを理解しました。それで気分は晴れたのです。それが親方のやり方なのですから、もう怒りはありません。というか、怒る気持ちになれないのです。少々のたるみはあっても、余計な汗は出さない赤銅色の皮膚。その下には小柄な体躯に不似合いの、にわかづくりとは違う筋肉もついている。わたしはそういう人が好きなのです。だから文句が出てこないようでもありました。ですが、うっかりその仕事ぶりをホメてしまったのはいけなかった。出身地から始り、各地を転々とした修行時代の話が延々と、何十年分の「職人物語」が続くのです。

十分、二十分‥‥。何の飾りもない作文のなかから点と丸とを取り除いたような語りが続きます。この話は何十回となく繰り返されてきたことでしょう。二人の弟子の姿が消えています。こちらの体調のせいもあるのでしょうが、こうなると言葉はもうリズムでしかありません。いくつかの地名を織りまぜながら、抑揚をつけない北関東独特のやわらかい言葉が振りまかれた記号のようにゆっくりと境内に広がっていくのが見えました。あたり一面はすでに静かな記号の海に変りはじめているようです。やがて潮は満ち、時おり途切れる単語が小さなさざ波のように眠気を誘います。はるか彼方から聞こえる声明がわたしを水面に連れ出してしまいました。その水に包まれながら大の字になって浮んでいるのがわたしです。かつて電車のなかで立ったまま眠ってしまいひどい目にあったことがありますが、それとも違う経験でした。

「いやあ、昨晩はどうも‥‥」などと、二日酔いの営業部長は正午過ぎのご出勤。こちらの御仁にはみっちりと申し上げておきました。脇では親方が中腰の両足に五色砂利の袋を挟むようにして作業を始めています。ボトボトと静かな音をたてながら、用意した七袋をすべて使い切ったあとには小さな石の海が出現していました。

こうしてわたしの夏は、早くもその暑くて眠い一日で終わってしまった感じがあります。空は青く、その昔「蟻地獄」を探して這い回った本堂の下には、あの頃と変らない風が吹き抜けていました。それだけは嬉しかったのです。

(イワサキ)
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