FUHATSUDAN

 

お久しぶりです。

最近、『SELECTED SADAO WATANABE』という渡辺貞夫の古いCDを時々聴くことがあるのですが、「マイ・ディア・ライフ」を聴くたびに、20年ほど前にイワサキさんが生徒たちと結成したバンドでこの曲を演奏したときのことを思い出します。「オレンジ・エキスプレス」や「カリフォルニア・シャワー」も演奏したように記憶していますが。

ナベサダも真っ青の見事な演奏(と私には思えました)で、イワサキさんがサックスを吹くたびに体育館に拍手と歓声が沸き起こったのを覚えています。もうサックスを吹くことはないのでしょうか。そうだとしたら少しもったいないような気がします。

ところで、昨年末、10年間住んだ集合住宅が狭くなったため、一戸建てに転居しました。住宅ローン減税の対象にもならないほど古い木造住宅ですが、住みつぶせばよいという気楽さはあります。リフォームが一段落すると、庭の殺風景なのが気になりだしました。門のところに松、玄関脇に槇と南天があるだけです。隣家との境に大きな物置が目隠しに置いてあり、他に何もない狭い庭を覆うような暗い影を落としています。思い切ってこれを撤去し、庭木を植えることにしました。

格安の園芸農家を見つけたこともあり、今まで庭木を植えられなかった反動もあって、坪庭に毛が生えたような狭い庭に、植えられるだけ庭木を植えてしまいました。ヤマボウシ、ナナカマド、シャラ、モッコク、ツバキ、サザンカ、ハギ、ボケ、アジサイ、オオデマリ、ブルーベリー、ツツジ、ハナカイドウ、シャクナゲと、よくもこれだけというほど植えてしまったのです。これらの木がすべて根付き、着々と成長し始めています。狭い空間でこのまま大きくなっていった場合のことは、恐ろしいので考えないことにして、今は、ただ、日々の変化を愉しんでいます。

安曇野在住の小説家丸山健二といえば、若い頃は、四輪駆動車やオフロード・バイクで砂漠を疾走したりして有名でしたが、今は、500坪の庭の作庭にのめりこみ、移ろいの芸術である作庭こそが究極の芸術であると言うに至っています。所詮はガーデニング、丸山健二も年齢を取ったものだと思っていましたが、坪庭に木を植えてみて、多少見方が変わりました。

木々の芽吹きから新緑へ、花の開花から落花へと、草木の移ろいを身近に感じるようになると、長らく忘れていた俳句への関心がよみがえってきました。 といっても、私の場合はもっぱら鑑賞だけです。

高校1年生の頃、作句に一時夢中になったことがあります。当時、朝日新聞の俳壇に初めて投句した「試験終えて安達太良の雪に驚きぬ」という句が加藤楸邨に選ばれました。続いて、「元日やまた芸人(タレント)が騒ぎいて」という句が中村草田男に選ばれ、それで一気にその気になってしまったのです。しかし、技巧的な句を作るようになると選ばれなくなってしまいました。巨匠たちにしてみれば、地方の高校生の素朴な句に新鮮味を感じたのであって、それ以上ではなかったわけです。そのことが分かって熱が冷めてからは作句から遠ざかってしまいました。その後、俳句の鑑賞からも次第に遠くなっていました。

今回は、私がこれまで関心をいだき続けてきた領域に関連する視点から、俳句の魅力や可能性を自分なりに考えてみたいと思います。

すべては移ろっていきます。時間を止めることも遡ることも不可能です。大学時代の私は、どうしてそうなのかを物理学的に理解しようとして、アインシュタインの相対性理論など物理学的な時間論を学びました。その結果、直線的な時間の流れが独立に存在するというニュートン物理学的な「絶対時間」が、相対論の登場によって解体されたことは分かりました。

