SEIKATSUSHUMIJIN

 

外では町内会の子供たちが声を揃えて火の用心の夜回りをやっています。カーン、カーンとこだまする拍子木の澄んだ音から察するに、今夜も結構冷え込んできたようです。いよいよ大晦日も近いですね。

この往復書簡、新年号に載せるからと誘いを受け、あいよ、と引き受けたものの、いろいろあってこんな間際に差し出すことになってしまいました。時の流れは一年中どこを切り取っても同じはずなのに、年の瀬になるとまるで時間が加速したかのように切迫した気分にさせられるのには困ったものです。

年の瀬といえば、私にとって毎年恒例になっている幾つかのものがあります。まずは勤め先において海外関係のことをやっていることもあり、海外の仕事関係や友人たち1人ひとりに近況報告も交えてクリスマスカードを書くこと。毎年彼らとカードのやり取りをして思うことは、彼らの便りに書かれているその一年の報告がとてもイベント豊富で彩りに満ちているということです。対して当方からは「相変わらず忙しくやっています」ばかりで、他に取り立てて書くようなことはめったに無い。同封する写真すら無いこともあり、その一年、仕事以外に個人として何をやったのだろうかといつも考えされられます。

もう一つは家の外にクリスマスの電飾を取り付けること。これは私があまり恵まれない幼少時代をすごしたこともあって、せめてこの時期、近所の子供たちを楽しませようと始めたものです。今ではあちこちでやっているのが新聞等で紹介されるけれど、私が始めた80年代後半にはまだ珍しく、地域でもかなり評判になったものです。なにしろ盛大なのでね。我が家一軒では飽き足らず、近隣三軒まとめて電飾を点けさせてもらっているのだから。

それから最後に年賀状の図案考案と印刷です。私の年賀状は、貴君の芸術作品に比べればたいした手間でもないものだけど、新年に向けての自分の気持ちと呼応する絵柄と言葉に到達するまでは結構悩みます。思い起こせば2000年、いろんな不運が重なって私の担当する変身ロボットシリーズ、仮称ブランド「T」の展開が国内海外両方ともまずい結果となり、進退窮まったのでした。そこで思いついた窮余の一策。両方まとめて世界同時展開という切り口でアニメ映像と製品開発とを日米共同で行おうと提案したのです。その年の暮れに契約締結にまでこぎつけ、プロジェクトを立ち上げました。1からのスタートでした。明けて2001年の年賀状にレトロな日めくり暦の元旦、つまり「1」を図柄に「さてと、ぼちぼち行ってみようか」と添えたのにはそんな背景があったのです。

それから2年後、市場も文化も異にする日米二つのチームが幾多の課題に立ち向かいつつ見事な連携を見せ、ついには複数のプロジェクトにまで発展しそうな気配になりました。そこで2003年の賀状は期待を込めて「花開く年となりますように」としました。結果も上々で、今年は正にこのTブランドの20周年を記念するにふさわしい年となったのです。ついでに私自身も丸三年かけて崖っぷちから生還した次第です。

さて来年の年賀状ですが、キーワードは「夢」で、中央にはいかにも夢を叶えてくれそうな有難げなお姉さんが立っています。今日一日かけてやっとこれを刷り終え、今、夜になってこの書簡を書き始めました。このやろー、こっちを後回しにしやがって、などと思われるかもしれませんが、全てを終えてからでなければこれに向かう気持ちになれなかったのです。なにぶんにこの書簡のテーマは「新たな旅立ち」或いは「おじさんの再起」なのですから。

私の海外との関わりもやはり丁度20年になります。国内販路を中心とするメーカーに在って海外ビジネスというのは主流にはなりえず、自分自身もまたアウトロー意識が強かったのです。然しながら前述のプロジェクトを経験してみて、日米の市場が近年急速に変化しつつあることを強く印象付けられました。二つはまだ同一ではないけれども、互いが互いを意識しあっている関係と云った処でしょうか。そこで今回考えたのが、海外ビジネスと国内ビジネスとを双方向に連動させる開発マーケティングの仕組みなのです。

すっかり仕事の話になってしまいました。これ以上書くと企画書になってしまいますね。でもこのくらいまでは話さないと、何が新たな旅立ちなのかが伝わらないと思ったので。先のプロジェクトと大差ないように聞こえるでしょうけれど、実際の現場ではこれは組織形態や情報の流れなど、大変な変革を要することなのです。とくに初動時には相当な困難が予想されます。その上、これまでのアウトローがいきなりこっちに幹線道路を造るぞと号令を掛け始めるわけですしね。でも、これこそが次世代事業形態の要になると確信するのです。ですから誰に頼まれたわけでもないけれど、これからの何年かをこれにかけて見ようと思うのです。

