| KURITAKA |
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こんにちは。 メールを書くに至るまでを聞いてください。 ちょっと前に『CUBE』と言う、夜中にテレビでやってた映画を見ました。 それから忙しくてしばらくその事を忘れていたのですが、一段落ついて、のんびりパソコンをいじってる時に急に思い出したのです。 すると、 兎に角何かヒントになる物を探ろうと思い、 先入観とは恐ろしい物で‥‥しかしそう思っていたのも事実で‥‥ ちょっとガッカリしながらGallery2を見ると、 次に『一枚絵草紙』を見ました。 先入観とは恐ろしい物で‥‥しかしそう思っていたのも事実で‥‥ ちょっとガッカリしながら文章を読み入ってると、なんか良いんです。 んなわけで懐かしい教え子からのびっくりメールを送ろうと思いました。 高校卒業してからもう20年ですよ! 実を言うとちょっと前までは 長々と書いてしまいましたが、ちょっと興奮気味だったのでご容赦下さい。
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| 返信 IWASAKI |
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ほんとに久しぶり。もちろん、よーくおぼえています。忘れるわけないよ。 高校を卒業してから音楽関係の学校に入って、途中でプロに転向したというあたりまでは知っています。こちらは教師を辞めてしまったのでその後のことはわからないけれど、厳しい世界だろうから苦労もしたかな。でも音楽を続けていてくれてよかった。当時の天才ギター少年はきっとスゴいプレイヤーになっているんだろうね。オレにとってもあのころが青春で、みんなのことを懐かしく思い出すことがあります。“しらふ”ではとても見られないにしても、二十年前に録画したビデオなんか引っぱり出したりして。 昌美、みゆき、須賀に富田‥‥。みんな可愛らしい顔をしていたね。録画を見て気がついたけど、演奏中の大久保はいつもガニマタだったんだな。それと、やっぱりリーダーの栗田がしっかりしていたから続いたクラブだったと思うよ。美術教師の主宰するジャズ研なんて、どう考えたって迷走するに決っているわけだし‥‥。こうやって会えると嬉しくていろいろなことを思い出します。この季節なら文化祭の「後夜祭」のステージかな。君のグループに飛び入りして吹いたことがあったろう。グラウンドのまん中で。 あのときの土手越しに見る夕日がすごく綺麗でね。それを横目で眺めながら吹くアップテンポのブルースが気持ちよかった。一段高くなったステージの上にいると、川を渡ってきた西風も独り占めしている感じなんだよね。こうなったらもう止らない。アルト吹きのオレだって気分だけは“マイルス・オン・ステージ”よ。アイ・コンタクトでソロをまわしながら、ついでに「下校時刻だから帰りなさい」なんて放送も無視しちゃった。“教師がそんなことでどうすんの”ってことだろうけど、あれはだれにも止められなかったよ。演奏を終えて一人で職員室に戻ってみたら、あたりの空気がひんやり。まあ、仕方ないか。 ご指摘のように少しカドがとれてしまったかなとは思います。人というのは変化するのか、しないのか。この年になって(かろうじてまだ四十代だけど)、そのあたりについては思うところがあるよね。 つい先日のこと、テレビでロック歌手のジョー・コッカーが歌うのを見たんだよ。1969年の『ウッドストック・フェスティバル』――あの史上最大級のロック・イベントを代表するスターのひとりだよね。個人的に興味があるのは、かつての英雄が今はどんなふうにしているかということ。ジョー・コッカーは三十年以上たっても、当時と同じようにあの曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』を歌うんだな。 この曲はもともとビートルズのもので、「友だちの助けがあれば、こんなボクでもきっとうまくやれる。だから頑張ってみるよ。」ってな歌詞。邦題は『心の友』だったと思う。ミディアム・テンポにのったリンゴ・スターのヴォーカルがほのぼのだ。それを三十何年か前のジョー・コッカーはスロー・バラードに仕立てて、ウッドストックのステージで歌ったわけだね。この人の基本はリズム&ブルースだから立ち上がりは落ち着いた感じでもだんだん激しくなるよ。ピークでは長髪を振り乱して声を絞り切ってみせる。