IWASAKI

 

次から次へと台風ばかりがやってきて、奇妙な天気が続きましたね。こちら浅草ではその爪痕らしきものもなくて、それならばと、先日はわずかな晴れ間をついて隅田川のほとりに出掛けてみました。すでにタイミングを逸しているのは承知でしたが、言問橋の下にひとかたまりになって咲いた彼岸花を見ないと秋を迎えたような気がしないのです。

公園内の茂みに踏み込んでみると、あたりには朽ちて横倒しになった花の残骸がひろがっていました。やはり季節外れの彼岸花などに期待するべきではなかったのでしょう。わたしのなかで毎年更新を続けてきた鮮やかな花のイメージがこの時点で塗り替えられてしまったのですから。「記憶」は、とりあえずのところ最新のものが優先されるようで、この好ましからぬ“眼の記憶”を払拭するために、これから一年近くも待たなくてはならないとは‥‥。

彼岸花の件はそれこそ“イヤなもの見ちゃった”の例でしたが、その点、季節の影響を受けない人工物は安心。綺麗なものを眺めたいという欲求の一部分は、現在開催中の『マティス展』を見てきたことで一応は満たされています。

――「マティス展の開会式があるけど、来る?」 と、西洋美術館の高橋明也君から電話をもらったのが9月の半ばでした。“内覧会”といって、同時にその作品が見られるので喜んで参上します。彼の声を聞くのも一年ぶりのことで、電話のついでに近況を尋ねると、現在企画を進めている展覧会について話してくれました。

詳しいことまでは聞けませんでしたが、ロマン派から印象派へといった近代フランス絵画の“王道”を歩んできた彼が、思い掛けず “渋好み”の画家を取りあげようとしているのです。その意外さに驚きつつも、美術史家としての彼のなかには、当然のこととしてその画家に至る道筋もつけられているのだと了解できます。美術館に並ぶであろう絵の静謐を想いながら、それを彼の姿に重ね合わせてみると、わたしが見たことのない“明也像”が浮かび上がりました。人物にまつわるイメージもこんなふうにしながら変化していくのかもしれません。

『マティス展』ですが、さすがに20世紀を代表する巨匠のひとりだけあって、壁面を埋める大画面には圧倒されました。絵のサイズがデカければスゴイのかといえば、そんなことはないと思います。なのに、それを前にして視野を精一杯に広げてみると、自分は絵を見ているのか、それとも巨大な絵がつくりだすこの空間に包まれているだけなのか?‥‥といった不思議な気分になります(たまたまなのでしょうが、目眩のようなものまで感じたりして)。

マティスは昔から好きでした。個々の絵よりも、この画家のスマートさやクールなところに惹かれています。一部のファンにはお馴染みの、この人が絵の勉強を始めたごく初期のデッサンというのがありまして、これが凄いのです。マティスがいわゆる“マティス風”に描く前の画学生の頃のものですが、(古典的、または通俗的な意味で)実に巧い。そのまま“激ウマ路線”で成長していったとしても一流の画家になれたはずなのに、彼は初期の段階でこの路線を放棄します。恣意でなく、意志で選んだ生き方とでもいいましょうか。

激しいタッチで原色を塗り込める「野獣派」のスタイルにしても過渡的なものだったようで、明るく華やかな色彩は年月を経て透明度を増し、画面上の形態は整理されてシンプルであることの美しさとつよさを兼ね備えた作品に変化します。時代の波をとらえたのか、それとも直観的だったのか、さまざまなものを吸収して肥大したのではなく、その逆に、脱ぎ捨てることで純化していったマティスの生き方にクールな現代性を感じます。そのあたりがカッコよくて好きなのです。

