SEIKATSUSHUMIJIN

 

「よお、そろそろ書けたかい?」そう云って貴君が電話をくれる時には、決まって出張に行って た事を口実にするのがこの頃の「慣わし?」になってしまったね。

実際このところ、海外での仕事が格段に重要度を増してね、特に東南アジアとはこれまでとは違った形で付合う事になってきたんだ。私が身を置く当業界の事をここで詳しく書いてもしようが無いけど、東南アジア特に中国の広東省は、これまで長きに渡って生産での拠点だったのが、この頃では開発に於いても重要なポジションを占めるようになってきた。そして昨今の紙上でも報じられている通り、よろず産業にとってもいよいよマーケットとして本気で取り組むべき様相になってきたというわけだ。

従来の生産拠点としてだったら当方は発注クライアント側だから、コスト交渉の必要もあって勢い偉そうに振る舞ったりもするわけだが、それが開発面での付き合いとなるともう少し対等な関係になるわけ。そして将来の市場として考えると、なんとあちらさんは神様になっちゃう。こうやって多面的付き合いが始まってみると、これまでの関係では気に止めなかった国民性と云うのか、それぞれの地域のそれぞれの民衆の横顔を知る事が意味を持ってきて、これはなかなか興味深いものなのですよ。

ちょっと面白い視点として、その地域の根本にあるお国柄が一番よくあらわれるのが路上でのマナーかな。ほら、お上に従順な例として良く挙げられる、車が来ていなくとも信号が青になるまで渡らない日本人の事、よく聞くでしょう。それが中国では、欧米のそれともまた違って、信号なんてもう殆ど目安でしかないってくらいなんだよ。

路上ではただでさえ自転車、バイク、荷車、そして車が互いに我が道を譲らないのでクラクションけたたましいのに、交差点に至ってはもう大変。当方が左折(右側通行なので)でも試みようものなら、対向車はたとえ街路樹に擦らんばかりになったとしても、どんな事があろうと自分だけは絶対に先に通るぞと、固い決意で迫って来る。次の車も、、、そして次も、、、と。

このように彼等にとっては「今、得をする」と云う事が余程大切なようなので、交渉事において日本人の感覚で「今の処は多少無理をしても将来を取りましょうや」みたいなアプローチで持ち掛けたところでそう容易には歩み寄ってくれないのも、そんな延長上にあるのでしょうね。

さてそれではそのお隣のベトナムはというと、これがまた面白い。越南と書くぐらいで中国南端の国境を超えた処にある国なのに、これほど違うものかと驚かされます。彼の地はバイク天国で、それこそ数百万台のバイクが路上を行き来します。一台に一家4〜5人が曲芸のように乗っていたり、若い男女が5〜6台のバイクで移動しつつ、あたかも一台の車にでも乗っているかのように、賑やかに談笑し合ったりしているのです。そしてそれらの無数のバイクが交差点に差し掛かった時のこと、それはちょっと驚きの光景でした。交差する四方向とも止まるでもなく、かと云って強引に突き進むでもなく、ごく自然に交差点で混じり合います。そして何ごともなく互いの行く先へと走り去ってゆくのです。

その光景はあまりに見事なので、滞在中は交差点を通りかかると暫しその光景を眺めていたものです。きっと彼等は互いを思い遣る柔軟さをもっているのではないでしょうか。これは去年の暮れに休暇で行った時の事ですので、現地の人との触れあいも少なく、推察でしか無いのですが。

それにしても早朝から深夜まで途切れる事のないあの無数のバイク、いったいどこへ行こうとしているのでしょうか。バイクの上で皆楽しそうにペチャクチャやっている。とても暑い所だし、それにきっと家にはエアコンも無い事だろうから、ああやって走り続ける事で風を受けて涼んでいるのではなかろうかとさえ考えたりします。それほどまでに賑やかに、さながら動くお茶の間の風情で走り抜けて行くのです。

排ガスをさけるつもりなのか多くが怪しい覆面をしているのですが、それでも車上の彼等の、特に若い男女の屈託のない明るい笑顔が印象的でした。メコン川を舟でまわった時も、船上で洗濯をしていた若い女性達が毎日のように見かけるであろう観光客の私達に対して大きな声で呼び掛け、手を振ります。あんなに健康的な笑顔を私が自国で見たのはいったいいつの事だったでしょう。

実際に彼等と話してみると、男女をとわず物静かで親切で、そしてとてもシャイであることが、何故か私には意外に感じられました。かつてのアメリカ映画でステレオタイプにイメージづけられたベトコンやベトナム人を、同じ東洋人である私自身も刷り込まれていたのですね。