しかし、何か物足りないものを感じ、ハイデガーの『存在と時間』など哲学的な時間論に向かいました。ハイデガーによれば、「死へ臨む存在」としての人間の在り方を自覚することによって、はじめて世界の存在の意味が開示されるというのです。そして、自らの死を回避せず、その可能性を自分に最も固有の可能性として担う覚悟こそが「本来的な時間性」の様態とされます。しかし、『存在と時間』が未完に終わったため、時間性についての解明は残念ながら不十分なものになっていると思えました。

時間、生命、自然などについての納得できる説明は、エントロピー論とそれに基づく定常開放系理論と出会ってようやくえられました。この世界における基本法則として「エネルギー保存の法則」(熱力学第一法則)とともに「エントロピー増大の法則」(熱力学第二法則)というのがあります。エントロピーとは、ここでは「熱的な汚れ」と理解しておいてもらえればよいと思います。この世界でのあらゆる現象、変化においてエントロピーは必ず増大します。これこそが、時間が不可逆的であること、過去に戻ることが不可能であることを示しているのです。

ところが、生命システムだけは内部のエントロピーを一定に保ち定常状態を維持しています。これは、血液循環、物質代謝などさまざまな循環によってエントロピーを外部に捨て続けているからです。ですから、死ぬと、とたんに、エントロピーは増大しはじめます。つまり、生命の本質、生きていることの本質は「循環」にあるのです。

時間については、近代の「客観的で直線的な時間」だけを真の時間とするような見方に対峙するような時間観がいくつも提示されるようになっています。

十数年前、宇宙物理学者ホーキングの来日講演を聴いたことがあります。全世界で1000万部のベストセラーになった『ホーキング、宇宙を語る』の著者としても知られます。難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」に苦しむこの「車椅子の天才科学者」は、講演中絶え間なく流れるよだれを付添人に拭いてもらいながら、コンピュータによる人工音声で、宇宙についての深い洞察を語り続けました。

私がもっとも驚いたのは、「虚時間」という概念です。ホーキングは、時間が宇宙のはじまりにおいては虚数であったとする「無境界仮説」を唱えました。時間が虚数ならば相対論的には時間と空間の区別がなくなりますから、境界がない時空を考えることができるようになります。こうして、どのような境界ももたず、始まりも終わりもない宇宙像を提示したのです。

物理的な時間に対して「生物学的時間」という見方も提案されています。生物の種類が異なれば、その数だけ異なる時間が存在するというのです。また、森に生きる生物たちには、それぞれに固有な世代更新のための「時間循環」があるという指摘もあります。草花は一年を単位として世代更新を重ねますが、数百年のスケールで世代更新をする樹木もあります。鳥獣草木それぞれに特有な時間循環の世界が展開されているわけです。

時間の円環性・多様性・重層性、自然や生命の循環性・回帰性といったイメージは、私たちの生活の大半を占めるスケジュール化された側面においては、ピンとくることは少なくても、ちょっとスケジュールから逸脱したり、自然と直接関わり合うような場面では、むしろなじみ深いものではないでしょうか。

草花は季節の移ろいとともに萎れ枯れてしまっても、次の春にはまた見事に復活を遂げます。私たちは、毎年、こうした奇跡を目の当たりにしているわけです。

俳句は、このような時間や自然の移ろいに対して、その移ろいの一瞬を、移ろいのリズムを、あるいは移ろいそのものを、わずか17文字の中に、的確にまたは象徴的に表現してきました。私の場合、そこに俳句の魅力と可能性を感じるのです。

  生きかわり死にかわりして打つ田かな     村上鬼城

この句には、人のいのちの転生あるいは更新が、自然のリズムと一体となって力強く表現されています。

  菜の花や昼ひとしきり海の音         与謝蕪村

フランスの現代思想家ポール・ヴィリリオは、情報通信革命によって、あらゆる時間がリアルタイムとなり、ローカルな時間やリズムが破壊されてしまうことを「リアルタイムの横暴」と批判しました。

