KURITAKA

こんにちは。
いよいよ夏らしくなってきました。
毎年の事ですが、西日の当たる俺の部屋ではパソコンや楽器の熱との相乗効果でエアコンの冷風も身体まで届く間に温風に変わる有り様。タオルを首に巻き、うちわ片手にギターを弾くなんてクリエイティブではありません(笑)。ちょっと前の話になりますが、人には伝えにくい感覚を体験したので、説明しませんがお話しします。
 
3月上旬、お世話になってるプロデューサーから「ライブのサポートやって貰えませんか?」と依頼があり、時間の都合がつく限り「来る物は拒まず」体制の俺は簡単に承諾してしまいました。サポートとは、以前アルバムのアレンジを担当したアイドル系アーティストのバックでギターを弾く事なのですが、よくよく話を聞くと最近流行ってるアコースティックライブにしたいとの事。つまりは、殆どがロックアレンジの曲をピアノ・アコギ・ボーカルの3人でやりたい、と。人件費削減かも知れませんが(笑)。大勢の客の前で演奏するのは10数年ぶりだし、楽器は得意ではないアコギだしと、かなり不安になりました。でも、5月の本番までには時間もある事だし何とかなるだろうと思ってました。そん時は‥‥。

最近人の事しかやってないんですよ。人の曲をアレンジしたり、人の為に曲書いたり。自分の為に自分の曲を書くなんてもう3年くらいやってないんですよ。そこにきて久々のライブが人のバックバンドだなんて‥‥。サポートなんて初めてだし、それに何回も言うようですがアコギですよアコギ!以前アコギが苦手な理由を話したと思いますが、いくら心に響く良い音がしたって痛い物は痛い!ワンステージもつかどうか。本番の日が近づくにつれ、何とかなるどころか不安と緊張で逃げ出したくなりました。

当日の朝‥‥。
寝不足でボケボケの頭と、10数年ぶりの緊張でドッキドキの心臓と、普段殆ど歩かないダルダルの足でライブ会場に向かいました。ライブの後には打ち上げがあるので車を運転してこないで下さい、と言われていたのでバスと電車を乗り継ぎ、会場のある蔵前までギターを担いで出かけたのです。で、本番。

昼、夜の2部構成でしたが2回とも満員で客の反応も良く、ライブとしては大成功。しかし俺の演奏は散々なもので、いくら10数年ぶりとはいえ、あまりにも不甲斐無いものでした。他のスタッフはそんなには気にしてなかった様ですが(俺の為にそう言ってくれていたのかも知れません)、本人にしてみれば相当ショックなことだったのです。でもいつまでもいじけてはいられないので、次回もあることだし、もっと練習して臨めば今度はうまく行くだろうと、無理矢理自分を納得させ、笑って打ち上げに行きました。

ライブは大成功だったのでみんなで多いに盛り上がりました。俺は下戸なので食う方にまわりましたが、普段食えないようなものを腹一杯食って大騒ぎでした。そしてお開きの時間になり、次のライブに向けて志気を高めその場で解散、それぞれ帰路に着いたのです。が、その時気がつきました。「相模原」なんて田舎に住んでるのは俺だけだってことを!

時計を見ると12時近い! 電車で家に帰れるか? (この辺からちょっと小説風に!)

慌てて大江戸線に乗り込み、新宿に向かった。新宿では大江戸線の改札から小田急線の改札まで結構ある。急ぐと田舎者丸出しみたいでいやだったのだが、最終に乗り遅れるのはもっといやだったので大荷物を抱えて走ってみた。小田急のホームで時刻表をみると、うちの方の相模大野まで行く最終電車にあと2分!走って良かった!しかし、電車は各駅停車。俺が降りたい町田まで1時間位掛かる。すると最寄り駅に通じる横浜線は終わってしまっている。町田からタクシーっていう手もあるが金無いし、タクシー待ちもかったるい。ここは今日の反省も兼ねて相模大野から歩くか?!覚悟を決め、満員電車に1時間程揺られた。

大野に着いたのは1時20分。さて、明るくなる前に家に着けるかな?ま、車で20〜30分だから歩いて3時間か?って3時間も歩いたことなんて最近ないじゃん。しかも大荷物持ってるし。ステージで履いてたコンバースはほぼ新品だし。でも考えてたって家には着かないので、ギターと荷物を一つにまとめて背負い、駅前でポカリを買って知ってるはずの道を歩きはじめる。

