KURITAKA

 

こんにちは。お久しぶりです。

先生からのメールを見ると結構頻繁に風邪をひいてますね。やっぱりこの時期の予防の基本は加湿でしょう!ま、弊害として結露した窓を毎日掃除するはめになりますが……綺麗になって良いでしょ。

最近気づいたことがあります。そして、先生にも作品を創っているクリエーターの一人としてお聞きします。一つの作品を仕上げるのにどれくらいの時間を費やそうと考えていますか?俺の場合は、1曲を完成させるのにじっくり時間を掛ければ掛けるほど「良い物」が出来ると思っていました。

昔は昼間アルバイトをして夜に作曲、録音をしていたため必然的に時間が掛かってしまっていました。日曜日などの空いている時間をそれに充てたとしても、1曲作るのに1ヶ月ほどの時間を費やしていたのです。その癖がついてしまっていたのでしょうか、つい最近までたくさんの時間を掛けて、悪い言い方をすればダラダラとやっていたのです。

ところがある日、お仕事として「あと10日しかないのだけど7曲欲しい」という依頼が来ました。1曲に1ヶ月掛かるヤツが10日で7曲なんて無理に決まっています!しかしこのチャンスは逃したくないし、幸い曲の基となるモチーフもかなりあったのでやってみることにしました。お金も欲しかったので……。

で、結局何とかなったのです。自分でも何とかなるモンなんだな〜と軽く思いました。でも、それはその時それっきりで、また以前のペースに戻っていってしまいました。自分の都合でいくらでも延ばせる締め切りに合わせ、「良い物」を作るという名目のため時間を掛け、ダラダラのんびり作曲、録音を繰り返す日々。


突然「これではいけないっ!」頭の中のどこかで何かが鳴った様な気がしました。何故いけないのかは解りません。「良い物」を作るには時間が掛かるのだから。しかしその思いは強烈でした。そして自分に大きな課題を背負わす事を思い立ったのです。「カッコイイ曲を短時間で仕上げてみな!」と。

テーマはアコギと打ち込みの融合。いわゆるフュージョンってヤツですね。1曲を3日で仕上げ、5曲作る!そんな課題を掲げ、やってみることにしました。で、やってみればこれは難無く出来上がったのです。

その時考えました。案外簡単に出来た理由は何なのか?答えはテレビのドラマが教えてくれていたのです。以前見た、主人公の高校教師がガンの為残された1年をどう生きていくか、という重いテーマのドラマだったのですが、その中で「読まなかった本」と言う話が出てきます。主人公が机の中から、元気な時に買って読まずにそのままになっていた本を見つけ、こう思い、生徒達に話します。「ここに一冊の本があります。しかし、今度読もう今度読もうと思いつつ、すでに一年が経ちました。この本の持ち主はこれを読む時間がなかったのでしょうか。たぶん違います。読もうとしなかった。それだけです」

まさにその通りでした。以前の俺は良いフレーズが浮かばないと「あ〜今日は調子悪い。明日考えればいいや。」とその時にやろうとしなかったのです。先生も知っていると思います。良いアイディアが浮かばない時にそれをどうしても絞り出さなくてはいけない辛さを。そんな時は作業を止めて気分転換をした方が良いと思ってしまう甘い誘惑を。そして俺はその誘惑に負け、それは二日延び、1週間延びと時間を無意味に使ってしまっていたのでした。

「明日の朝死んでも化けて出ない、悔いを残さない生き方をしよう」というのが俺の座右の銘だったのですが、なんて愚かなことをしていたのでしょうか。解っていたはずなのに実行は出来ていなかったのです。そしてそれに気づくのにとても長い時間が掛かってしまいました。

さらに今回は短い時間で作業しようと集中すると、次から次へとアイディアが湧き、長いこと1曲に携わっていられなくなってきたのです。つまり今やってる曲を作ることに飽きてしまい、次の曲をやりたくなってウズウズしてしまうのです。そのためにも短時間で1曲ずつを完成させていこうと思いました。これは短時間の集中力が生む相乗効果で、短時間の積み重ねで合計すると長時間集中できるというものです。知り合いに一日に2,3曲作ってしまう凄い人が居て、どうしたらそうなるのかが不思議だったのですがきっとこれに近いことなのだと今は想像できます。

で、結果としてはどうでしょうか。カッコイイ曲が出来たのでしょうか?もちろん作業時間の差の為の音質や、思い入れの違いはありますが、自分ではクオリティーは下がったとは思いません。むしろ際だつ部分が増えていますし、十分「カッコイイ曲」が出来たと思います。またCDにして送りますので聴いてください。

今回のことでやれば出来ると言う自信もつきましたし、人生におけるとても重要なことに気づかされました。もっと早くに気づくことが出来たら良かったのですが。いや、俺の場合はこの歳になったからこそ気がついたのだと思います。今、ちょっとだけ幸せです。