どこか知らぬ海辺の地方のまひる時の閑寂としたさまを描いた蕪村のこの句からは、潮騒のリズムがゆったりと伝わってきます。電波時計を必需品とする私たちは、他方で、この句が描くような長閑な時間を欲しているのではないでしょうか。「菜の花や鯨も寄らず海暮れぬ」、「春の海ひねもすのたりのたりかな」などの句にも、同じようにゆったりとした時間が流れています。

  遅き日のつもりて遠き昔かな         与謝蕪村

人間の心理的な時間は複雑ですが、その土台には、自然の生物学的な時間、さらには宇宙的な時間があることを忘れてはならないと思います。たとえば蕪村のこの句は、個人の過去の思い出にとどまらないものを追想しているように思えます。萩原朔太郎は『郷愁の詩人 与謝蕪村』(岩波文庫)で、この句を蕪村の代表作としています。この句は、「時間の遠い彼岸における、心の故郷に対する追懐」を咏嘆しているというのです。

「寂寞(じゃくまく)と昼間を鮓(すし)のなれ加減」という蕪村の句に対しても、朔太郎は、「鮓はそれの醋(す)が醗酵するまで、静かに冷却して、暗所に慣らされねばならないのである。寂寞たる白昼。万象の死んでいる沈黙(しじま)の中で、暗い台所の一隅に、こうした鮓がならされているのである。その鮓は、時間の沈滞する底の方で、静かに、冷たく、永遠の瞑想に耽っているのである。この句の詩境には、宇宙の恒久と不変に関して、或る感覚的な瞳(め)を持つところの、一のメタフィジカルな凝視がある」と評しています。

  朝顔の紺の彼方の月日かな          石田波郷

琉球朝顔という花の咲いた鉢を買ってきました。私は朝顔の花が好きですが、待ちきれず、花が梅雨時から秋まで楽しめるという琉球朝顔を買い求めたのです。朝顔の花の紺色を眺めていると、私自身の来し方行く末だけでなく、私が不在の月日にまで思いを馳せてしまいそうです。

  門を出る人春光の包み去る           高浜虚子

5月末、安達太良山麓に日帰りの植樹ツアーに行ってきました。斜面に一人30本を植樹。なかなかハードでした。500人参加でしたので計1万5千本。3年間で約5万本の森づくりをするというプロジェクトです。植樹の指導者は、各地で「千年の森」づくりを提唱・実践している宮脇昭氏(国際生態学センター研究所長、前国際生態学会会長)。今年に入り、氏の生きざまを追った一志治夫著『魂の森を行け』(集英社インターナショナル)や、毎日新聞の対談、TBSの「情熱大陸」などで紹介され、一般にも知られるようになりましたが、「3000万本の木を植えた男」と呼ばれる人物です。再生不可能といわれた熱帯雨林を10年間で再生させたことでも有名です。ある本のコラムで宮脇氏を紹介する文章を書いた関係で、ご挨拶を兼ねて参加した次第です。76歳の現在も、ブラジル、カンボジア、中国、沖縄と植林指導に飛び回っており、この機会を捉えないとお目にかかれないので、参加することにしました。名刺を交換し、握手してきましたが、76歳とは思えない血色と眼光の鋭さでした。

500人の参加者の多くは、「千年の森」づくりという構想に魅せられたのではないでしょうか。ほとんどの人は、百年先にすら生を持ち越すことができないのですから。

最後に素朴なのを一句。

  安達太良に祈るがごとく植樹する

また長々と書いてしまいました。筆を置いて、ナベサダの「マイ・ディア・ライフ(My Dear Life)」でも聴きながら、庭の草木を眺めることにします。では、お元気で。


不発弾
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

小学校の六年生の頃でしたが、わたしのはじめて覚えた短歌というのが若山牧水の有名な一首でした。

  幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく

当時のわたしは書道塾に通っていました。そこの先生が宿題の硬筆練習ノートにお手本として最初に書いてくれたのがこの歌だったのです。その意味するところは分かったような、よく分からないような少年時代でしたが、五七調のなかに浮かび上がる寂寥感と凛々しさは受け取ることができたような気がしています。書道の方はものにはならず、小学生のわたしにとって最も貴重な時間、毎週日曜日の午前中を捧げた塾での収穫といえば、こうした歌のもつリズムに興味をもったことくらいでしょうか。「定型詩」という言葉はまだ知りませんでした。

