ITAMI BANSAKU


台風がそれて風が止んだので表に出ると、すっかり秋の空になりました。風にちぎられた雲が樹氷の形になって、縦に何本も並んでいます。茜空といっても言葉で表せない様々な色があることにこの頃気づいたので、明日の夕方、台風一過の空を見るのが楽しみです。イワサキさんは秋の展覧会に向けた制作の真最中で、空を見上げる暇もない、といったところでしょうか。

6月に娘が中央線沿線に小さな洋菓子の店をオープンしました。貴兄もすぐさまお祝いに駆けつけてくださり恐縮しました。夏場は客足が遠のいたりして一喜一憂していますが、どうにかやっていけそうなのでホッとしています。

美味しいケーキ、かわったクッキーというのは作れる。でも「いつも同じものを作れるのがプロなのよ」と娘は言います。ケーキの味見だけで日に都合3個分は食べているそうです。どの道も「職人」であり続けるのは大変ですね。

この夏は本の整理に汗だく、埃まみれの日々を送りました。自分の本ではなく、今年17回忌を迎えた友人のSさんが残した蔵書の整理・処分を頼まれたのです。Sさんは出版社で文学全集の編集を2人で担当したこともある、いちばん親しい先輩でした。在職中に咽頭ガンで亡くなったこともあり、私にはいつまでも忘れられない人です。元気な時は、酔余連れていかれ(喜んで従いて行き)、翌朝一緒に出社することもしばしばでした。彼の部屋には書架が置かれていたので、話題に上った作家の本を「この本だろ」と引き抜いてきて見せてくれたりしました。私より6歳上の彼の書棚には、昭和20年代の仙花紙に刷った軽装で薄い本が並んでいました。小林秀雄・加藤周一・原口統三やサルトル、カミュ、ヴェルコールなどの著作でしたが、軽装本は手ざわりがよく威張っていないので、すぐに読めるよと誘っているようでした。かつて多く存在した(今は探しても見つからない)文学青年という種族の持ち物にふさわしい本の姿です。

家族も手をつけないまま20年間同じ本棚に置かれた書物は、経年劣化による黄ばみは免れないものの、やはり存在を主張していました。主が並べた順がくずされずに連帯を保って、生前の気配を維持しているからです。

別に四畳半の板の間の書庫があって、書物以外にも、編集を担当した書籍の著者校正ゲラや内容見本類、幼い頃からよく父親に連れられて行ったと聞いていた歌舞伎・新国劇のプログラムも‥‥‥。どれも埃をかぶって、こちらはほとんど息をつまらせて眠っていました。

神田の古書店を呼んでほとんどの物を引き取ってもらうまで、本の埃を払いながらSさんの所作や口癖までも思い出していました。所作というのは、「知らざあ言って聞かせやしょう」とか「姐さん、そりゃあ、あんまりだ」とその場に合わせたセリフを吐き、歌舞伎調に大仰に目玉をむいて両手で見栄を切るのです。そろそろ、この辺で出るなとわかる態のものですが、それでも可笑しかったものです。

Sさんのお宅に通う電車の中で、新刊の『グロテスクな教養』(ちくま新書)を読みました。「教養」とか「人格形成」という概念が、もはや絶滅を危惧ないし期待されるものでしかない、とあらためて知りました。言われるまでもなく「教養」はカルチャーセンターあたりでしか生きていません。「新しい歴史教科書」の採択を決めた教育委員の顔をテレビでしげしげと眺めたのですが、「未来志向で都合の悪い過去にフタを」という顔のどこにもそれは窺えません。「有識者会議」という辻褄合わせのためだけの会合などでは、どうでしょう。呼ばれたことがないのでわかりません。でも、Sさんの書棚には、確かにまだ生息していました。そしてその息の根を、私が止めてやろうとしたわけです。もう役目は終わったそうだよ、成仏してくれ、と。散り散りになった教養書の群れは、しかし、けっして息絶えることはないでしょう。「教養」は「情報処理能力」と、「人格形成」は「自己責任」と名称を変え、都合よくつまみ食いされながらも生き延びていくはずです。本はゾンビでありアンパンマンなのだ。これが、古本の山と格闘しながら、この夏実感した事です。