次の信号を右に曲がって、と頭の中の地図をなぞってみるが、あれっ?信号がない。道は間違ってないはずだ。良く見ると遥か彼方に小さな赤い点が見える。あれが信号だろうか?赤以外は見えない。赤い光は遠くまで届くと言うがそんな距離である。自動車と歩き。この距離感の差を痛感した。気を取り直して信号まで歩き、右に曲がる。普通、車ならこの道を真っ直ぐ行くのだが、家の方向からちょっとずれるので脇に逸れ、住宅街に入る。

もう深夜2時に近い。みんなが寝静まった真っ暗な住宅街に俺の歩く音だけが響く。靴が地面を蹴る音、ギターケースが太ももに擦れる音、バッグのファスナーのタブがぶつかる音。駅前では全然聞こえなかったのがここではそれしか聞こえない。別に悪い事をしているわけでもないのに、なるべく音をたてないように泥棒になったような気分で歩く。それに家がたくさんあるのに人の気配が無いのが、異次元の世界に紛れ込んだようでちょっと怖い。

荷物が肩に食い込んで痛くなってきた。ソフトケースに入れたギターは軽いはずなのにかなり重く感じる。心配していたコンバースは、やはりかかとと小指を強く擦ってくれており、「ベロッ」という擬音が頭の中で鳴った。確認したらもう靴を履けなくなると思い、我慢した。

やがて住宅街を抜けると、大きな通りに出て何度か見た事のある看板が目に入った。「えっ、まだここ?!」車で走れば駅から5分と掛からない所だった。結構歩いたと思ったのに、思いのほか進んでない事を知らされ呆然とした。時間帯のためかでかいトラックが結構なスピードで走っていく。あれに乗れたらどんなに楽か、そう思いながらとぼとぼ歩く。

大通りから外れ森の中の道に入っていく。歩くのなら車があまり通らない道の方が気が楽だ。この辺は車でも一回通ったかどうかというあまり知らない所だけど、方向は「多分」合ってるだろう。そして今歩いているここは、ゴルフ場沿いのかなりきれいに整備された散歩道。一定の間隔でベンチやテーブルが置いてある。疲れたら休めってことで設置されているのだろうが、ここで休むと歩き出すのがいやになると思い、無視した。

次はどこらにベンチが置いてあるのかなと顔を上げて愕然とする。その道は視界が許す限りまっすぐ続いていた。「どこまで歩けば良いんだよ」つい漏らす。そしてその間に何個か点々と光る外灯。あの下に有るんだな、ベンチって。ぼーっとしながらも一歩一歩踏み出す。そしていきなり思い立った。よし、目標を決めよう! これから三つ目のベンチで休憩しよう。馴染んでないコンバースの擬音が「ズルッ」に変わったが、三つ目のベンチを目指す。

ライブで疲れてるのになんでこんなとこ歩いてるんだろ?眠いなぁ、早く寝たいな。あ〜痛てっ、右肩の下にあんまん入れたい。打ち上げであんなに食ったのに腹へってきた。なんで靴のサイズって26.7とかじゃないんだろ?それにしても静かだな。南海キャンディーズって面白いよね。いろんなことを考えながら歩き続けなんとか三つ目のベンチに到着。荷物を降ろし、ベンチに腰掛け、ポカリのボトルをくわえながら周りを見渡す。

いろんなことを考えながら歩き続け、なんとか三つ目のベンチに到着。荷物を降ろし、ベンチに腰掛け、ポカリのボトルをくわえながら周りを見渡す。

静かだ。何一つ物音がしない。いや、良く聞くとゴルフ場の池で水の流れる音がしている。何故かほっとした。安堵と共にひどい演奏をしたことを思い出す。誰も居ないし、と思いギターをケースから出してそろっと弾いてみた。「Aadd9」 チャリーンとポローンが混ざったような音だったが、余りにでかい音だったので慌てて止めてあたりを見渡してしまった。誰もいないし、静かなままだ。俺が弾けばでかい音がして、止めれば静か。ホントにギターの音だけ! ライブの様にPA使って音を大きくしているわけでもないし、リバーブも掛かってない! まさにこれぞアコースティックライブ!

