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イワサキ先生 その後、如何お過ごしでしょうか? 私は、十代半ば頃から、その時の気分で様々なジャンルの音楽をライブやレコード&CD等で聞いてきましたが、とくにここ数カ月は、とあるお店に足を運ぶ回数が増えています。先生のお住まいから歩いて数分の、合羽橋道具街の片隅に在るKという店です。好きなミュージシャンを追いかけて…というのはこれまでもよくありましたが、好きなお店が出来てそこに通うというのは、Kが初めてです。 Kは“jazz&gallery”と掲げられていますが、実際には、明確なジャンル分けが出来ないようなミュージシャン達による生演奏が、ジャズについてはよく解らない私にも充分楽しめるところが気に入ってしまったのかもしれません。ライブの内容は、ジャズは勿論のこと、フォーク風あり、ブルース風もあり、ロック?タンゴ?etc…そんな感じのするお店です。 このKに、月に一回出演されている渋谷毅さんというピアニストがいらっしゃいます。(この方は、以前、由紀さおりさんが歌われていた『生きがい』を作曲されたり、NHKの子供向け番組の作曲等も担当されているようです。)今年の2月、この渋谷さんの“エッセンシャル エリントン”と銘打たれたユニットのライブを吉祥寺のジャズクラブで聞いた時に、とても面白い体験をしました。 この時のメンバーは、ピアノの渋谷さんの他に、テナーサックス、アルトサックス他、テューバという、99年に同タイトルのCDを録音した時と同じ4名に、ドラムスと女性ボーカルが加わった6人編成でした。 たった6人のメンバーで、デューク・エリントンのナンバーを次から次へと演奏し歌っていくのですが、聞き入っているうちに、それはまるでビッグ・バンドかジャズ・オーケストラで奏でられているかのような錯覚を起こしてしまいました。 一人が一つの楽器を演奏しているのですが、その音にはまるで4〜5人ずつが同じ楽器で同じ旋律の音を出しているような奥行きが感じられるのです。あたかも10数名?あるいはそれ以上の演奏家達が奏でているように聞こえたのでした。低音部を支えているのがジャズでよく聞かれるベース等の弦楽器ではなくて、サックス等と同じ管楽器であるテューバというのもとても新鮮でしたし、それがより一層、音の厚みを感じさせたのかもしれません。 またある時、一人自宅で渋谷さんのピアノソロのアルバムを聞いていると、ピアノの音に混ざって様々な音が頭の中で鳴り響いてくるように感じられたことがありました。曲によって、それは他の楽器の音だったり、誰かの呟く独り言のようであったり、男女の楽し気な囁き声や街のざわめきでもあり‥‥何とも楽しいひとときでありました。 そんな楽しい時間も束の間で、音楽は泡沫よりも儚いものだと感じる時があります。 とくにライブでは心が震えるような音に出会えても、耳や頭の中を次から次へと流れて行くそれを堰き止める術がありません。私には、それがどのような音であったのかを正確に憶えている事ができないのです。けれども真に心が震えた時の満足感というのは、いつまで経ってもこの身体のどこかに留まってくれていますから、それで充分なのかな?と、一人勝手に納得しています。
つい先日、上野公園の中にある奏楽堂という所で行なわれた「渋谷毅コンサート エッセンシャル エリントン」というライブを聞きに行きました。渋谷さんは、芸大在学中にこの建物の2階にあるホールで練習をされていたのだそうです。日本最古の木造ホールで、現在は重要文化財に指定されているのだとか。音がよく響いて、とても素敵なホールでした。内容もとても素晴らしく、あっと言う間に終わってしまった…という印象のライブでした。 鬱陶しい梅雨の季節がやって来てしまいましたが、来月に入ると、先生のお宅の近くでは朝顔市に、ほおずき市と、風流な行事が立て続けに催されますね。 その頃に、Kでお目当てのライブが重なってくれると嬉しいのですが…。否々、それよりも先生のご用事が一段落されましたら、皆でそちらに押し掛けたいと考えております。
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| 返信 IWASAKI |
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先日は差し入れをありがとうございました。○○○のヒレカツサンド、苛烈なダイエットに挑戦中の身であるにもかかわらず、禁を破って夜食にいただきました。美味でした。 奏楽堂のことはよく知っています。あの古めかしい建物が都美術館のそばに移築されてからは、一度だけですが入場料を払って覗いてみたことがあります