イタミ万策 

  

 

 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

涼しくなったのは本当に嬉しいのですが、またもや恒例の“風邪ひき男”になってしまいました。二、三日前から右後頭部にじわりと疼く感じがすると思ったら今日はもうクシャミの連発。秋は大好きなのに季節の変わり目にはきまってこうなるので面白くありません。

お嬢さんの洋菓子店、素敵ですね。今年5月にイタミ邸にお邪魔して初めてお目にかかりましたが、物腰のやわらかさと凛としたところのバランスが、やはりイタミ家の人だなあと思いました。店鋪の模型やクッキー(だったでしょうか?)の金型まで見せていただいて、いよいよ大空に羽ばたこうかという成鳥の地面をひと蹴りするその瞬間に立ち会えたような幸運を感じました。

お店のある武蔵境は浅草から電車で一時間ほどかかると思います。けっこう遠いわけですが、実際にどんな店になったのかという期待感がありました。地下鉄からJRに乗り換えて武蔵境に向かおうとしたその日は四ッ谷あたりの信号機の故障とかで中央線はストップしていました。やむなく中央線と平行して走る総武線で三鷹駅まで辿り着いてみると構内は溢れた人でパニック寸前。バス停もタクシー乗り場も物凄い行列で、これなら歩いた方が早いぜとばかりに隣の武蔵境までを徒歩で。雨上がりの街を傘をぶらぶらさせながら歩いた時間を足してみると、片道2時間オーバーの行程になりました。ですが、たまにはこういうのもいいですね。

点在する街路樹の途切れるあたりに鮮やかな黄色の廂が映えて正面のガラス部分にはお店のロゴ。ほとんど全面ガラス張りと言いたくなるようなデザインは道路の反対側からも奥の厨房までが見えて、スタッフの人たちと一緒のお嬢さん、こちらに気がつかれたようでニッコリ笑っていました。

ケースに並んだケーキは「作品」として最初に眺めました。アルチザン(職人)とアーティストの語源は一緒でしょうから。すでに常連まで獲得されているのですね、その味は「今までこのあたりには美味しいケーキ屋さんがなかったのよね〜」というお客さんの笑顔が充分に語っているような気がしました。そして壁に掛けられた小さな日本画、苺を描いたその絵を眺めているうちに、わたしもつい「何か描きましょうか」と口走っていました。壁面のバランスを見ていると、どう考えてもあと一点の絵は入る。それなら拙作を飾ってもらえないだろうかと思ってしまうのが絵描きの哀しい性。一瞬、“そんなもの要りませんっ!”なんて言われたらどうしようかと恐怖が脳裏を過りましたが、間髪容れずに「お願いします」と返していただき助かりました(笑)。フルーツを描いた小品は11月には完成します。武蔵境の店頭に立ってみて、やはり夢は実現するし、させなくてはならないと思い入りました。

今回は本の話題ですね。イタミさんはすでにご存知ですが、わたしの家には本というものが見当たりません。読み終えて並べられたり積み上げられていく本というのは、とにかく場所をとるのでこれだけはなんとしても阻止したい。そこでかつて一度だけ大粛正を敢行してスッキリさせてしまいました。もちろん実際には本の仕事もしますし、人様から頂戴することもありますので一冊もないわけではなく、家の中にある本の数は今も増え続けています。処分しきれなかったものやその後必要に応じて購入たものを含めて、お客様からは見えない場所に隠してあるのです。

なぜ隠したりするのか?これには複雑な心情が絡んでいます。個人と本との距離感ということかもしれません。例えば、わたしの寝床の脇の本棚には今でも美術書と一緒になって哲学やら思想関係の本が少しばかり並んでいます。ウィトゲンシュタイン、バートランド・ラッセル、フッサール、メルロ=ポンティ‥‥‥。まさかこのわたしがそんなわけないだろと、ちゃんちゃら可笑しくて自分で笑ってしまいますが、大昔には(どこまで理解していたかは別として)その手合いの本を大真面目に読んでいました。当時の美術青年の一部には観念的な思索への過度の憧れというものがあったようで、読書はその欲求を満たす手段であったと思います。わたしはそういうタイプだったのです(たとえ外見は生っ粋のバーバリアンだったとしても!)。