今回の展覧会では名作の数々を観ることができました。なかでも晩年のマティスが制作した「切り紙絵」は“純化するマティス”の到達点のひとつです。

「切り紙絵」という言葉には、なにか趣味的で“ちまちま”とした印象があります。でもマティスのそれはまるで様相が違います。身体が不自由になって車椅子の生活を余儀なくされた画家の晩年でしたが、それを逆手にとったかのようにみえる、助手まで使っての精力的な制作ぶり。この人は老いるということを忘れてしまったのでしょうか? 今回は日本初公開の『JAZZ』の連作、そして個人的に大好きな『ブルー・ヌード()』という作品が展示されるので楽しみにしていました――この作品は、座ってポーズする女性の肢体を、青く塗った紙でシルエットのように切り抜いて白地に置いたものです。人体のもつ形象をここまで単純化しても、まだそこに、動勢の力強さや生命の尊厳、そしてほのかな色香までを合わせもつ作品が成立し得るという希有な作例なのです。

待ってました!の『ブルー・ヌード』との対面のはずでしたが、実際には“あれれれれ?‥‥”というほどの意外な出逢いでした。この驚きは期待外れを意味するのではなく、作品の大きさのことです。縦116×横89センチメートルというサイズは頭で思い描いていたよりも遥かに大きいのです。

そういえば、わたしの記憶のなかの『ブルー・ヌード』は画集で見ていたものでした。印刷された絵の大きさは精々が20〜30センチほどのもの。データとして実際のサイズが記されていても、複製を眺めながらその数字に合わせてこちらのイメージを拡大するという器用なマネなどできるわけがありません。従って、わたしにとってこの作品のイメージは、大きくても30センチ止まりだったのです。

今、冷静にこの出来事を振り返ってみると、「イメージ」とは一体何なのだろうという疑問が湧いてきます。何かの姿を頭のなかに思い描くのは簡単ですが、現実の尺度に引き写して再認識するための物指しがありませんから、まず大きさというのを把握することができない。昨今のデジタル画像のサムネイルに近い感じがあるとしても、細部が曖昧なので拡大することもできない。つまりは、全体の雰囲気や印象として、そのものであることは判別できるけれど、それ以上のシロモノではなさそう――といったあたりでしょうか。ここまで不確かなものを「イメージ」という言葉に置き換えて平然と使用している我々の図太さ(?)というのはありそうですが‥‥。

絵は、やはり実物を見るに越したことはありませんね。現実の『ブルー・ヌード』は、頭のなかのイメージからは読み取ることのできない事実を教えてくれます。グァッシュという不透明水彩で青く塗られた紙の質感や白地の紙の肌合い、そして、そのふたつのコントラスト。紙の継ぎ目や重なり具合など。造形物には実物の表面を目で辿ることでしか得られない情報がいくつもあります。それをわたしなりに咀嚼して『ブルー・ヌード』のイメージが更新されたというわけでした。

今ふと思いました。彼岸花の色合いにも育つ環境などで微妙な違いがあるようです。たしか隅田川のそれは、わずかに黄味を帯びていて朱に近い印象がありました。じつはこの色と併置したときに最も映える色が、その補色であるところの青色です。人間の頭のなかは便利にできていますね。朽ち果てた彼岸花の隣に『ブルー・ヌード』を置いてみたら、黒ずんだ花がかすかに色づき始めたではありませんか。とりあえずは、この色を頼りにして一年後を待てそうな気がしてきました。

 

イワサキ
 
 
 
 
返信 AKADOU SUSUNOSUKE

 

台風、地震、イラクの拉致・殺害と、暗い話がつづきますね。今年の台風では、ほんとに何年ぶりでしょうか、停電を経験しました。あわてて蝋燭と携帯ラジオを引っぱり出したり、近所の土砂崩れを見にいったりして、つかの間の非日常的時間を過ごしたのでした。

また先日は装画をありがとうございました。小さな本ですが、製作していてなかなか楽しいものでした。貴兄の腕前には改めて感服したしだいです。いずれまたいっしょに仕事ができればと願っています。

子どものころ、我が家の玄関にかかっていたのは、ミレーの「落ち穂拾い」でした。一冊の画集もない無粋な家でしたから、この作品のみが愚生の感性をわずかにはぐくんだのではないかと思っています。工業よりも農業を、都会よりも田園を慕うようになり、やがていつしか花鳥風月を友として酒ばかりくらうようになったというわけです。