余談ですがこの訪問の前に旅行ガイド本を読みました。タクシーとシクロ(人力自転車)には気をつけろと何度も書いてありました。なんでも、法外な料金を要求されたりするそうです。さて到着時は既に夜十時近くで、いかにもローカルな怪しい雰囲気の空港ビルを出たら外は街灯すらない暗闇で、タクシーの姿も見当たりません。旅慣れた私もさすがに不安でたじろいでしまいました。その上に暗闇から男達が「タクシー?タクシー?」と云いつつ私達を取り囲み袖を引っ張るではありませんか。絶対怪しいですから「ノー、タクシー!」と振り切ろうとするのですが、とうとうその中の一人が大丈夫、おれがタクシーだと云って荷物をもって行きはじめました。

車に乗ってからも不安でした。メーターは付いていたけれどどの数字が料金表示なのか分からないし、何か裏通りのような所ばかり行くし。やがて1台のバイクに近付くと運転手が窓を開けて青年に話し掛けた。さては仲間と示し合わせたか、、、とこちらは更に固くなってしまったのです。

運転手と話している青年は、然しながら明るい顔をした感じの良い若者で、一言で云えば好青年です。はて?と思っていると運転手が、いまのは息子で学生をしており、これから家に帰る所だ、というではありませんか。そう云って振り返ったその男の顔も、さっきは暗闇で気が付かなかったけれども正直そうな、そしてとても優しい目をしているのです。どこへつれてゆかれるのだろうと云う不安から、この時やっと解放されました。

やがて目的のホテルに到着しました。料金を尋ねるとふっかけるどころか、ちょっと肩をすぼめていくらでも構わないと云うではありませんか。これが私達が最初に出会ったベトナム人です。そして彼の地の人々への好印象は旅の最後まで裏切られる事はありませんでした。

この週末からは私はしばらく米国へ出張です。広い国ですので地域差はあるものの、概して大らかなあの土地に於いて私も運転者の一人となります。この出張で特に車を運転しなければならない理由はないのですが、私の所属する国家とその領有する地域に住まう民族のコセコセした運転マナーから離れた処でのドライビングを少し楽しみたいと思うゆえんなのです。

ではこの路上観察、もうすこし信憑性のある素材が集まったらまたレポートする事にいたしましょう。

生活趣味人
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

また出張かい? よく体がもつね。そうやって駆け回るのもスケジュール通りなんだろうけど、苦労のかけらも見せないからスゴいな。

それにしても君の奉公先の会社、このところのマスコミへの露出度は半端じゃないね。ほとんど毎月のように新製品が出て、そのたびに新しいテレビCMが流れる。ついでに、なぜかおカタいニュース番組にまで登場したりするじゃないか。企業戦略ということなんだろうけど、どんな狙いがあるのかこちらには見当もつかない。その昔、君がテレビに出てきて、のんびりと玩具の解説なんかをしていた時代から思うと隔世の感だね。

出張も楽じゃないだろう。でも海外だ。いいなあ。オレも負けずに週に二度くらいは電車に乗って出かけているよ。もっとも、片道二時間くらいの日帰りや一泊旅行だけどね。いや、違った。こういうのは「帰郷」っていうんだっけ。

ちょっと前まで「百歳まで生きる」とか言っていた親父があっさりと逝ってしまって、その人のやりかけていたことや、ほったらかしにしていたことが山ほどあるんだね。それを解明しようとしているわけ。相続なんてもの以前の、こんがらかった糸の塊みたいなのをひとつずつほぐす作業なんだよ。

汗をふきふき東京から出かけていくのは仕事じゃないし、もちろん遊びでもない。そういう奇妙な生活が続いている。近頃では、これは日常なのか非日常なのか、それさえも分らない感じになってきてね。とにかくアタマはぼんやり、でも体は動かさなくてはならないってことで、家族の会話にしても「仕方ないね」「ああ、仕方ない」なんていうため息混じりのものが多くなってきた。残念だけど「お芸術」してるヒマはない。

最初は消耗するだけの作業と思っていたけど、そればかりでもないというのが次第に分かってきたよ。これを通して、自分をこの世に送り出した人が何を考えていたのか推理するというのもあって、それを楽しんでいる。だれだって家族の前で何もかもを話すはずがないし、隠したいこともあるだろうしね。それと、もし生前のコミュニケーションが足りなかったとすれば責任はこちらにもあるはずで、不信心のオレみたいなのがいうのも可笑しいけど、これが一種の供養になるかもしれないという感じかな。とにかく、深刻にならずに、できれば笑いながらでもやりたいよ。