物凄い自由な感じ。だれも邪魔しないし、いやなら止めればいい。うわぁーなんか恥ずかしい! 恥ずかしいけど気持ち良い! これは初めての感触。なんだろ、降り積もったばかりの新雪に立ちションしてる感じ。真っ暗な無音の空間に、ギターで光の粒を描いている感じ。でもきれいな湖をフルチンで泳いでるような恥ずかしさ。誰も居ないから恥ずかしがる事はないんだけど。

自分の為のアコースティックライブ。もちろん緊張なんかしていない。人のためではなく自分が弾きたいから、自分の為にやっている! 凄く綺麗な音がして、嬉しい、楽しい。ここ暫くは自分の為にギター弾いてなかったから‥‥いつの間にか夢中になって弾いてた。思いつくまま指を動かしたり、綺麗な和音を探したりした。

「ホテル・カリフォルニア」を弾いた。
「天国への階段」も弾いた。
「ハードラック・ウーマン」は当然だ。


時間にしたら5分だったかも知れないし、1時間だったかも知れないが、アコギで弾ける数少ないレパートリーは全部弾いてしまったようだ。おっと、最近レパートリーに加わった今日のライブでやった曲もついでにちょっと弾いてみよう。あれ、結構うまく弾けるじゃん。気持ちよく弾けるじゃん。今、お客さんが居たら最高のライブショーだよな。と思った瞬間、タクシーがすごいスピードで走り抜けていった。

「おっ」

我に帰った俺は徐にギターを仕舞い、客の居ないアコースティックライブは呆気なく終わった。もちろんアンコールは無い。そして靴擦れの痛みの代わりに左手の指先に残る熱を感じながら、残りを歩き始めた。

 

「私に電話すればよかったじゃん」何日か後にいきさつを話した妹に言われました。「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‥‥‥」。実は、去年の秋に妹夫婦がうちのすぐ近所に引っ越してきていたのです。もちろん車も持っていますし、寝るのは2時過ぎだし・・・。すっかり忘れてました。ま、迎えに来てもらったら苦労せずに帰れたけど、あの不思議な感覚は体験できなかった、ってことでこの間抜けな話はおしまいにします。

長々と書いてなんか夏休みの作文になってしまったので、はなまる下さい。これからも暑い日が続くと思いますが、夏風邪などひかぬよう身体に気をつけてお過ごし下さい。ではまた。

PS
考えてみたら先生のところに行けばよかったんですね。次回はそうします。

くりたか
 
 
 
 
返信 IWASAKI

そんなことがあったのか。でも、夜中に歩きっぱなしというのはよくないな。あと10年後だったら確実に疲労骨折ということになって一ヶ月くらいは歩けなくなる。って、経験者が語るのだから間違いない(笑)。それにしても演奏がうまくいかなかったのは、プレッシャーに弱いタイプだったりするのか? それなら二十何年か前の、あの会話はいったい何だったんだろう。

オレたちジャズ研の解散コンサートの日のことだった(といっても、文化祭のステージだけど)。たいしたシロモノではなかったかもしれないが、一応は全力疾走してきた騒音集団の歴史が終る。照明、演出、PA、あらゆるプランを徹底的に煮詰めた。特訓もした。やり残したことはもう何もないというその日の朝、ステージに通じる階段のところで「おい栗田、今日は“勝ち”だな。ギャハ!」と話しかけたら、「先生‥‥全部終ってから笑いましょう」だと。ずいぶん冷静なやつだと思ったけど、ホントは心臓バクバクか? だったら二人してただの小心者というわけかい!(大笑)

みんなが卒業していった翌年、オレはもう一度だけステージに立った。今度は教員バンドでベースとヴォーカルを担当。ラストの曲ではギターに持ち替えるという安い芸まで披露してYMOをやった(時代だよな)。旧ジャズ研の残党、Kは三年生になっていたが、学年の上下関係で出番のなかったあいつにはドラムを叩いてもらった。そして、その時点でオレの青春が完結した。以後は楽器を触るどころか次第に音楽そのものを耳にすることがなくなっていく。引き潮の、まさにあのイメージそのままの展開だった。


無音の状態に慣れてしまうと、しまいには音を聴くのが怖くなるんだな。これは家の中に閉じこもり続ける人が外に出られなくなる状態と似ているかもしれない。マズい。深刻な感じになってきたので、この10年くらいはリハビリのつもりで意識的に音を聴くようにしてきた。とりあえずは、自分にとっての“中継地点”であったはずの1970年前後の音楽を聴き、ウッドストックとかワイト島のロックフェスティバルのビデオを見て、30年以上もご無沙汰だったジミ・ヘンドリックスのギターなんかも聴き返していた。

――ジミはウッドストックとワイト島の両方に出演している。とくにワイト島での演奏は、その若き死の二週間前のもので不世出の天才ロックギタリストの在りし日を偲ぶ貴重な映像だ。60万人の若者が小さな島で熱狂していた。しかしその彼らもレナード・コーエンの唄う「スザンヌ」という曲だけは黙って聴いている。詩人、作家、シンガー&ソングライターのコーエンはヨレた格好でギターを抱え、ゆっくりと唄い始める。歌詞の内容は、宗教歌ではないがイエスの最期と愛や希望についてを描いたもの。丘陵の斜面を埋めつくした何十万人という若者たちが、夜の闇のなかでこの曲に耳を傾ける姿には不思議なエネルギーが満ちているんだよ。そういう光景を、当時は「ヒッピー」や「反体制運動」なんかの言葉で括ろうとしていたわけだ。掘り起こせば、たぶんもっと深くて豊かなものがあったはずなのに残念でならない。

