IWASAKI

 

先週CDが届きました。どうもありがとう。

去年秋にインターネットで再会してから、これで合計六枚のCDを送ってもらったことになるね。演奏しているのが栗田だからというのもあるけど、四半世紀ぶりのハードロックにも、どうにかこちらの耳は耐えています。

バンド活動を休止してからの「kuritaka」の変遷は再会の直後にもらった長いメールでじっくり読ませてもらいました。山あり谷ありで、ちょっとした短編小説みたいだよ。苦労といえばそういうことにもなるだろうけど、まあ、今もこうして音楽をやっているわけだし、過去もいずれは思い出に変っていかなくちゃね。

コンピューターが何でも手伝ってくれる現代では、作曲と演奏、それに音の加工から楽曲完成までの工程すべてをひとりで手掛けるのも珍しくないのは知っています。でも、それが仕事となると厳しいだろうね。機械の扱いとかの技術面だけでなく、その人の資質やら「懐の深さ」みたいなものまでワンセットで評価されてしまうわけだから。逃げも隠れもできない「表現の世界」ってやつだ。

今度のCD『ACOUSTIC』はいわゆる「癒し系」。だからというのではないけれど、聴くというよりも、ずっと部屋のなかで流しています。音量をひかえめにして、しかも窓を開けて、三十メートルくらい下の通りを走る車の音まで混ぜて聴いています。これは意識的にそうしています。

洪水のように大量の音が押し寄せるハードロックをつくっていた栗田の「癒し系」とはどんなものか、それを受け取る方法を考えているわけ。こういう聴き方をするについては、コンサートホールで、あるいは室内の音響機器の前で、正対して耳を澄ませるばかりが「鑑賞」ではないだろうというのもあるね。

部屋の中を歩き回ったり、ときにはソファーで横になったまま昼寝に移行してしまったり。そんなふうにして一週間聴いてみました。

それで気がついたのだけど、印象的な音やフレーズというのはどんなふうにしていても耳に届くものだね。けたたましい音をたてて通り過ぎるバイクの音にも負けない。それどころか、外からやってくる雑音の類も音楽のなかの一部、そうだね、たとえばパーカッションのように聞こえたりするということ(「パァ〜ン」なんてクラクションの音がちょうどいいタイミングで入ってきたりする)。音の大小には関係なく、ゆったりとした旋律が、なにか「毒消し」の働きをするような感じだ。

ギターがウマいのはわかり切ったこと。またそうなろうと努力してきたのも当然のこと。メロディーをつくればどこかに独特の哀愁を帯びた表情があることだってその昔から知っている。だからそれをホメたって始まらないね。そんなことより、この音が、せせこましい都会の一室のなかに澄んだ水でも流れるような時間をつくりだしてくれるということ、それが嬉しいよ。ハードロックを聴く人は限られている。でも、この音楽ならより多くの人のもとに届くかもしれない。オレの知らないところで、どうやら栗田にも成熟の時がやってきているんだなって思っています。 

ところでだけど、窓を開けたら五月の爽やかな風が入ってきた。浅草はまもなく三社祭。毎年のことといっていい、この時期にはその風に乗って、笛や太鼓、それに小刻みに打ち鳴らす鐘‥‥つまりは「祭ばやし」を稽古する音が聞こえてきたりする。本番をひかえて張り切る人たちの姿が、かすかな音のなかに見えるんだな。

この祭りばやしの音は特別なものといっていいだろう。途中で突然やんだりするのは「ちょっと休憩!」みたいなことかもしれないけど、フェイド・インやフェイド・アウトをくりかえしたり、ある楽器だけが主調になったりしながら、ほかの日常的な音を押しのけて、ふわっと部屋のなかに流れ込んでくる。

現実に目の前で聴く祭りばやしというのは、細かくて激しい打楽器のビートに即興の横笛が絡みついたもので、かなりの迫力なんだね。ライヴの音楽として聴いても素晴らしいものだ。ところが、遠くで聴くこの音は断片的で、音量もごく小さなもの。純然たる天然の音ではないし、かといって「音楽」というほど整然としたものでもない。それでもこの切れ切れの音だけは、なぜか心地よくこちらに響く。ちょうど「音」と「音楽」の中間に位置するくらいのものなんだろうけど、不思議なものだよ。

残念ながら、「音が風に乗る」とはどういうことなのか説明できない。実際にはどこかで鳴っているのが建物やなんかに反響してここまで届くのだろうか。こちらは大きな交差点のところに住んでいるので、街中のいろんな音が通りをつたってここに集まってくるのかもしれない。「下町情緒」なんて、もはや言葉だけの世界かと思っていたけれど、この祭りばやしの時期がくるとつくづくいいところに住んでいるのだと思います。こういう聞こえ方は風のおかげということにしておけばいいんだろうね。

今年に入ってからいまひとつ体調がよくなかったり、忙しかったりして、ややくたびれています。それを見抜かれてしまったのかもしれないね。このページの立ち上げ当初から応援してくださっている方にMDを三枚送っていただきました。栗田のCDが届いた翌日のこと。それでもって、今度はこちらの音楽からも恩恵を受けています。

いい季節になって、あちこちから音楽が流れてくるよ。まだお目にかかったことのない方の温情まで届けてくれるわけだから、いま流れているのはきっと音だけじゃないんだろうね。

イワサキ
 
 
 
 
返信 KURITAKA

 

CD、ご静聴有り難うございます。

本来「聞き流される」音楽というのは自分の思う所では無いのですが、聴く人にとって日常生活の中で音楽を聴くという事は、ほとんどの場合「聞き流す」事ですからね。そう考えると自分も集中して音楽を「聴く」というのはめったにないことですから、こういう音作りも自然の流れなのかな、と思ったりしています。そういった鑑賞方法のなかで、先生に褒められた事を大変うれしく思います。有り難うございました。