Kちゃんに、わたしがサックスを吹いていたころのことを書いて頂いたので思い出しました。じつはジャズにも「定型」があるのです。さまざまな見解はあるにしても、「ブルース(blues)」という音楽形式をジャズの定型のひとつとすることに異を唱える人はいないと思います。

ブルースは、アフリカ大陸からはるばるアメリカの地まで連れてこられた奴隷の末裔、つまり黒人たちがつくりだした音楽で、古典的な楽曲には、四拍子の12小節を三つの和音で構成して表現するものが多いようです。原初の演奏形態は、この音の流れに沿って、文字通りの「憂い(blues)」を込めた三行詩をゆっくりと歌いあげるもので、歌唱が主でした。歌詞は、一行目で情景を描写して、畳み掛けるようにして二行目もそれをくり返す、そして三行目で詠嘆に変わって終わる、というのが一般的です。歌われる内容は別として、簡潔な構成はどこか俳句と似ています。この音楽はその後、ギターをはじめとする伴奏楽器と歌唱とのコンビネーションが追求されて独立したひとつの分野になりました。

本来がごく一部の限られた人びとのための音楽でありながら、ブルースの表現はそれにとどまることはありませんでした。例えば、これを八拍子に変えてリズムを強調してやると、そのままロックンロールになります。同じ長さと和音の進行をもちながら、全く異なる曲想を表現できるという便利な形式。とりあえずこの型に流し込みさえすれば気の利いた音楽の一丁上がり、というほどの有難い音楽なのです。ですから、日本の歌謡曲にもこの定型を流用した――といっても、厳密な意味で該当するものは皆無に近いと思いますが――「○○ブルース」というのが沢山ありました。

ジャズにおけるブルースの位置ですが、同様に、この形式を利用して過去から現在に至るまで数多くの名曲・名演奏が生み出されています。ジャズの黎明期からモダン・ジャズが発生するまでのあいだには優れた歌手やスイング感みなぎるバンドが名演奏を残しました。それ以後なら、各楽器の演奏家がこの12小節の繰り返しのなかで即興演奏の腕を競い合っています。もちろんブルースがジャズのすべてではありません。しかし、重要な位置を占めてきたことに間違いはないのです。

定型の素晴らしさとは、そこに素材を盛り込むための器の深さ、美しさということになるのでしょうか。受け取るこちら側には“周知の形式”という安心感もあります。しかし、もし、この器からはみだしてしまうような主題を抱え込んでしまった場合には、創作者たちは一体どんなことを企むのだろうかと考えます。ジャズの世界では実際にこうした現象が起きているのです。

1940年代に起きた「ビ・バップ」という演奏スタイルの出現がそれでした。これを創始したのはアルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーやトランペットのディジィー・ガレスピーといった人たちです。彼らはそれまでのジャズメンと同様にブルースも演奏しました。しかしそれは、枠組みとしてのブルースは(かろうじて)踏襲していても、高速で、なおかつ目まぐるしく変化する即興のメロディーが曲の全体を支配しているために、旧来のブルースがもつ物憂気な(あるいは甘美な)ムードを再現することはありませんでした。俳句でいえば「季語」をもたない五・七・五ということになるでしょうか。また彼等は、短くて“曲”と呼ぶのがためらわれるようなリフ(旋律)までを主題にして、そこから延々とアドリブを展開させています。「定型」は、演奏家がしたいことをするために細分化され、変形されていったのです。

