ITAMI BANSAKU

 

五月から七月にかけて、フランスの田舎を五週間、イギリスの田舎を四週間、妻と二人でひたすら歩いてきました。フランスではロマネスクの教会と修道院をめぐったのですが、それらはスペインの聖地へと続く「巡礼の道」に点在しているので、形だけは巡礼のまねごとをしてきたようでもあります。

帰ってから『芸術新潮』の八月号が出たのを見てびっくり。〈フランスの歓び〉という特集で「ロマネスクを巡る」「ゴシックを仰ぐ」として私たちが見てきたばかりの風景、教会の壁画・彫刻、修道院の回廊を大写しで美しく紹介していたからです。この特集は五月に五名の取材班が車で約四千キロを走って取材したとのこと。セナンク修道院の前のラヴェンダ−畑の写真もまだ開花前で青々としており、山深い里コンクのサント・フォワ教会を遠望したパノラマも見開き頁から新緑がこぼれるようです。

選ばれた取材対象も、こんど私たちがそれを目指し見てきたものばかりです。
オ−タンの柱頭彫刻「エジプトへの逃避」、ロラン美術館の浮彫「エヴァ」、ヴェズレーの柱頭彫刻「粉ひき車」、モワサックの浮彫「予言者エレミヤ」、コンクのタンパン「最後の審判」‥‥。ですから、イタミは何を見てきたのかと尋ねられたら、この特集号を差し出せばよいようなものです。

*           *

四年まえ、ケ−キづくりの修業でパリのアパート暮らしをしていた長女を訪ね、いっしょに南仏を旅しました。その時に訪ねたセナンク修道院の簡素な美しさとそのロケ−ションが忘れられず、再訪を願っていたのです。この四年のうちに母と義母を見送るなど、しばらく長旅はできない日々でした。それで妻が旅程を、私がロマネスクの美術史を担当し(大仰な!)、夢想をふくらませてきたのです。

十一・ニ世紀に建ったロマネスクの修道院で、異端派にも宗教改革や大革命でも破壊されずに現存するものは、ほとんど人里離れた辺鄙な地にあります。その主な建築三十余を網羅し、なおかつ車(レンタカー、タクシー)での移動を避けることを原則にしたので、五週間歩きつづける旅になってしまったわけです。(イワサキさん、ここで「あれっ、イタミは車の運転ができたっけ」と尋ねないでください。たとえできても車の使用を避けた、という文脈なのですから。)

先の『芸術新潮』もそうですが、案内書は例外なく車での移動を前提にしていて、私たちの旅程づくりの参考になりません。バスが絶えた所から歩く距離が六キロと知っても、そこが安全に歩ける道なのか、帰途もバスにたよれるのかどうかは、どの案内書にも記されていません。フランス政府観光局、現地の案内所やバス会社に、バスの運行表と道路事情を妻がFAXで問い合わせてみると、はたして「この道は、近年ひとり旅の若い女性が物盗りに襲われ殺された。徒歩はけっしてお勧めできない」という回答が返ってきたりしました。

履きならしたはずの山靴も、旅の初めのうちは岩肌にあたる触感がここちよいのですが、日に日に重くなっていきます。ふくらはぎがパンパンに腫れ、夜中に両足が同時につった時にはあわてましたね。ぶじに帰ってきた今、どうして歩くことにこだわったのだろうと思い返しています。修道院には車で乗りつけたくない、一歩づつ歩いて近づきたい、そう思ったのは確かです。シトー派の修道院は、多くは修道士みずからが土地の石を切り出し土をこねて積み上げていったものですから。

それだけではなかったように思います。足腰が衰えてきているし、気ままに歩けなくなる日の近いことも予感する今、身体をイタミつけてでも自分の足でたどり歩く旅をしたい。見たいものを心ゆくまで見てきたい。そんな思いが先にあったように思います。うす暗い教会の堂内で双眼鏡の焦点を上方の柱頭彫刻に合わせて目を凝らす。修道院の回廊から明るい中庭に出て涸れた井戸の底をのぞき見る。一千年まえの石は丸味を帯びてなお信仰を告白しつづけ、内面の輝きこそが人間の、人体の美であることをつつましく語っています。見たいものを見るとは、眼前のものを見届けるというよりも、ものが置かれた空間に身をゆだね、ただただその時間につつまれる喜びのことだと知りました。

巡礼者の記録を読むと、信仰心につき動かされてのものばかりではありません。中には犯罪者が贖罪の旅を命じられたものもあります。そのどちらでもない(であろう)私たちとて、行く手にめざす教会や修道院が見えてくると、心おどらせ歩を早めました。この時私たちもまた、中世からつづく巡礼の長い列の最後尾に従いていたのかもしれません。

イギリスの田舎めぐりについては、またこの次に。

あつき日や身よりこころのおきどころ(古句)

 

イタミ万策
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

先日は旅先からのポストカードをありがとうございました。ロマネスク教会についての関心は以前からうかがっておりましたが、ここまでの長旅とは。イタミさんならではの道行きということで、しみじみとした旅路が目に浮びます。

話題が宗教芸術の方面に絡みそうで、微妙です。というのも、当方生まれてこの方、信仰というものが生活に根を降ろしたことがなく、それゆえ範囲を美術の分野に限定しても真実味のある話ができるのかと不安も多いのです。それをご理解いただいての戯れ言なのですが‥‥。

わたしのなかのロマネスクとは‥‥などと大袈裟なものではなく、中世の美術全般についてですけれど、これがかなり遠い存在なのです。かりそめにも西洋画もどきを描きながらどうしたことだと思われるかもしれません。でも、実感なのです。