故郷というのはやっぱり懐かしいものだね。車窓の景色に緑が増えてくるあたりから、なんかぐっとくる。駅を降りると多少はビルが目立つものの、昔とそれほど変らない町並みが続いていて、変ったところといえば、あちこちにコンビニができたくらいのもの。自分が給料生活を始めると同時に飛び出してしまった街、それからずっと背を向けてきた故郷を今になって懐かしいものに感じているよ。それだけ時間が経って、精神的な意味での距離も見えてきたということだろうけど、では、あれほど脱出したかった理由は何だったのかと考えてしまう。今眺めれば、それなりに何もかもが充足した平和な場所に思えるわけだし……。

「田舎」という言葉が適切でなければ、「地方」でも「地域性」でもいい。漠然とだけど、おそらく今でも日本のかなりの部分がそういう状態から完全には抜け出していないんじゃないかな。これは開けているとか、そうでないとかの意味で使うわけじゃないくて、「家」とか「一族」とかいった言葉で表されるような限定的な集団に依存する風土、くらいのつもりだけど。

伝統的家族制度は戦後、家長制の廃止などにより崩壊した――のかもしれないけど、ただの頑固オヤジなら日本中にゴロゴロいるよね。制度とかじゃなくて、見えない糸でもいいから身近な誰かを縛り付けたり、あるいはその逆にどこかで縛り付けられたがるというのは皆が隠しもっている部分かもしれないね。実際、オレの親父がこの時代に築こうとしていたのはその家父長型みたいな家庭だった。当時のオレは、親父すなわち地域性ととらえて、その両方に反発していたと思うね。

この二か月近くの間、葬式や法要、そして墓石や位牌の前で合掌するたくさんの人を見てきた――遺族席にいるから細かい様子まで実によく見えるんだよ。その多くがオレたちよりも年上の世代だけど、ひとつの発見をしたね。皆さんホトケの前では本当に謙虚だということ。もしかして家のなかではふんぞり返っているかもしれない人でも、手を合わせている時は無私というかホトケの表情そのものになっているんだな。それはこちらが抱いていたような、厳格なルールに支配された「地域性」のイメージとはかけ離れたとても穏やかなものだ。この瞬間だけは「立場」も「序列」もなにもない。それぞれがひとりの仏徒になりきっている。そう、安らかな光景だったよ。

そこで気が付いたね。ここにはもうひとつの日本的なもの、いや、正確には大陸的な何かが混じっているのではないかと。おそらく長きに渡ってこの集団を支えてきた儒教的な(と言っていいのかな?)制度とは反対の側に位置するもの。厳密な意味ではないけど、たぶんおおらかな仏教思想みたいなものが生活のなかに染み込んでいる感じなんだな。

ここでオレが仏教について何か話すことはできないよ。何の勉強もしていないからね。ただ言えそうなのは、今までひとまとめに「地方」とだけ呼んできたもののなかに二つの表情があるということ。ひとつは厳しい序列や規律で支配しようとする社会、もうひとつは、それとは反対にこの集団を精神的な意味で開放していくような穏やかな志向――そんなものが同居しているのではないかということだね。壁一枚隔てるだけで会話の機会もないような都市生活で忘れられてしまった組み合わせ、それが色鮮やかに残っている感じだ。それにしても驚くよ、そういうホトケのような親戚のおじさんやおばさん(皆さん高齢者だけど)の口からポロッと「しきたり」なんて言葉が出てくると。悪気のないのは分かっていても、「オレたちゃ犬神家の一族だったかァ?」なんてね。

それでなくても「地域性」そのものがますます希薄になっていくご時世だし、一家と一族の代表であった人の死で、この小さな集団の解体も間違いなく加速されるわけだよね。オレにとっては、親父が欠けることによって今まで壁で仕切られていた部分があらわになったというか、ようやく自分が避けてきたものの全体が見えてきたような気がする。「しきたり」という前近代的な言葉にしても、今では、あえてそれを持ち出さずにはいられなかった人の口惜しさも少しくらいは分るしね。でも、だったらどうするべきかとまでは言えない。この流れは止められないんだろうね。

話が沈んでしまったね。できれば旅の話でもしたかった。でも、今はこういうことがアタマのなかを占領している感じなんだよね。親父がいた丘の上の病院からは風に揺れる青い麦の穂が見えていたけれど、気がつけばもう完璧に夏だ。ああ、旅でもしたい。外国でなくていいから、面白いものをたくさん見て、浴びるほど酒を飲みたいね。(酒については親父がこっそり隠していた高級品を大量に発見したから、意地でも全部飲み倒すけど。)

今度の出張にはパソコンを持っていくとか言っていたよね。アメリカか。それならメールでもくれよ。君がハイウェイを走りながら受けている乾いた風の話でも聞かせて欲しいな。オレはこの日本の内陸でムレまくっているんだぜ。まあ、ここも広いアジアの一部には違いないわけだけど‥‥。

(イワサキ)
back