ITAMI BANSAKU

 

昨年、三社祭のお囃子が流れるころ、貴兄宅で《絵草紙》を見せていただきました。ネット上の見事なサーフィンを拝見した時は、次の制作はわが家で追いたいとも思いましたが、未だに実行していません。サーファーの踊る浜辺で、自分の甲羅に似た穴への出入りをくり返す蟹のままでいます。先日も、年若の友人に還暦を迎えた感想をきかれたので「自分が時代遅れの人間になるとは思わなかった」と答えたところ、「えっ、イタミさんって 昔からそんなアプ・ツ・デイトな人でしたっけ」と即座に返されてしまいました。齢相応かと思った気取りも見透かされたようでした。

還暦とあって、昨年はいくつかのクラス会に出ました。少年期を知る友が同じように齢を重ねている姿を見るのは、人をやさしい気持ちにさせるものがあります。中学校のクラス会では、卒業以来の顔合わせだった女性の挨拶が心に残りました。

「息子は34歳になりますが、自閉症なのです。でも今は“息子は息子、私は私”と割り切って、趣味のエアロビ体操に打ち込んでいます。」

語られなかった格闘の日々を思いましたが、何より皆の前でこのことを語ることで自身を励ましているのだと感じました。私はこんな立派な齢のとり方をしていないな、とも。

クラス会は見栄と不確かな記憶が交錯する場でもありますが、三次会ぐらいになると、家庭の事情がこぼれ落ちるように聞こえてきます。めったに顔を合わせないがどこか親わしい、それに利害を共にしない間柄でもあることが、それを許すのかもしれません。

四六時中手を洗ってばかりいる26歳の長男のことを、前後の話の脈絡なしに語り出した友がいました。家族から更には周辺の不潔さまでも罵るようになったので、やむなく近所に下宿させているが、加害者不明という犯罪報道があるとビクッとする、と。また、早くに離婚し、一男一女を育て上げた女性の話。息子がしばしばロンドンに遊びに行っていたが、ある時向こうから英国の友人が訪ねてきたので知った。同性の恋人だった。他の人ならその生き方も認められる。映画のなかで見るように。でも‥‥。

親の思うように子は育たない、いつの時代も同じでしょう。私自身も親の思いを次々に裏切ってきたように思います。ただ還暦のクラス会に出て思うのは、私たちの世代は総じて子供の育て方に手を抜いてきたのではないか、後輩は更に大きなミスを続けているのではないか、ということです。「思うように育たない」どころではなく、他と関わって獲得すべき言葉が貧しく、言葉によって紡がれる感情が希薄な人間――大雑把に言えば幼稚な成人を作ってきてしまった、という思いです。

世の中の仕組みについて、自分が理解していることだけでも自分の言葉で語ってやることをしなかった。自分は何者なのか。それを語ることができないなら、正直に自分の姿を見せてやらなければいけなかった。してやったことと言えば、幼稚園の入園予約の列に夜中から並んだことと、20歳を過ぎてもお年玉を与えつづけたことぐらいではなかったか。しつけと教育を学歴取得ゲームに肩がわりさせ、自らは楽な人生を送ろうとしたのでしょう。いま、働きたい若い人たちが思うように職に就けない現実があります。若い未熟な自分を許容し招き入れてくれる場として社会を見られないこと、このことが世の中を更に歪めていくのではないかと危惧します。イワサキさんの世代はまだしも、私の世代の者はもう若者に席を譲るべきでしょう。小泉さんだって。

昨秋、心はずむ出会いがありました。青山の大きな書店に出掛けた折、店内に展示されていた絵の一枚に惹かれたのです。書店が併設しているカルチャー・センターに学ぶ生徒さんの作品でした。動物の犀をポスターカラーでややコミカルに描いたもので、山脈のように波打つ襞をもった上半身と、からみ合った2本の角をもてあましたような犀の表情がとてもいいのです。顔が向く左方向に余白をとり、顔からはみ出しかげんの二つの目がこちらを向いているので、何かを話しかけてくるようでもあります。

