| TSUBAKI |
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いかがお過ごしですか? 満ちゃんは、冬が好きですか。 そう言えば、今年はめずらしく12月に雪が降りましたね。 あの日は、前の晩から風邪気味だった息子が、朝から頭が痛いと言い出し、微熱もあったのですが、私は仕事を休むわけにもいかず、とにかく仕事を午前中ですませ、急いで家に帰りました。すると、庭先にちょっとひしゃげた雪だるまがあるんです。バケツの帽子をかぶり、ピンク色のハタキを万歳して……。しかも、塀の上には、雪礫がいくつもいくつも並んでいるではありませんか。 思わず家に駆け上がると、案の定、熱で寝ているはずの息子が、ヒーターの前で手袋を乾かしていました。仕事中息子のことがずっと気がかりで、仕事を早々に切り上げて飛ぶようにして帰った私は、感情的にならないように自分に言い聞かせ、息子の話を聞きました。雪遊びの楽しさに、頭痛も微熱も吹っ飛んでしまったようです。 そんなことを思い出しながら、共働きの我が家では、本当は少しでも冷凍庫のスペースを確保したいのですが、ビニール袋いっぱいの雪をもう一度冷凍庫に戻しました。 今年も残すところあと数日ですね。
という句があります。「去年今年」というのは新年の季語で、慌ただしく年が去り年が来るという意味ですが、何といっても「貫く棒の如きもの」という大胆な、そして本質を的確につかみ取った表現はさすがです。 一年が終わり新しい年が始まろうとするとき、私などは、去りゆく年への一抹の寂しさと、来たるべき年への期待や決意(実を結ぶことは少ないのですが)で、何とも厳粛な心持ちになるのですが、70代も半ばを過ぎた虚子にとっては、年改まるときの一日一日も、一本の棒が貫くように過ぎていく歳月の中の一日一日に変わりなく、「去年」とか「今年」という枠を超えた、もっと遠大な時の流れの中で年の移り変わりを見事に切り取っています。老境に至ってはじめて得られる感慨かもしれませんが、私はそこに凛とした虚子の生き方と、年を重ねるにしたがって深まっていく「一日」の重みを感じます。 この時期になると、自ずと一年間のさまざまなことが思い出されます。 それは、必ず明日が来ることを信じて疑わないからかもしれませんが、本当は必ず明日が来る保証なんてまったくないのですし、年を重ねるごとに残された時間が短くなっていくわけですから、もっと貪欲にならなくてはいけないのに……。 かといって欲がなくなったわけではないのです。欲と言っても、好奇心や自分を生かしたいという思いに根ざしたものなのですが、今は、そういうものを、多少時間がかかっても納得のいくまで温めて自分のものにしたいと思うようになりました。 若いころは、若さゆえにあれもこれもが視野にあり、結局はいつもすぐ後ろに足音を聞きながら前のめりに進んでいたような気がします。 さて、先日鎌倉に行ってきました。
という相模国の歌があるのですが(ちなみにふりがなは歴史的かなづかいです)、私は以前からこの水無瀬川に行ってみたいと思っていました。 この歌の意味は、「とても愛しいので、私は共寝に出かけるのだ。鎌倉のいつもは水がない水無瀬川に、今日は潮が満ちているだろうか。」というものです。 男は、水が少なければその浅瀬を渡って愛しい人のもとに行くのでしょうが、潮が満ちていれば遠回りをしなければなりません。その気がかりを歌っているわけですが、「まかなしみさ寝に我は行く」とは何と直截的で大らかな愛の歌でしょう。一刻も早く愛しい人に逢いたい男の気持ちの高まりが伝わってくるとともに、どこかに置いてきてしまった私の中の恋心をふと思い出させてくれる歌でもあります。 「水無瀬川」は、長谷観音のあたりを通って鎌倉の海に注ぐ現在の「稲瀬川」であるとのこと。私は、鎌倉に住む教え子が紙片に書いてくれた地図を頼りに、息子と二人で出かけました。長谷観音の入り口交差点付近でやっと見つけた稲瀬川は、家と家との間を流れる用水路ほどの流れで、ちょうど通りかかった、川の裏手のお店のご主人に確かめずにはいられませんでした。 私としては、稲瀬川に沿って海まで出るつもりだったのですが、家並みの間を縫うようにして流れているので、川沿いに道が続いているわけではなく、少し離れた江ノ電長谷駅の目の前にあるお土産屋さんを曲がり、駅のすぐそばに架かる小さな橋と踏切を渡ったあたりから、やっと川に沿った細い道がついていました。 満ちゃんは、江ノ電に乗ったことありますか。 江ノ電は、藤沢と鎌倉の間を走っていますが、軒先に手が届くのではないかと思うほど民家に近いところを走っているかと思うと、体が傾くほどの大きなカーブを曲がるや急に海が開けたり……。海沿いを走っていたかと思うと平気で街中を横切ったり……。四季折々、乗るたびに新しい発見があります。 さて、話は戻りますが、海に近づけば川幅は当然少しずつ広がります。でも、私の目の前を流れる稲瀬川は、それほど大きな流れにはならず、水かさも少なく、住宅の間をただひっそりと流れています。 