書籍なので当然そこから得るものはあったと思います。しかし今、その頃の感情や意識を分析してみると、せいぜいが「理論武装」したいとか、精神的な意味でのステイタスを確保したいとかのレベルにすぎませんでした。自分の周囲に塀をめぐらせたり、この貧弱な脳と精神に着せる鎧を探すことに汲々としていた当時を思い出すと恥ずかしくなります。でも、一方でそうした本への愛着がいまだに残っていることも事実。それで結果として「本は隠す」という行為に及んでしまうのです。鎧など身にまとうよりも、まず内側を豊かな水で満たせよ、と平気で言えるようになったのはずいぶん後のことでした。

物体には人間のさまざまな感情を吸い寄せる機能があるのかもしれません。そして本には間違いなくオブジェとしての側面があります。その意味でわたしの本棚は苦い思い出の貼り付いたフェティッシュの集積なのです。この種の嗜好を全面的に否定することはできませんが、せめて「教養」と「教養主義」とは峻別していきたいと思っています。(もっとも、このふたつの境界を見分けるのが一番難しい作業なわけですよね。)

今年は何冊かの本の貰いものをしました。ラ・トゥール展最終日には高橋明也君が監修した『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 再発見された神秘の画家』を、夏の終りには友人のKちゃん(不発弾氏)が実質上の編集主幹をつとめた環境問題を扱う本を頂戴するというふうに。そして先日は大岡亜紀さんから、彼女のお父上が仕事で使用されたというある方の歌集(眩しいばかりです)を送っていただきました。それぞれが嬉しく、思い出の一冊になっていくのだろうと思います。この場合には贈り主との関係が含まれているわけですから、本はいくら増えてもかまわないのです。

ここだけの話ですが、実はわたし、世の中の何が朽ち果て滅びようとも自分だけは絶対にトシなどとるはずがないと信じていました。でも、実際にはそんなわけありませんでした(笑)。なぜか数年前からカウントダウンの音が聞こえるようになったのです。すべての人類はその耳に聞こえるカウントがゼロになった瞬間のことを認識できません。一番大切な自分自身の死すら把握できないことになっています。ですから、この世に残す未練のできるだけ少ないようにと、あらゆるものについてなるべく“所有し過ぎない”という路線を歩こうと思います。以前からなんとなく実践してきたことでしたが、これはほとんど確信に変わりました。それが今わたしに思いつく最も気楽な生き方なのです。本については、すでに図書館にあるものと自分の所有するものとの差を感じなくなりました。

イタミさんの場合は編集の仕事をされて著者との交流や思い出、さまざまな思い入れがたくさんおありでしょうし、その意味でも蔵書はこの世での存在理由を確保していると思います。そしてまた、例えば歌謡曲が、その作曲者や歌手がこの世を去っても曲そのものは唄い継がれていくように、書籍自体の意味・価値・存在までが否定されることはないのでしょう。それにしても、イタミさん所蔵の、あの厖大な量の本が、今後どのような“イノチ”を生きていくのかについては興味があります。

親密な存在と思えて、ときには思いもよらぬ重量感をもってこの身にのしかかってくるのが本という名前の物体なのでしょうか。いや、本に限りませんね。ジョン・レノンは名曲「イマジン」のなかで“ Imagine no possessions, I wonder if you can, ”と唄っています。これは、わたしにとってかなり重たい問いなのです。

絵が完成したらお送りしたいと思います。果たしてお嬢さん、そしてご家族の皆さんに気に入っていただけるかどうか。でも、わたしの画帳に「手抜き」の文字だけはありませんので、その点についてはどうかご安心ください。

イワサキ   

 

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