仕事しているか、酒くらっているかで一日の、一週間の大半をすごしていますから(風呂もずいぶん入っていません)、頭が最近すこしへんになってきたようです。50年ほども前の女の子の名前がふいに浮かんできたりするのです。小学校1年の時、学校からいっしょに帰った子です。Yさんという名字でしたが、名前も、いっしょに帰ったこともこの半世紀まるで忘れていましたから、なぜいま、突然思い出したのか理由がわかりません。ほんとうにYさんだっただろうか。頭がすこしへんになってきていますから、かってに記憶を捏造しているのではないかと心配になり、卒業アルバムを開いて確認してみたぐらいです。

数日後、今度はある少女の顔がありありと浮かび、それがSさんであると瞬時に認定できたのも不思議でした。親しかったわけでも、親しくなりたかったわけでも、遊んだり歌ったりしたわけでもない女の子です。でもYさんのとき以上に確信をもてたのでしたが、それはなぜだろう。疑問は深まるばかりでしたので、やはり卒業アルバムを取り出して、Sさんの名前と顔を追いました。するとどうでしょう。SさんはYさんのすぐそばに写っていたのです。おそらくは、Yさんの顔と名前を確認していたとき、意識のあるいは無意識のはじっこで、Sさんのことを眺めていたのでしょう。もしそのとき、はっきりとSさんのことも意識していたとしたら、そのことをすぐに忘れてしまった愚生の頭が、やはりへんになっていたということになります。

Mという少年のことを不意に思い出したこともあります。クラスが同じだったこともない、家が近所であるわけでも、何をして遊んだという記憶もなく、第一、小学校の友人か、中学の、あるいは高校の友人かということすら記憶にないのです。しかし背が高く、色黒のその顔は、はっきりと、なつかしく思い浮かべることができますし、名前もMに間違いないのです。今度はアルバムでは見つからず、もう絶対にわからないのではないかとそのことが気になってきました。どこかの段階で転校していった少年かもしれません。

ミレーのその絵を少年のぼくは好きでした。貴兄のマティスにおける「ブルー・ヌード」体験、すなわち、絵の大きさの把捉の問題に関連して言えば、ミレーのその絵は、玄関にかかっていたあの複製のあの額縁に収まった大きさでなければなりません。しかも小柄な少年があの位置から、あの距離をおいて見たものでなければなりません。そうしてミレーという名前も画題も知らないままひたすら見ていたあのころの、あのかすかな淡い感情をともなうものでなければならないと思っています。それは確かにそう言えるのですが、じつは先ほど「落ち穂拾い」と書きましたけれども、それが今ひとつはっきりしないのです。ほんとうは「晩鐘」ではなかっただろうか。画面の人物は腰をかがめていたり、直立して祈っていたり、思い出す時どきによって姿態を変化させているのですから。

こんなふうにさまざまなことが曖昧で、ぼんやりしているかと思うと、ふと鮮明なイメージがほんものさながらに甦ってくるのは、酒のせいだけとも思われず、脳味噌のなかで何かがソーティングされているのではないかとも考えられます。脳味噌の疲労がかなりのところまできて、よけいなものは忘れてしまえよ、と訴えているのでしょう。そしてYさんやSさんやMが時をこえて呼びかけているのは、何も思い出せない記憶の価値といったものではないだろうか。

脳の疲労を強く感じながら、公園のベンチで一杯やっていました。そのとき帰依という言葉が思い浮かんだのでした。ありとあらゆる〈存在するもの〉、ありとあらゆる〈存在しないもの〉に全一に帰依すること。これしかないな、と思いました。そうして、道端のものに帰依の練習をしながら歩いて帰ってきたのですが、いささかふらふらしていたのは、帰依と酒にもとづく陶酔感だったのか、ちょうどそのとき発生した新潟中越地震のゆれだったのか、判然としません。

 

赤胴煤之助
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