。ギシギシ鳴る階段に昔を思い出しました。 わたしの入学したころは、まだ音校(おんこう=通りを挟んで北側の音楽学部)の敷地内にありまして、じつは当時、美術学部の校舎の一部が建築中で、わたしたちはあの奏楽堂の一階の部屋をアトリエとして一年ちょっとのあいだ使っていたのです。旧東京音楽学校時代の遺物で、いまでは国の重要文化財である奏楽堂も、三十年前のわたしたちにとっては一種の“たまり場”だったというわけです。 わたしたちがいたのは正面入り口のすぐ左隣の狭い部屋と、その隣でした。現在は若干の改修がほどこされたとみえて二部屋はそれぞれ独立していますが、当時はつながっていたのです。部屋と部屋のあいだには二階のホールへ上がる階段があります。その階段の裏側の斜めになったところが部屋にくい込んでいて、そこを利用した扉付きの物置きのようなスペースもありました。部屋から部屋へ移動するには物置きの入り口前を通ることになり、つまりは階段の下をくぐることになるわけで、奇妙な部屋だなと思ったものです。 その物置きのなかにはガラクタと一緒に古いガットギターがひとつ置いてありました。ホコリまみれで汚らしく、とても触る気になれないのを大掃除だというので渋々運んだのを思い出します。このときの出来事は、おそらく生涯忘れることができないでしょう。 ホコリを払おうと窓際に置いたギターの表面で恐るべき事態が発生したのです。薄い板でできた胴体の半分ほどを覆っていたでしょうか。そのホコリがジワジワと変形を始めました。そしてゆっくりと陽の当たらない裏側へと移動していくのです。このアトリエに出入りする者がどういうわけかいつも落ち着かず、「きっと何かあるな‥‥」と思ってはいたのですが、その正体がこれでした。おそらく何万(もしかして何十万?)匹という数のダニ。恐怖と怒りに震えながらバルサンを焚きましたけど。 重要文化財に“出世”した現在はともかく、もともとが学内の演奏会のためのホールということもあったのでしょう。建物の管理はけっこうアバウトでした。警備員さんもわたしたちがここを使っているのを忘れてしまうことがあるようで、正面入り口のカギが締ったままのこともしばしば。そんなときでもカギの壊れた窓からいとも簡単に出入りできたのです。古い電車のような、押し上げ式の窓枠を外からあけて――上げた窓枠を固定するストッパーも壊れていましたが、そこは老朽建築、自然と恰好の位置で停止することになっています――助走をつけてぴょんと飛びつくのです。 また当時、奏楽堂には芸術祭(=大学祭)の季節になると幽霊が出るという噂がありました。わたしたちはアトリエを使って(モグリで)模擬店をやりましたが、ついでにこっそり泊まり込み、「丑三つ時」に真相究明に乗り出してみたのです。コンサートを目前にして無念の死をとげたとかいう白い服のヒロインは、ついに登場しませんでしたね。 古いから素晴らしいのだとはいえませんが、古ければそこにはたくさんの人たちの記憶や想いといったものがしみ込んでいます。あの滝廉太郎を初めとして多くの音楽家を世に送りだした奏楽堂が、本来の役目を終えたあとも同じ公園内で生き続けているのは嬉しい限りです。 奏楽堂でのジャズ・コンサートはさぞ楽しかったことでしょう。その昔あのホールの階下で一時期を過ごした者には、木製の建物がどれほどよく鳴り響くかがわかります。当時でもオーケストラが「ジャン!」とやれば、下の部屋まで静かに振動したくらいですから。ジャズなら当然のこと、建物全体がスウィングしたはずです。 ちょっとウンチクめいてしまいますが、テューバであるとかトロンボーンのような管楽器が低音部の担当としてジャズに導入されたのはかなり古くからのようです。というか、ジャズバンドの発生そのものが、南北戦争に負けたアメリカ南部地域で、そこに住む黒人たちが不要になった軍楽隊の楽器をかき集めて始めたものですから、もともとがブラスバンドみたいなものだったわけですね。管楽器主体の、さり気なく古典的な編成がまた奏楽堂に似合っているような気がします。その柔らかい低音に誘われて、地の底からもたくさんの聴衆がやってきたでしょうね。気がつきませんでしたか? 上野のお山には古くからたくさんの人が集ってきました。武蔵野台地の東端に位置する上野台(長ったらしいですけど、学術的に表現するとこんなふうになるようです)は旧石器時代から人のいたところですし、各時代の遺構や古墳だってあります。江戸時代なら、あの一帯は東叡山寛永寺の広大な敷地です。明治維新の頃にはそこで戦争が行われて死者もでました。白い服のヒロインも加わって、数限りない魂たちがいまでも公園内を彷徨っているかもしれませんね。公園はみんなのものですけど、過去の人びとにもその権利はあるのだと思います。全員でエリントンのゴキゲンな音楽を分かち合ったというわけですか。 目には見えない人びとの出す音もそうですが、音楽とは、いつでも、どんなときでも鳴り響いているのかもしれません。それがどこから聞こえてこようと、ほかの人に聞こえるのと同じであろうとなかろうと、気にすることはないのでしょう。その一部分だけを切り取って「刹那」なんて呼んだりするのは、きっとこの世の者が勝手にしていることでしょうから。 nonさんの通う「K」も、わたしの住むこのあたりも縄文時代以前には湿地帯とか浅い海の底だったようです。上野台地から東に見おろす東京低地(これも専門用語)の景色がどんなものであったのか想像もつきませんが、“低地”の居心地も悪くはありません。是非またみんなでワイワイやりましょう。 T君によろしくお伝えください。
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