そんなこんなで少年の日の記憶を少しずつたどっていったら、中学生のときテレビで初めて見た、高橋竹山が弾くところの「津軽三味線」の衝撃が蘇ってきた――竹山についてはその後、円熟期の演奏をナマで聴けた。毎週見ていた「シオノギ・ミーュジックフェア」に登場した黒人のギタリストは確かに“巨匠”B.Bキングだったのだが、顔中から汗を吹き出して演奏する人の姿に慄然としたことまでを思い出す。ホンモノのブルースを聴いた最初の日で1967年のことだった。古い記憶を整理してみると、それほど悪い音楽を聴いてきたわけではなかったと思えてくる。“音楽忌避症”(そんな病名・症状あるか?)のような状態はかなりの程度まで快復したようだった。

そして今年5月のことだ。ついに音楽会なるものに行ってしまった。ライブを聴くのはマイルスのコンサート以来だから実に23年ぶり。国立西洋美術館で開催された〈ラ・トゥールの聴いた響きを求めて〉という演奏会は、フランスで各賞を総ナメにしている古楽器演奏グループ「ル・ポエム・アルモニーク」を招聘してのミュージアムコンサートだった。 ラ・トゥール展の関連イベントとして企画されたこの音楽会では17世紀前半の宮廷音楽や庶民の聴いた歌が再現される。展覧会の私設応援団をしてきたオレとしては聴くのが当然のコンサートに違いなかった。必然性がある。

コンサートの様子はこのページ下の写真を見てもらえばわかると思う。会場は特別に設えたものではなく、美術展の開会式等で使われる会場入口前のフロアを使用している。そこに100脚の椅子が弧を描くように並べられて、会期中の三日間だけ夜間に一回ずつ開催された(有料)。演奏家のためのステージはない。足元と背後の照明を除けば「セット」と呼べるのは左右に置かれた2枚のつい立てだけ。集音マイク、場内拡声のアンプやミキサーの類‥‥いわゆるPA機材もない。シンプルといえばこれ以上はないほどのアコースティック・ライブ。だが、これが素晴らしかった。演奏家と聴衆の垣根を取っ払った空間はライブハウスと同様の空気をつくりだすのだから。

ル・ポエム・アルモニークというグループは現在、古楽器と伝統音楽の分野でもっとも“旬”な演奏集団のひとつであるらしい。その日本初公演を限定100席で、しかも至近距離から聴けるのはファンにとって夢のような出来事であったはずだ。オレの聴いた第二夜のアンコールは4曲だったか、5曲だったか‥‥とにかく拍手が鳴り止まない。客層から想像して日頃は紳士淑女であるはずの人たちも、この夜の“ノリ”はライブハウスのそれに近かった。大きな拍手が手拍子に変わる。両手を広げてそれに応える歌姫と二人の男性ヴォーカリスト、そして5人の楽士たちは意外なほど若かった。

個人的な興味は後ろに控えた古楽器とその演奏家たちのほうにあった。ラ・トゥールの絵に出てくる古楽器「ヴィエル」は今回の演奏会の主役だが、これはバイオリンと同じような擦弦楽器。右手のハンドルで胴内にある木製の円盤を回して旋律用、共鳴用の弦を擦って音をつくる。左手のキー(鍵盤)は音階を刻む。演奏会終了後に、このグループのお茶目なヴィエル弾きによるレクチャーがあったが、こういう時間も楽しいものだ。

優れた演奏家たちのなかにあって、“エスプリ”の意味でさらにその上をいくと思われる女性パーカッショニストについてはあえて語りたい。その演奏を聴いた観客は同じ思いではないだろうか。

彼女の使う楽器はタンバリンと床に置いた太鼓の二つだけ。もしこれが軽音楽なら、パーカッションの専門家は自分の周囲に山ほどの楽器を並べるだろう。打楽器にはリズムだけでなく、さまざまな装飾音をつくる役割が要求されるからだ。果してたった二つの楽器で何ができるのかと思った。ところが彼女はスティック(撥)だけでなく自分の指先までも道具として使う。これだけでも二倍の数の音色がつくれる。直径1メートルもない円筒形の太鼓の皮の上を、縁から中心へ向けて移動しながら指先でトン・トン・トンと三ケ所叩くと、それぞれは別の音になる。余った手で皮のどこかを押さえてミュートしながら叩けば、さらに別の音になる。指は、テーブルマジックのように太鼓の表面を駆けていた。