さて、今回はハードロックばかりやっていた俺が、何故アコギ(アコースティック・ギター)の曲を作るに至ったかを語らして貰います。

「うわぁ〜、アコギの弦ってやっぱり痛いな〜!」そう思ったのは去年の9月頃でした。ある日、ひょんな事から女の子アイドルのポップソングを録音するチャンスに有り付ける事になりました。メインはロック調のガンガンに歪(ひず)んだギターでの伴奏です。ですが、プロデューサーの方から『アコギのパートも有るんですけど、大丈夫?』って聞かれました。「えっ!?」俺は言葉に詰まりました。

自分の曲に使うべくガットギター(クラシックギター)は有りましたが、スチール弦のギター(いわゆるフォークギター)は持っていなかったのです。しかし折角のお誘いを、楽器を持ってないからと言って断ってしまっては今後こういう話は来なくなると思い、「今は無いですけど、大丈夫。何とか調達します。」と答えてアコギに挑戦する事になったわけです。

何年か前に、バンドのレコーディングでやはりアコギが必要になったときは兄貴からYAMAHAのギターを借りて済ませたのですが、今回はこの際だから買ってしまおう、と思いました。ここでまた兄貴にギターを借りてしまっていればあのCDに入っている曲達は出来ていなかったかも知れません。で、色々あってようやくアコギを入手したのです。(このときの話はまた今度!)

さて、何年ぶりでしょう!このアコギの感触。兄貴のギターを借りたときはスタジオでパッと弾いてすぐに返してしまったのでじっくりさわるのは高校時代、友達のギターを放課後、ジャンジャカやったとき以来!

弾いてる場所から音が出ると言う、当たり前だけど強烈な違和感。
段ボール箱を抱えてるような頼りない重量感。
強く弾けばビックリするほどデカイ音量。

エレキとは違う、何年ぶりかの新鮮な感触に時を忘れて楽しもうと思ったのもつかの間、5分も弾いていると左手の指先が痛くなってきました。エレキと比べ太い弦は押さえるのが難しく、ちゃんと押さえないと音が出ない!しかも痛い!そう!これが、これこそがアコギを弾こうと思わなかった最大の理由なのです。難しいのです。痛いんです。

しかし、録音を目の前に控え、そう情けない事も言ってはいられません。何日か練習してちょっと難しいコードもなんとかごまかせるくらいになり、録音を無事済ませたのでした。

普通ならこれをきっかけとして、目覚めていくというところなのですが、アコギを本格的にやろうと思ったのは今からほんの3ヶ月前の事です。ある日、アコギを指が痛くならない程度に(笑)いじっていた時に何となく良いフレーズが出来ました。「あ、これで1曲作ってみようかな」って軽い感じで録音を始め、伴奏部分をスチールで、メロディーをガットのギターで弾いてみました。その曲はその日の内に完成しました。

その時は「まあまあ良い曲じゃん!」と思ったくらいだったのですが次の日にもう一度聴いてみると、(え〜、手前味噌で恥ずかしいのですが)メロディーと音色にちょっとゾクッと来る物があったのです。聴いて貰ったCDに入っている「Big Tree」です。

今までこんな経験は無かったので、なんか自分が弾いている物じゃないような気がしました。と、同時にこれも表現の一つなんだと気が付きました。弾き手‥‥ギター‥‥アンプ‥‥スピーカー‥‥聴き手、とやや複雑な構造のエレキギターに比べて、弾き手‥‥ギター‥‥聴き手、とシンプルなアコギはそう言うのが直接伝わりやすいのかも知れません。もちろんエレキにそれが無いのではなくて、俺にその表現力が無いのです。もしあったら、俺のハードロックの曲を聴いても先生は絶賛してくれた事でしょう!

自分の中でエレキの音に関しては目標にしている音がある為、それに納得できないうちは、表現できないのかも知れません。その音とはバイオリンの音です。俺の感覚の中ではバイオリンの音は、理想のエレキギターの音色なのです。

ギターのピックで低音巻き弦を擦る「ゴリッ」って言う感じはバイオリンの弓の、馬のしっぽのキューティクルが松ヤニに因ってさらに摩擦抵抗を増やし弦を擦る「ンズッ」ってのにそっくりだし、音程や周期も自由自在なビブラート、弓を動かし続ければ永遠に続くロングトーン。まさに理想!この音が出せるようになれば、バイオリンの様に表現できるようになればギター弾きとして階段をもう1段登れるような気がしています。

アコギはバイオリンのビブラートは真似出来ないし、ロングトーンも出ない。だけど何か暖かいような、安心するような。きらびやかで、ゾクッとくるような。つまり今まで弾いてきた楽器とは同じ様な格好をしてるけどまるで別物の、すばらしい音色を持つ楽器なのだと言う事を感じ始めています。だからその楽器をもっと上手く弾けるようになろうと思って、何となく解り始めた自分の中の別の表現方法を、もうちょっと深く探ろうと思ってアコギによる「癒し系」の曲を作ってみました。

でも、自分の中ではバイオリン=歪んだギターも「癒し系」なので、すぐにエレキギターに戻ってしまうかも知れません。歪んだギターで先生も、他の人も癒してみたいですね。そのためにももっとアコギを勉強しなくちゃいけないのかな?

アコギが上手くなったら、ソロギターって言うのも良いですね。あと、二人で路上ライブってのも楽しそうです。

でも、それもこれもとにかく練習しなくちゃ。

あ〜、指が痛い。

くりたか
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