かつてなら誰もが気軽に楽しめたはずの娯楽であり、ダンス音楽としての側面も合わせもつジャズは、このときから高度な即興演奏を主体とする鑑賞専用の音楽へと変貌してゆきます。こうして出現した新しいジャズは、初めてそれに接した聴衆の耳がついてゆくことのできないものでした。この現象は、いわば“ジャズの解体”というべきものですが、解体がそのまま破壊につながらなかったところに、この音楽の懐の深さがあったようです。

ビ・バップ以降のジャズを一般にモダン・ジャズと呼びます。音楽のための音楽、芸術化していったジャズについて、今日のジャズファンのなかにことさら異義を申し立てる者はいません。それどころか、ビ・バップはすでに「古典」のひとつに近い扱いを受け、ごく自然に“楽しまれて”います。どうやらこの音楽は、現代のわたしたちが体感している「スピード感」や「ノリの良さ」を先取りしていたようなのです。ビ・パップの演奏家たちが定型から逸脱して新しいスタイルを創造していったのは、わたしたちのなかに内的なリズムやスピード感の変化が起きていたことの、あるいは、わたしたち人類が最初からそうした変化を内包した存在であったことの証左だとする考えもあるようです。

つい先週のことでしたが、ジャズピアニストの秋吉敏子さんの出演しているテレビ番組(NHK 人間講座「私のジャズ物語」)をみました。そのなかで秋吉さんはビ・バップの出現について、「この音楽にはそれまでのジャズがもっていた“揺れるような感覚(スイング)”がないので、聴衆は最初のうちはこれを理解できなかった」と話しています。また続けて、ジャズ固有の“スイング”がこの音楽のなかに存在しないのではなく、それは奥に隠れてしまっているだけであり、表面にはさらに今日的な“drive”の感覚があると付け加えています。秋吉さんによれば、このドライブ感も広い意味でのスイングのひとつの形態であって、さまざまな演奏スタイルが生み出され続ける現代であっても、ジャズに必要なのは、まずスイングすることなのだそうです。

秋吉さんといえば、終戦直後からジャズの演奏を開始し、早い時期に渡米して、数十年間に渡り海外を拠点にして精力的な演奏活動を続けてこられた方であり、今でも世界中のジャズ音楽家とファンたちが敬愛する現役の演奏家・作曲家です。「世界のナベサダ」こと渡辺貞夫さんも、若き日に秋吉さんの推薦でバークリー音楽院にジャズ留学を果たしています。モダン・ジャズの生き証人の発言には有無を言わせぬ迫力がありました。

ジャズについて長々と書いてしまったのは、定型から逸脱していった「非定型」の表現に興味があるからです。わたし自身も俳句や短歌の鑑賞が好きでして、近年は自由律、とくに種田山頭火(1882〜1940)の人と作品に興味をもっています。五・七・五の形式にとらわれず、また、季語も必要としない自由律俳句です。

「漂泊の俳人」と呼ばれる山頭火は、旅と定住とをくり返して半生を過ごしました。少年時代における父の放蕩と母の自殺、青年期には弟までが自殺、破産した実家と故郷を捨て、妻子と別れて……というように一人の人間がこれだけを背負い込むことができるかというほどのものを抱えながら、彼は禅僧として行乞(托鉢行脚)の旅を続けるなかで清新な句境を切り開きました。

  分け入つても分け入つても青い山

  どうしやうもないわたしが歩いてをる

  鉄鉢の中へも霰

  笠も漏りだしたか

彼の四句を並べてみました。その姿を具体的にイメージすることができるのではないでしょうか。「青い山」は、初めて本格的に行乞をして歩いた九州の山の深さを思わせます。「歩いてをる」のは、僧堂での座禅や勤行、作務よりも、“徒歩による禅”を選んだ彼の日常です。民家の前で経を読み、そこで供される米や銭は「鉄鉢」で受けました。目深にかぶった「笠」も破れて乞食坊主同然の山頭火。