今、日経新聞で映画監督の今村昌平氏が「私の履歴書」なるコラムを連載中で、その中にある映画のラストに使われたというこんな台詞が紹介されていました。

「回り道なんてもんあらへんと思うわ。その回り道がまっすぐな道や思えば、まっすぐな道や思う道が、ほんまは回り道やちがうやろか」

回り道であれ何であれ、これまで自分がやってきたことが道らしきものとしてみえてきたような気がしています。これからの数年間がそれを確かなものとし、後進に遺してゆけるものとする大切な時期となるでしょう。道はその先へ行くためのものであり、後進たちがこの先どんな処へ行き着くのかを見届けるのが楽しみでもあります。いつか誰かがその歩みを振り返ったときに、そこに私が居たことを思い起こしてくれるかもしれません。これは私がこのおもちゃ業界に在った痕跡であり、私がこの世に存在していたことの証ともなるのです。

とはいえ、なにもリタイアを意識してこんなことを考え始めた訳ではありません。私の生業とするところが私個人にとってとても大切なものであったことに気付いたのです。言葉にすると大げさですが、喰うための職業ではなく、自分が自分であるためのものだったと云えるでしょうか。「生活趣味人」を自称して居ながらこれは矛盾しているかのようですが、実はそうではないのです。仕事の中に自らを解放できるフィールドを見つけ出し、それに夢中になっていたら、いつしかこうなってしまっていた、というのが正直な処です。生活に関することは何でも趣味化して楽しんじゃえって云うのが生活趣味人なら、職業まで楽しんだならば正に真骨頂ではないでしょうか。ならばクリスマスカードにも「相変わらず忙しくやってます」と堂々と書いてもいいかもね。

今年の稼働日もあと三日だというのに、奇しくも米国から、そしてオーストラリアからそれぞれ青年が私を訪ねてくることになっています。二人ともその20周年を迎えた「T」で育った人たちで、私のチームで働きたいという希望を持っています。採用するかどうかはともかく、様々な人々がいろんなかたちでこの細道に集まり、共に歩み始めようとしているようです。私もまた、この先にいったい何が待っているのかを早く見たくて、遠足前の子供のように落ち着きません。こんなわくわくした気持ちで新年が迎えられるなんて、ちょっとステキじゃありません?

貴君もまた、何か新しいことに向かって動き出されたようですね。この新たな年が我々おじさんたちの旅立ちに相応しい年となりますように、そして浮世の風が多少なりとも穏やかならんことを祈りつつ筆を置くことといたしましょう。

それではどうぞ良いお年を

生活趣味人
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

土地柄かもしれないけれど、うちの近所では毎年この時期になると、お題目を唱える一行が通り過ぎたりします。夜の闇に響く七文字には肅然とした気持ちになるね。

おごそかなのはいいとしても、今年もあと一日しかないというのに実は年賀状も出来ていない。その図柄にする意味もあって描いているのが終わらなくて、これを31日でやめにして、お次はそいつを元旦の更新でこのページに載せる。それからやっとハガキの製作、という順番になりそう。やり残した宿題みたいなものばかりを抱え込んで、なんとしてでも年の終わりには、それがダメならせめて正月のうちにでも帳尻を合わせようって魂胆。貧乏性は苦労するよ。

こういう忙しいときに限ってまた余計なことを思いついたりする。ひとつ短歌でもつくってみるか、というわけ。もう10年くらいになるだろうか、なぜか某国営放送局の「歌壇」が好きでずっと見ている。あれは一般の人からの投稿で成り立っている番組だから安心して見ていられるのかもしれないね。これくらいならオレにもできそうだとか思って。ところが実際にやってみると全くできない。ぐうの音も出ない。リキむと退屈なことばの羅列になってしまいそうだし。

テレビで眺める他人様の作には「うん、うん、わかるその感覚」というのがある。まるで最初からそのかたちのままで誕生してきた自然物のような感じ。要はハートの問題なんだと言い聞かせつつ、素直に感心できるものを探したらひとつだけ見つけることができた。するとなんとなくそれらしいのができるものだ(そんなことをしているから時間がなくなるという説はごもっとも)。デキはどうか知らないけど、「歌壇」に投稿したって入選するわけないし、ほかに発表の場もないから、この際はご披露させてもらうことにする――正月につき無礼講ということで。我が人生初の一首を笑わば笑え。

 夜明け前 流しのあかり 青白く ステン(レス)のカーヴは 大蒜の芽伸ばす

台所の隅にあったニンニクのかけらから小さな緑の芽が出ていたので試しに植木鉢に埋めてみた。君も知ってのとおり、ウチは北向きなので採光が良くない。それで半ば諦めながら流しのそばに置いて夜の蛍光灯をあてていたところ、どういうわけかこの芽がぐんぐん伸びてきた。当方は夜型の生活。それでときどき覗いたりして楽しんでいるというわけ。芽は茎になって、すでに15センチくらいの高さになった。もしかしてニンニクの半永久的なリサイクルが可能か?なんて淡い期待も抱いたりするけれど、それはともかくとして、こういう生命力には正直感嘆する。「再生」は、ちょっとしたきっかけで起きることもあるのだと知ったね。