古代の人たちは、この川をいったいどういう気持ちで眺めていたのでしょう。 海にだいぶ近づいた所で、どこからやって来たのか、一羽の真っ白な鷺が川に降り立ちました。そして、岸辺で見ている私たちをよそに、時々川底の砂を脚で確かめるようにしながら、悠然とその浅瀬を歩いていきます。私たちは、日が落ちかかっているにもかかわらず、しばらくその白鷺の様子を見ていましたが、とにかく日の暮れないうちに海まで行くためにまた歩き始めました。 家が途切れると県道134号線。稲瀬川は、その県道の下を流れ、鎌倉の海に注いでいます。 遠いあの日、古代の恋人たちはすぐに逢うことができたのでしょうか。 いつの間にか、海の空は茜色。そして、左手に見える逗子マリーナのマンション群に灯が点り始めていました。 いつも思うことですが、海というのは見る所見る所でまったく表情が違いますね。
いつか、湘南の海を見にいらしてください。 では、また。
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| 返信 IWASAKI |
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椿さま 夏の暑さが尋常でなかったぶん、この冬はいっそう厳しく感じますね。でも、わたしも冬が好きです。じつは雪の積った先日は実家にいました。 たぶん当てにされていないだろうとは思いつつも、「雪かきをしてあげるから」と母に伝えて出かけてみたのです。案の定、到着してみると門から玄関まではきれいな道がつけられていました。本心をいえば、こちらにしても親の事情はタテマエ。久しぶりの雪景色を楽しみたかったのです。 晴れ上がった翌日には無謀にも自転車に乗って近くの川のあたりまで。解けかかった雪と泥とが混じり合って、土手の坂道はかなりのスリルでした。高台から西の空を眺めると、はるか秩父の峰のあいだには武甲山がちょこんと頭を出しています。胸がじんとしました。ああ、自分はこの景色を眺めて育ったんだなと。 自分の生まれたのが冬ですから、この時期はどこにいても懐かしい故郷にいるような安心感を覚えます。凍てつく外気で手かせ足かせ状態ではあるけれど、体内の熱までもてあますということはない。懐かしさや安堵のみなもとは具体的な記憶ばかりではないのかもしれません。当人の時間軸の出発点の近くを指し示す場合もありそうです。気温の低さは浮かれ過ぎないようにとの天からの思し召し。この季節、一月生まれのわたしはそういう種類の充実を感じます。 三年前の夏だったでしょうか。お電話を頂戴しましたね。「元気なのぉ?」と相変わらずのトーン。でも、ご自身については「疲弊している」とか。「疲弊」という言い方がいかにも椿さんで、「疲れてる」で済むのに、この単語を使うあたりに威勢のいい“おてんば先生”時代の姿を思い出したりもしました。 〈疲れ果てていることは誰にも隠せはしないだろう〉 唐突ですが、ご存知でしょうか。『たどりついたらいつも雨ふり』という歌の出だしの部分です。今日という日に積極的な意味付けができないのもさることながら、さしたる理由もなく、こんなに疲れてしまっているのはいったいどういうわけなんだろう‥‥。かなり古い曲ですが、作詞・作曲が吉田拓郎。歌ったのはモップスというグループです。それに拓郎自身も歌いました。 わたしはこの曲が、『ザ・バンド』というグループ(アメリカ・ロックシーンの最高峰のひとつ、といいたいところです)の歌った名曲『ザ・ウェイト』――見えない「重荷」を背負いながら、魂の置きどころを求めて旅する男の姿を描いています――の影響下にあるのではないかという気がしています。でも、そうした関連はべつとして、時代相とでもいうのか、それをうまいこと表現した拓郎の曲であるとも思います。 夢や希望といったものが、本人さえ気づかないうちにただの「欲望」にすり替えられてしまう浮き世かもしれません。文句をいってみたところではじまらないわけですが、その欲望を満たそうにも、つい、とりあえずの省エネ・スタイルで、しかも閉ざされた空間内での思考・行為ばかりに逃げ込みたくなるわたしたちの心もとなさを思います。ここまで屈折してしまったわけは何なのだろうとも。 今年はちょくちょく田舎に戻っていました。その道すがら、玄関や窓をあけたままの開放的な家を見かけることがありました。この時代に不用心な、などと心配するふりをして、ちらっと覗き込んだりしていたのです。そのたびに幼い頃のさまざまな記憶がよみがえってきました。たしか青い畳の匂いはこんな感じではなかったかとか。木の柱も種類によって香りの違いがあったはずだとか。そして、その匂いの嬉しさに畳の上で芋虫のように回転しながら家の外に転がり出て、落ちた下がコンクリートで額に瘤をつくったとか。痛かったし、遊び回ってばかりで疲れもしたあの頃のことを思い起していたのです。