譲ってもらえないだろうか、と事務局に申し出ました。生徒本人と指導教師に諮り、後日連絡するとのことでした。数日後、頒布OKという返答があり、値段に折合いをつけ、絵を戴きにまた書店に行きました。するとそこに私の娘ぐらいのお嬢さんが待っており、感激の面持ちで語るのです。

「私の絵を買いたいという人がいるなんて、これは父の悪戯だと思いました。実は、来春このスクールのイラスト科を卒業予定なので卒業作品にとりかかる時期にきているのですが、自分の絵に対して自信を失くしていたところでした。思いがけない贈り物を戴いたような幸運で、この喜びは一生忘れないと思います。」

若い人の気持ちが率直に語られ伝わってくるのは、うれしいものです。自分が何かボランティアをして感謝されているような気分です。絵本を並べて孫と楽しみたいと思っていた時であったのと、好きな動物の犀が描かれていたこととが重なって、“欲しい”という衝動に駆られたのでしたが。その後、イラスト入りの礼状とクリスマス・カードなどが画家から送られ、交流が続いています。

私は書物は(妻が)イヤと言うほどまわりに並べてきましたが、絵を購入するのは初めてです。絵本の棚の横に位置をきめると、犀は居場所が定まったのを喜ぶような表情を見せはじめました。どうしてそんなことがわかるかと言いますと、以前飼っていた犬が、退屈しているだろうと小屋に近づくと、カチャリと鎖の音をさせ首だけを出してこちらを窺い見た、あの表情に似ているからです。息子の嫁さんに絵画購入の一件を話したところ、自分も陶芸の趣味をもつ彼女は「お父さんは、一人の女性の道をあやまらせたのかもしれませんね」と言い放ちました。スルドイ。

好きな絵を身近に置く愉しみを、私は知ってしまいました。“I want!”と一言発すればいいのだということも。イワサキさん、気をつけてください。こんどお邪魔する時は、画伯の絵を隠しておかれたほうがいいですよ。何を言いだすかわかりませんからね、いまの私は。

イタミ万策
 
 
 
 
返信 IWASAKI
ひとりの人間の道をあやまらせたのかもしれない、というお嫁さんのご指摘にはこちらまで耳が痛くなりそうです。わたしのように教員という職業を経験したことのある者なら、皆そう感じるのではないでしょうか。

「人間には責任を持てないので、物に責任を持つことにしました」と口癖のように話す知り合いの画材屋さんがいましたが、そこまで言う人の気持ちも少しくらいはわかるような気がします。わたしの教員生活は私立で一年、公立で七年というものでした。絵を描くことの好きな生徒たちと関わることで、少なからず影響を与えてしまったのではないかと、その頃を振り返るのです。

もし彼らが醒めた大人の目で眺めてくれれば、芸術では生きて行けないからこそ教師になったというこちらの事情も理解してくれたはずなのですが、それらしき者を見て憧れてもくれたのでしょうか、美術の方面に進みたいという生徒が何人もいました。残念ながらクリエイティブ関連については、この段階での実力や蓄積だけで将来を占うことができません。ですから本人にとって最良の選択であったのかとは、後からしばしば考え込んだものです。いつまでも心に残る生徒がいました。

その子は学校のすぐ近くに住む女生徒でした。美術部員でもありましたが、授業で初めて作品を見たときに、おそらく磨けば光ると断言したくなるほどのものを感じたのです。こういう生徒はたまに現れるものでして、保証はできないけれど頑張れよと言いたくなります。案の定、本人もその方面への進学を希望しました。結果、浪人はしましたが美大にも合格したのです。

大学生の彼女は母校へも顔を出してくれました。気がつけば、うつむいてばかりだった少女もいつのまにか顔を上げ人の目を見て話すことのできる女性に変化しているのです。その急激な成長にめまいのようなものを覚えながらも、彼女の中で何かが開花し始めているのを感じて、とりあえずはこの道でよかったようだと安心しました。