単に様式としてだけ眺めるのなら、ヨーロッパ中世の美術、とりわけロマネスクと東方のビザンチンには魅力を感じます。お話にもありました柱頭彫刻の造形については以前から素直に“素朴で面白い”と思っていました。また、ビザンチンあたりですと「イコン」の濃密な画肌にも惹かれています。そして、それぞれに携った職人たちの実直な仕事ぶりにも少なからず共感を覚えるのです。しかし一方で、そうしたこちらの感慨がどこまで妥当なものであるのかとも考え込まずにはいられません。宗教美術とは単なる装飾物でもないわけですし。

小さな問題として、こういうことを感じたりします。たとえば、中世の絵画・彫刻ではお馴染みのデフォルメされた人物の形態やプロポ−ションは、今風に表現すると“どこか素朴でカワイイ”ともいえるものです。そして一部には、それをもっともらしく「古拙」という言葉に置き換えて済ませる場合もあります。ですが、当時の建築事情からすれば、それも伽藍構造の一部としての壁面や支柱、そしてその付属物という関係のなかで成立したギリギリの表現でもあったはず。表現された物語の“切実さ”もまた我々の想像をはるかに越えるものであったに違いありません。(すみません、“イタミに説法”です。)

さまざまな聖像で特徴的な、大きく見開かれた眼の表現に、ある種の強い意思のようなものが反映されているのを感じることがあります――素朴な表現に思えても、じっくり見ると眼の部分だけは異質です。そこにみる力強さは造形そのものが発するというより、その向こう側にあるものの威厳に満ちた姿勢によるのだろうと思います。個人の感情や情緒のレベルをはるかに越えたスケールのものであるはずだとは想像するのですが、わたしにはその正体が何なのか分りません。しかし、受け取るべき人々には充分に伝わっているのでしょう。素朴・未熟といわれながら、すでにツボは押さえている。それどころか、表現として必要かつ充分な条件が備わっているのだとわかります。

そこまで見ていけば、「古拙」とはやや安易な表現であるという気がします。ひとつ間違えば、リアリズムの発達、展開だけが芸術の進化であるといった空気まで漂いそうです。それを思うと同時に、ついつい、そうした感慨に逃げ込みたくなる、またそうすることだけで精一杯のわたし(たちの多く)と中世との隔りを感じるのです。

一方で偶像を否定するという態度も示しながら、いくつかの宗教はイメージのもつ力を全開にして見せつけているようなところがありますね。中世とは一面で信仰が制度化されていった時代であると受け止めれば、そこに取り込まれていった美術の立場にも微妙なものがあるのではないでしょうか。

布教の手段であったはずのものが、ときには直接的な信仰の対象に昇格することもありました。そこまで宗教に奉仕することで、美術が自身のステイタスを高めていったことは確かです。しかし、その後の展開を眺めてみると、あまりにも高いところまで昇ってしまったものですから、もう自力では地上に降りることができなくなってしまったような感じもあります。良くも悪くも、イメ−ジ自体のもつ「魔力」のようなものがそうさせたのかもしれません。

宗教美術とは宗教と美術の両方にまたがるようでいて、じつはそのどちらにも属さない“宙に浮いた”ような存在ではないかと、近頃では思うことがあるのです。実際にはそこにリアリティを感じる多くの人びとがいるわけですし、宗教も宗教芸術も決して消滅してしまったわけではありませんから、必ずしもそうとばかりもいえないのでしょうが。

宗教芸術をからかうつもりは毛頭ありません。むしろ大好きな分野なのです。ただぼんやりと、はたして万人のための芸術などというものがあるのだろうかと考えてみるのです。くどくどと申し上げましたが、このあたりを考え始めるといつも似たような結論にたどり着いてしまいます。とどのつまりがわたしの不信心を白状するだけなのです。イタミさんは先刻お見通しでしたよね。

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ところで、わたしも「石」の話をしたくなりました。先日、実家のガレージを掃除していたら、思いがけないものが出てきたのです。

じつはこのわたし、中学生の頃は社会部歴史班(懐かしい響き!)所属の“考古学”少年でした。ガレ−ジから出てきたのは当時集めていた縄文時代の石器が数十点ほど。石斧、石鏃(せきぞく‥‥石のやじり)等の狩りや日常生活で使用されたものです。ほとんどの発見場所の近くで縄文後期〜晩期の土器の破片が出土していましたから、今から二、三千年ほど前に作られたものということになるでしょうか。

久しぶりの対面で手が震えました。片手に持って使用したと思われる打製石器のひとつは相当使い込んだものであるらしく、実際手にすると、磨耗の度合いからおよそどの部分にどの指を当てたのかまでがわかります。石器表面のザラッとした風化層の指触りに、かつての所有者の存在までを感じて胸が高鳴ります。

わたしのコレクションの自慢の品をひとつだけ紹介させていただきますと、石製垂飾というものでして、これは小さめの石に穴を開け、紐を通して首からさげたものです。縄文期のペンダントですが、呪術的な意味をもつ場合もあるようで、地位の高い者やシャーマンが身につけた可能性もあるとか。まだ金属器などなかった時代の遺物です。今度お見せしますね。

わたしは自分で見つけだした「石」から原始の森を想い、それに憧れました。イメージやモノはたしかに何かを語る。そこまでは分るのです。そのあたりに小さな「信仰」の芽もありそうですが、あまりにも時代がかけ離れていますね。なにしろ“紀元前”なのです。

(イワサキ)
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