生きることと句作とを同一視し、その実現の手段として徒歩三昧の生活を選択した山頭火の句は、作者と作品との隙間のひとつもない様相を呈して魅力的です。――こう書くと、さぞや立派な人物かと思いたくもなりますが、実際は酒に溺れては失態を演じ、俳友と支援者から借りられるだけの借金をくり返しました。どこまでいっても小さな自分から抜け出すことのできない自分を嘆きながら、しかし決して絶望することはなく、むしろその足取りは軽やかにさえうつります。

  てふてふひらひらいらかをこえた

  まつたく雲がない笠をぬぎ

  酔うてこほろぎと寝ていたよ

山頭火にとっての自由律の師は荻原井泉水でした。荻原は、この山頭火と、もうひとりの突出した自由律俳人であった尾崎放哉の二人を評して――「言葉」ではなく「全人」で押すところが、山頭火と放哉と似たところで、これで押しきる人といふものは、是を古人のうちに求めても、なかなかそう沢山あるものではない(荻原井泉水・伊藤完吾編『山頭火を語る』 潮文社)――と語っています。自然や情景ばかりでなく、それを鏡のようにして自らの姿までを写し込もうとする作品は、やはり五・七・五の定型には収まりきれないものだったのかもしれません。山頭火は晩年の随筆のなかで、自らの句作について「ぱっと掴んで投げる」と書きましたが、この大胆な言い方にしても、厳しく徹底した推敲を重ねる日々のなかで得られた確信に支えられているように思えます。

ところで、一般の俳句について書かれた本をみていると、自由律についての記述の少ないのが気になります。なかには「自由律は短詩ではあっても、俳句ではないから本書では扱わない」などと、ご丁寧に断り書きしたものまであります。荻原井泉水や河東碧梧桐たちによって提唱・実践されたこの形式が歴史的にみて日の浅いものであり、従って、旧来の俳句と比べて作家を多く輩出していないという現実もありますが、要は俳句のもつ「定型」や「季語」などの本質に関わる問題なのでしょう。いつの日か、同じ「俳句」を名乗るこのふたつの分野が何らかのかたちで歩み寄るときが来るのでしょうか。

こうした難題は表現の分野、各方面でしばしば起きてきました。「これは絵画ではない」「これは音楽ではない」……旧来の枠組みを踏み越えて何かを提示しようとする者にいつも浴びせられる言葉です。山頭火が芭蕉や西行、一茶、良寛らを心底から敬慕したように、後からやってくる者が常に先達の存在を意識し、踏まえているのは当然のことです。そうした内実を了解しながらも、なお…ということなのでしょうか。この方面で過去にどのような議論が交わされてきたのか、興味があるので少し調べてみようかと思っています。

もし仮に……ですが、俳句というものが、サブ・カルチャー、カウンター・カルチャーの渦巻く海外で発生した文芸であったならば、事情はもっと違っていたのではないかと思うのです。例えば、ジャズにおける“自由律”であるところの「フリー・ジャズ」は、日本の自由律俳句どころではなく、はるかに過激な音楽概念とパフォーマンスを実現させています。それでも、すでにジャズ音楽としての市民権は獲得しました。秋吉敏子さんの言い方を借りれば、そこには現代的なドライブ感があるからなのでしょう。

山頭火の作品は、わたしたちの誰もが理解し、共鳴することのできる感覚とリズム、そして平明さに溢れています。彼が四国松山に結んだ最期の庵で、念願の「ころり往生」を遂げたちょうどその頃、海の向こうではチャーリー・パーカーがアルト・サックスという楽器に新たな生命を吹き込もうとしていました。新しい「律」の創造は時代が要請したものだったのでしょうか。それとも、人類の「生物学的時間」と「心理的な時間」が、創作者の手を借りて発露のきっかけを求めた事態と捉えるべきなのでしょうか。

蒸し暑い日が続きます。各分野の一線級の方々の仕事をまとめる「○○○○読本」の編集作業、大変でしょう。完成を楽しみにしています。お忙しいところを恐縮、そして感謝です。

(イワサキ)
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