一方、わたしはその何年か後に教員を辞めました。これといったあてもなく東京で暮らし始めたのですが、そんなわたしを探し当て、ある日、彼女が訪ねてきてくれたのです。

彼女は海外から帰国したばかりということでした。「留学か?」と聞くと、いまは演劇をやっているというのです。小さなグループで裏方兼女優として世界各地を回ってきたばかりなのだとか。

正直なところ、絵を続けていなかったのは残念でした。こちらとしては自慢の教え子のひとりになる予定でしたから。でも、久しぶりに見る彼女はじつにいい顔をしているのです。彼女のやっている演劇は現代劇のなかでも先鋭的なものでして、自信にあふれる仕草からも彼女が自分のやりたいことに出会えたのだとわかります。「はい、先生」などと、愛らしい部分は残していても、その笑顔にはすでに若々しい存在感まで漂い始めています。それでこちらもようやく悟ったのです。教師としての務めはとうに終わっていたのだということを。

あまり自分のことを話したがらない少女でしたので、いつか聞いてみたいこともありました。わたしたちの学校は荒川のすぐそばにあるのです。川は台風の季節にはかなり増水して、ひどいときにはまるで海です。学校を守る土手の向こうは見渡す限りの濁流。彼女の家はそちら側、つまり河川敷にありました。自衛隊の救助用ボートにも乗ったことがあるそうです。聞くだけ野暮とは知りながら尋ねてみました。「怖くはないのか」と。

以外にも「怖くない」のだそうです。増水に備えて家は小高い土地に建ち、軒下には小船まで吊るしてあるそうです。それよりも、と続けます。

台風が過ぎ去った晩の月明かりが映しだす夜景。淡水の海に囲まれた島から眺める澄み切った世界を彼女は語ってくれました。川面に投げだされた光が浮かび上がらせるさざ波の輪郭線。時を追って迫る水を嫌うように水の上を渡る蛇たち。波をまたぎ、胴をくねらせながら岸に向かうたくさんのシルエットは密林の夜を描いたアンリ・ルソーの絵を思わせます。夢見るように話す彼女からは限りない追憶の日々が伝わってくるのでした。

おそらくこのあたりだろうと思うのです。幼い頃から繰り返し意識のなかに刷り込まれてきたはずのひとつの美のありよう。人にその恐怖心までも乗り越えさせ、引きつけて離さない神秘がこの世にあるのだということを、少女はすでに知っていたのではないでしょうか。もしそうであるならば、その美意識を満たすものを求める過程がどのようなものであれ不思議はないと思うのです、絵でも、演劇であっても。まもなく四十路かという現在の彼女は英国・ロンドンで暮らしています。もちろん演劇を続けながら。

イタミさんが絵を購入された女性は、いまその道行きのどのあたりにいるのでしょうか。一人の女性の人生を変えてしまうかもしれないあなたの行為も、あるいはその人の中でひそかに予定された出来事ではなかったかと思えてくるのです。すなわち、彼女自身が求めたからこそ遭遇した事態ではなかったのかと。生きたいようにしか生きられないとは嬉しくもあり、哀しくもあるわたしたちなのだと思います。

ところで、わたしにも最近になって心はずむことがありました。家の近くに新しい図書館ができたのです。いまどきの施設ですから蔵書・IT機器の充実ぶりは当然のこと。平日なら夜八時まで開いているので、その日のうちの調べものでもなんとかなりそうです。いまは少しずつ本の配置を覚えているところでして、あなたが編集者として手掛けた個人全集の並ぶ書架も見つけました。ですが、この図書館でそのあたりだけがとくにゆっくりと時間が流れているようにも感じられるのです。

後進に道を譲るとおっしゃるのは、少し早過ぎはしませんか。あなたはご自身を蟹にたとえられましたが、あの硬い甲羅をもった連中も、たしか脱皮する生き物であったと思います。次の潮が満ちてきたら、もうひと泳ぎといきましょうよ。わたしもご一緒させていただきますので。

(イワサキ)
back