いろいろとあって、絵についてはブランクができてしまった。いずれ再開するのなら「最初の一歩」に近いところまで戻ってみて、そこで考え直すこともあるのではないかと、夏からいろいろな技術を勉強していました。その習得で苦労したし、素材同士の相性を見極めるのはもっと大変だった(でも愉しかった)。手仕事だし、家内制手工業なわけだから、こういうテーマについては鰻屋の「秘伝のタレ」と同じで、誰も教えてくれないのはわかりきっている。それで半年ばかり手間取ってしまった。長かったような、そうでもないような‥‥。いまでは、小さなニンニクでも条件さえ整えば発育するのを知ったから、やっとのことで気合いも入りました。

ところでひとつだけ哀しい報告をしなくてはならない。このページの読者でいてくださったYさんという方が三ヶ月前に他界された。Yさんはオレの父と同世代の人で、以前ジョン・レノンの『イマジン』のことを書いたときにメールを頂戴した。「私もあれをカラオケで唄っていますよ」と。

八十歳ほどのお年寄りがパソコンを操るというのには驚くけれど、『イマジン』を唄うというのはそれ以上だ。あの曲を「知っている」という高齢者はたくさんいるかもしれない。でも、「唄う」というのは表現することだからそれとは別のもの。意欲もエネルギーも要るだろう(もちろん楽しみだってある)。Yさんとは何度かメールのやり取りが続いた。そしてあるときから連絡が途絶えた。どうしたのだろうと思っていたところに届いたのが長いメール、それが最後だったね。

――晴天の霹靂で入院することになりました。治療には根気と時間が必要のようです。「小人閑居して不善を為す」とはまさに自分のことであるから、いままではそうならないように心掛けてきた。しかし、こうなるとボランティアや地域の老人大学での指導も続けられず、今後のライフ・プランが立てられなくて困ります。

病気のこと、治療の方法についても詳しく書かれていたけれど、そこに悲愴感はなくて、むしろやりたいことができないもどかしさだけが伝わってきた。前を見ながら生きるというのはきっとこういうことなんだと思う。Yさん、いまごろはあの世で大好きなジョンをとっつかまえて『イマジン』のデュエットを迫っているはず。もし快復されたら、この「往復書簡」にも参加していただくつもりだったのに、我が最年長の“メル友”は遠くへ行ってしまった。慎んでご冥福をお祈りします。

唐突ではあるけれど、1982年5月28日の午後7時、オレは「よみうりランド・イースト」の野外ステージの客席にいた。

70年代後半から長い沈黙を続けていたジャズの帝王マイルス・デイビスの日本公演。一年前のアルバムで現場復帰を果したマイルスは本当に復活したのか? 固唾を呑んで見守る聴衆の前に彼の七重奏団が登場する。が、なかなか演奏にとりかからない。トランペットを手にしたマイルスがおもむろにキイボードに歩み寄り、片手で何やら弾き始める。その奇妙なメロディーが続くのを遮るようにしてキイボード奏者がゆっくりとした単音を三つ。たぶんそれが合図。ドラムスがスネアを「タン、タン」と二発叩いた直後、マイルス以外の全員が一斉に音をくり出す――これは一種のファンファーレ。その音が消えると同時にドラムスがアップテンポのエイトビートを叩きだす。そこに二本のエレキギターとベース、次々とリズムセクションが重なる。地響きのする大音量のなかで、ついにマイルスがトランペットをかまえる。……マシンガンのようなハイ・ノートの連発があたりの空気を斬り裂いた。――この『ラッシュ・ア・ビット』という短い曲に満員の聴衆は狂喜したね。

このときのツアーは日本各地を回るもので演奏には出来、不出来があったらしい。とくに終盤の東京公演はマイルス本人がかなりくたびれていたらしく、当時のジャズ誌を読むと、一時間ほどのステージがやっとだったということ。そりゃそうかもしれない、58歳だもの。ライヴの演奏家としての体力は峠を越しているはずだ。それでも彼はこのツアーで「帝王の復活」を印象づけてみせた。

FMで中継されたこのときのライブが録音してあったので聴き返してみると、コンサートは実に巧妙に構成されていたね。オープニングの短い曲で超絶技巧を見せつけて全体のイメージをつくりあげておく。そのあとはゆっくりとした曲でソロを聴かせるとか、アップテンポの曲なら若いテナー吹きやギタリストたちにソロをとらせて曲想をふくらませるとか。要所にはお馴染みの曲が挟んであるから観客に不満はない。トランペットを吹いていないときは、実際には “休憩している”わけ。でも、手だけで参加できるキイボードをいじってみせたりして観客を楽しませてくれる。パフォーマンスとしてキッチリと組み立てられたコンサートだった。若いメンバーを自在に操る、老カイで、恰好のいい“マイルスおじさん”がそこにいたね。

‥‥さてと、そんなことを書いているうちにまもなく新しい年だ。こちらはとても「全力疾走」なんてわけにはいかないから、これからは効率良くいきたいね。新しい年のキイ・ワードを思いついたよ。「ちょっとだけ突っ走るか(ラッシュ・ア・ビット)」なんてどうだろう?

(イワサキ)
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