子供の時代には戻れません。それに、たとえばわたしなどはこの都市での生活を離れることも難しそうです。疲れるわけは、健康的とまではいかなくても、せめてストレートな性質のものであって欲しいと願うのです。 「貫く棒の如きもの」というフレーズには「威厳」のようなものを感じます。あるがままを受け入れて太く生きろということ。今のわたしはこの句からそういうメッセージを受け取りたいのかもしれません。俳句について、そして虚子という人についてあまり知らなくて深入りはできませんが、表現された句境がその作者と同一視できるかといえばそれもわかりません。しかし、威厳をもって言い切ってみせる態度であるとか、表現への意欲が“疲れ果てた”わたしたちに「喝」をいれてくれるのは間違いなさそうです。でも、ふと思いました。これが老齢の、凄腕の俳人のたどりついた境地だったとすると、こちらなどはどうにも時間が足りないのです。困りました。 困ったところで、旅の話に逃げさせてください。 お手紙を拝見していると、海がとても身近な存在のようで羨ましく思います。椿さんが違和感なく湘南に溶け込んでいかれたわけもわかるような気がします。人間がどんなに気張ったところで太刀打ちできないもの。それが自然というものですね。その意味かもしれません。わたしも海には強い憧れを抱いています。 近年はどこにも出られませんでしたが、まだ体力の旺盛だった頃にはずいぶんと無茶な旅を繰り返したものでした。ほとんど予定・日程といったもののない、気合いまかせの旅です。始めから目的らしきものがないわけですから、いずれ行程そのものが目的化してしまいます。たまさか眼前にひらけた光景を疲労困憊のなかで愛でる。これがたまらなくいいのです。こうなってしまった原因を探すと、十代の頃に友人のY(現在は『生活趣味人』と名乗っています)にそそのかされてハードな旅に連れ出されたことにあるのですが、それですっかり味をしめてしまいました。むしろ多少の辛苦を伴ったほうが旅をした気分に浸れるくらいなのです。 徒歩の旅が体力的に困難になってからは車を利用しました。給料生活をしていたころのわたしは夏休みになると下北半島から津軽半島にかけてを走ります。北国の海の深い色と少し寂しげな漁師小屋、国道のまん中できょとんとこちらを見ているニホンカモシカなど。それと、日本海側、青森の西海岸ではスケッチをする女子高生たちに出会いました。黄昏が染める少女たちの横顔はとても美しいものでしたが、それは海面から受けるオレンジ色の光のおかげもあったようです。彼女たちに何か面白い話でもしてあげようかと夢中で喋りかけてはみたものの、車中で寝泊りするこちらはこじらせた夏風邪で咳き込む始末。ああ、みっともない。 友だちと交互に運転しながら、往復二千キロの旅を二度もしたのは退職後のことでした。 伊勢で夜の酒を飲んでから翌朝和歌山県に入り、新宮市で神倉神社の石段を登って降りて飯を喰い、熊野の山を越え、虹色をした吉野の湖の脇をすり抜け、奈良で懐かしいホトケさんたちに対面してから夜は居酒屋にくりだす。京都では東寺の伽藍に抱かれて無音の声明の集積に圧倒され、清水の舞台から望む夕日に僧侶たちの快楽の在り処を知り、またもや二晩続けて酒を飲む。目覚めたら神戸からフェリーで高松へ。まずは世界一旨い食品のひとつであると断言できる「讃岐うどん」を流し込み、徳島池田町の山越えにはあまりの心地よさに思わず免停二ヶ月。仮発行の運転許可証で高知までたどり着き、郷土資料館にて絵金の『八百屋お七』を見たのち勝手知ったる山中の神社へ。奉納された金蔵の板絵馬『羅生門』が床に落ちているのを幸いと、一礼して拝殿に上がり込みしばし筆法の観察。あとは黒潮の恵み、鰹のタタキと地酒で二晩。帰りがけの岡山かどこかのドライブインで詰め込んだカキフライにあたり京都のホテルで一晩のうちにトイレに駆け込むこと十四回。夜明けに左手で腹部を押えながら右手でハンドルを握り、一路東京へ。 と、まあ、こんなふうに支離滅裂な道行きばかりなのです。それでもいつもついてまわるのが海(あるいは川、水)でした。二千キロの旅の一度は真冬でしたが、和歌山の海岸沿いを走ったときには自然の恵みを感じたものです。港や浜に面した喫茶店に入ると海からの照り返しがなんとも暖かい。海面を覗き込めば水のレンズに拡大された小魚がゆらゆら泳ぎもしている。このゆらゆらが自分なんだと知れば、もう一度車に乗り込む気力も湧いてくる。それでもって紀州の陽の光で育った冬の蜜柑の皮を剥き、まるのまま口に放り込む。天然のジュースが昼間用のガソリンでした。 まもなく新しい年が始りますね。ホームページを立ち上げてよかったと思うのは、こうしていくつかの再会が叶ったこと。そしてまだお目にかかったことのない方々とも出会えたことです。わたしの重い腰も少しは軽くなることでしょう。 作句ができませんので、山頭火をひとつ。
いつか旅先から絵手紙でもお送りしましょう。こう見えても、わたしけっこう絵がウマかったりしますよ。
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