あきらかに彼女のドラミングを聴かせるための選曲もあった。容赦のないパワーで振り降ろすように見えてスティックの先端へ伝わる力は正確にコントロールされている。「カッ、カッ」と太鼓の縁を叩くのは一種のリム・ショット。しかしそれを小気味よく織りまぜていくのはヨーロッパの太鼓のスタイルではないはず。あとから聞いた話だが、彼女は加藤登紀子のレコーディングに参加しているし、日本の伝統音楽にも関心があって「和太鼓」も聴くそうな。だから太鼓一つの長いドラムソロも無理なくこちらに響いたのか。頭上に雷鳴の轟くような空間をつくりだしていたのはどれくらいの時間だったろう。その音は再びアンサンブルに溶け込んでいった。

‥‥と、まあこんなふうに説明してみたが心底堪能できた演奏会だった。

こうしてオレの“コンサート解禁”は意外なほどスンナリと実現してしまったわけだ。そして普通なら、しばらくはその余韻に浸ることになる。でも今回は少し違っていた。画家で詩人の大岡亜紀さんが、ある人のコンサートを収録した二本のヒデオテープを届けてくれたのだ。先日彼女に会った際に、オレはその「ある人」について少し話をしたかもしれない、その人の大ファンなので。すると何日かしてビデオが届いた。驚いたことにご本人から直接頂戴したものだという。

ビデオ『バリケード・一九六六年二月』『さらば、坂本小学校!』は歌人、福島泰樹さん(本来は「先生」としなくてはならない)が30年も続けている「短歌絶叫コンサート」を収録したものだった。福島さんはこの春までNHKの短歌番組の選者をされていた。オレはその番組で福島さんを知った。番組のなかで、老境を迎えたご婦人の投稿歌が選ばれたことがある。毎日自分が生きていることを確認する、その営みのひとつとして食事をつくる。そういう内容の歌を評して「そうだよな、“食”はグルメじゃなくて、イノチなんだよな」と語った福島さんを思い出す。しかしその人がどんなライブパフォーマンスをしてきたのかまでは知らなかった。なにしろこちらは20年以上もまともに音楽を聴いてこなかったのだから。浦島太郎のようなオレに今、救いの手が差しのべられたということだろうか。ありがたい。

亜紀さんは以前、CSの「本と出会う」という番組の司会をしていたことがあるそうだ。そこに福島さんがゲストで出演した。つぎに福島さんがNHK「心の時代」に出演する際にそのご指名で彼女が聞き手をつとめた、という間柄らしい。ビデオはそのときに「ご参考までに」と渡されたものという。貴重なものを拝借してしまった。丁重に扱わなくては、と思いつつもすでに一ヶ月以上も毎日聴き続けている。それくらい素晴らしい。スゴい。テープが傷んだりしないかと気にはなるけれど、もうちょっと聴いてから何食わぬ顔で返すつもり。(‥‥って、もう読まれてるか)

「短歌はもともと歌なんだ、それを活字のなかだけに押しやってはいけない」というのが福島さんの主張。スローガンは「肉声の回復と歌謡の復権」。自作の短歌や中也、朔太郎などの詩を「音楽」として再構築するための方法が、詠嘆でなく「絶叫」を主体とする朗読だった。もともとが僧侶でもあるからお経を読むという職業柄が関係するかもしれない、発声法は他の“歌い手”とは違っていると思う。そういう思想と身体性をワルツ、タンゴ、歌謡曲、そして16ビートのロックのリズムにのせて表現している。わずか数十時間しか見ていない映像ではあるけれど、オレの経験からすれば、あらゆる意味でスゴいとしか言いようがない。

福島さんのことはもっといろいろ書きたい。が、今はやめておこう。まさかこういうかたちで実現するとは思ってなかったから、ついに復活した「音楽」の余韻を当分のあいだは楽しみたいというわけだ。でも気さくな方だと聞くし、いつかは“告白”しに行かなくてはと思う。そうなんだよ、調べてみたら福島さんが住職をつとめる法昌寺はオレの家から歩いてたったの10分だった! 近過ぎる。

くるべきものはくるべきときにやってくる、ということなんだろうか。小津安二郎の言葉ではないけれど、つまるところは「芸術のことは自分に従う」でいいんだね。

まだ暑い日も続くだろうから身体に気をつけて。今度のライブのときにはぜひ会おう。

イワサキ 

 

 

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