ブレイクに合わせてこっちまで一緒に息を止めてしまうくらいで、まさしく鳥肌もの。 評論家じゃないから、60年代後半のロックがどうだったとかなんていわない。でも、このコンサートの記録映画を見れば、すくなくとも当時のミュージシャンたちの世の中を見る目が(仮に本人はラリっていたとしても)“まっとう”なものだったというのがよくわかる。普通なら大観衆へのメッセージは「人に頼るな、一人で強く生きろ」というのがあたり前だろう。あのころ、そうやってひとりで世界を守ろうとして失敗した国があったよね。ジョー・コッカーはその逆をいったわけだ。実際に曲の紹介でも「おぼえときな、友だちを頼れってことだ」といっている。こういう「逆転」を鮮やかなパフォーマンスで表現できたから支持されたんだろうね。みんな驚いたと思うよ。「おっ、なあんだ一人で生きなくてもいいのか」ってね。「強く生きなきゃ」とだけ思っていた連中は考えさせられたんじゃないかな。 時は流れて現在のジョー・コッカーだけど、あの獣のような男っぽさは消え失せて、完璧な“おじさん”に変身していたよ。お腹は出るし、髪の毛も薄くなってしまった。お馴染みの、ギターを弾くような身ぶり手ぶりで歌い始めたのはいいけれど、声量が減ったぶんアクションだって遠慮がち。衰えたわけだよね。だれだって自分の大切にしていたイメージが壊れていくのを見るのは哀しいものさ。イヤなもの見ちゃったなと思ったんだよ、最初は。 彼はベテランだから、おそらくコテコテにフェイクして歌うだろうと思っていた――森進一が『襟裳岬』を「えりぃぃぃ〜〜もぉのぉぉ〜〜‥‥」とやるみたいに。だけどこのおじさん、なんのてらいもなく、あのころと同じ歌い方であの名曲を歌ってしまうんだ。聴衆が期待した通りのスタイル。その歌いっぷりに打たれてしまった。まず、客が求めるものを与えようとするプロ根性。そして、自分がしてきたことの値打ちを知っているオヤジの静かな迫力。おまけに、じっくり聴いてみてわかったけど、実に細かいニュアンスまで歌い込んでいるんだな。これはすべて彼がそのキャリアのなかで培ってきたものだよ。ただひとつ衰えたのが“パワー”ということ。でも、その不足を蓄積してきたもので補って濃厚な数分間を演出してみせてくれた。沁みたね。このオレもただのおじさんだから。 時間をかけてじわじわと正体が明らかになっていくのが人間なのかもしれないよ。ジョー・コッカーにはそうやって自分自身になりきろうとする人の姿を見た思いがする。だれでも若い頃の振幅の大きさとその後の自分の姿とを比較してみたらうろたえるさ。今の自分はどうなんだろうってみんな気にしているからね。イメージとしては少しずつ傾いていく夕日を眺めながら、さてどうしようかと思案する大人たち、かなあ。もちろん、まだ陽は空にあるわけだし、沈みきってしまうまでがまた長かったりするんだろうけど。 その後のオレ自身のことを少し。あの「後夜祭」のニ年後のこと、愛用のアルト・サックスは美術準備室の窓を壊して侵入しただれかが持っていってしまった。学校は荒んできた感じもあったし、全員が“天使”というわけにはいかなかったみたいだね。それでというのではないけれど、オレは担任の職責を果して、その子たちと一緒に学校を卒業したというわけ。セミアコのエレキとボロのテナーは友人に託してきた。みゆきが卒業するときにくれたエレキ・ベースはフレットレスに改造したらうまく音が出ない。そういうわけで、音のするものはもうひとつもないんだよ。あの場所に何か忘れ物でもしてきたような気もするけど、でも、だったらどうなんだって感じもある。 それにしても、こうしてまた会えたのは偶然ではないよ。オレも栗田と大久保の名前を検索したことがあったしね。大久保には「メールよこせ」と伝えてください。みんな大人だから、これからは違ったかたちのセッションだな。それも旧師を囲んでとかじゃなくて「同窓会」みたいなもんだよ。住所は下記のところ。CD喜んで聴かせてもらう。それと、早めにそちらの電話番号も教えること。以上だ。 おっと、懐かしい写真があった。「後夜祭」のやつ。紙テープで鉢巻きをした栗田がいつもの立ち位置からオレの方を見ている。「先生、いつソロを振ってくれてもいいですよ。」そんな感じ。だからオレは安心して好き勝手ができたんだよ。そのお礼にジョー・コッカーから直々に伝授された言葉を贈ろう。とても尊いものだから、心して聞くように。 「石の上にも三十年!」 どうだ、まいったろう。
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