風邪をひかない様にとはもう言いません、どうせひくでしょうから。こじらせないように身体に気を付けてお過ごし下さい。ではまた。

くりたか
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

また風邪をひいてしまったよ。今回の原因はハッキリしていて、このところ隅田川沿いを歩いてばかりいたから。この季節の川沿いはけっこう寒い。寒くても実際にそこを歩いてみないと作文ができない“損なタイプ”だから仕方ないわけだけど。

もし、自分のペースでのんびりやれて、それでおカネになるような商売があったらラクだと思うよ。栗田が経験したような事態は現実にはしばしば起きるもので、むしろそれが一般的ではないかという気もする。フリーランスとはそういうものであり、与えられた条件のなかで、いかにしてクライアントの要求に応えていくかが個人の力量ということになるだろうね。 自由業ほど過酷で不自由な商売はないというのは、じつは公然の秘密だったりする(笑)。

オレの絵は時間がかかるよ。サイズが関係するので具体的にどれくらいとは言えないけれど、テマヒマの要る古くさいスタイルだしね。それでも観賞用の絵と、印刷されて使用される商業目的のものとでは制作時間が全く違う、というか変えなくてはならない。

いわゆるタブロー(額縁絵画)は本当に時間がかかる。オレの場合は描く前の下準備からして大変。まず木のパネルに布を貼って下地剤を何度も塗り重ねる。せっかく塗り上げた下地だが、次はこれをサンドペーパーとかで削る、あるいは磨く。鏡のようにツルツルになれば土台の部分が完成。この作業だけでも一日や二日で出来るものじゃない。本人でもイヤになるくらい。

こういうやり方は大昔の絵画技法の影響を受けているわけ。そこまでしなくても描くことはできるけれど、自分のなかにはそうする理由があるわけで、これだけは如何ともしがたい。ハイテク・デジタルの時代に、ひたすら時代を逆行している感じかな。

一方、印刷向けの絵を描く技術者としてのオレのキャリアはかなり古くて、時間的な制約とかの過酷な状況はいくらでも経験しているので対処法は完成している。自慢にはならないけれど、締切りを守れなかったことは一度もないよ。

栗田は、オレの最初の仕事は美術教師と思っているかもしれないけど、じつは違うんだな。profileには書いてないだけで、ホントは19歳のときから某印刷会社のイラストレーターをしていた。名目は学生のアルバイト。でも、描いたものが即印刷されていたから実質的にはプロ。そこのデザインルームにはオレ用の机もあったし、直接の上司であるアート・ディレクターに連れられてプレゼンテーションにも同席していた。

こういう仕事は単に自分の絵が描けるだけではダメなんだね。さまざまな描画スタイルを要求される場合があるし、与えられたプラン、アイデアを反映させながら許された時間内で確実に仕上げなくてはならない。かなりハードだ。印刷についての知識も必要だし、自分のなかにたくさんの引き出しがなければ、通常はできないことになっている。みんな実践で鍛えられながらそれをモノにしていくというわけ。暖かく厳しい上司にシゴかれてオレの“芸域”も広がったと思うよ。おかげで後年ずいぶんと助かった。

印刷会社の仕事は二年くらい。それと重なるようにして、ある方の紹介で出版関連もさせていただいた。こちらは小説の挿絵。新書判くらいの大きさの「ノベル」もので、有名なシリーズ。SF、推理、冒険小説とかの、名前を出せば誰でも知っているような流行作家の方々を担当させていただいた。原稿を読んで指定された箇所をイラストにしていく仕事だけど、これは自分でアイデアをつくって絵にするわけで、印刷会社での仕事とはタイプが違う。本には自分の名前も載るし、たくさんの人の目に触れるものだから晴れがましい気分だった。一丁前に、競合する他社から好条件を提示されて、そちらに移ったりもしている。あの頃のいろんな経験が現在の自分の基礎になっていると思うね。

教師になってからはイラストの仕事はできなくなってしまった。片手間にやれるかというと、それほど甘い分野ではないわけだ。当時、学生時代の先輩に声を掛けてもらって、ある出版社の仕事だけは続いたけれど、所詮こちらはサラリーマン、どこかに甘えがなかったかと聞かれれば返答に窮する。とくにオレの場合は、休日や夏休みともなれば栗田少年、大久保少年たちとの楽しい「騒音集団」の練習が待っていたし!!!

――ホントは伏せておくつもりだったことを書いてみました。忘れたフリをしていたのはたぶん、当時の自分に「未明」の部分がたくさんあったからだと思う。若さを恥じるわけではないけど、やはり照れくさいわけ。ところが今頃になって自分の“小ささ”みたいなものに気づかされるようになってくると、今度はこのちっぽけな自分が生きる意味は一体どこにあるのだろうとかが気になってくる。それを含めて、ひとつ自分の全体像を考えてみるか、くらいの余裕はできたような気がするのであえて筆をすべらせてみたという次第。

自由業に限らず言えることだけど、大切なのは、今していることが自分の喜びになっているかどうかだと思う。そう感じられる「場」での自分を精一杯に生きることだよ。 どんなふうに生きたとしても、人間には、あの世にまで持っていくことのできるものは何ひとつとしてない。……これは、全人類が共有する「公然の秘密」だからね。

(イワサキ)
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