TSUBAKI

 

春らしくなってきました。
お久しぶりです。いかがお過ごしですか?

暖かな日差しの中、やさしい風が吹き、木々が芽吹き、花が咲く……。
新年度を迎え、進級、入学、入社、異動等々、多くの人たちの新しい生活が始まります。春というのは、万物が生命感、躍動感に満ち、人事においても新しいスタートを感じさせる季節です。

天気のよい日は、我が家から富士山がくっきりと見えます。

富士山と言えば、小さいころ見たこともないのになぜか青と白のクレヨンで型どおりに描いていた富士山や、随分昔に銭湯の浴場で見た大衆性を感じさせる富士山の絵が思い出されます。

また、ちょっと思いを馳せると浮世絵でしょうか。歌川広重(安藤広重)の「富士三十六景」もいいですが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」はいつ見ても新鮮な驚きを感じます。

美術の専門家である満ちゃんにこんなことを言うのも気が引けるのですが、「凱風快晴」の赤い富士には鮮烈な印象を受けますし、我が家からさほど遠くない名所が描かれている「相州七里浜」や「神奈川沖裏浪」には何となく懐かしさのようなものを感じます。また、「東都浅草本願寺」の大胆な構図もとても面白いですね。

それから、富士山というと太宰治の『富嶽百景』。『富嶽百景』は私の好きな作品の一つです。最近はあまり高校の国語の教科書にも掲載されなくなりましたが、この作品と初めて出会ったのは高校の教科書で、今から30年ほど前のことになります。テストで読み方を問われた「鳥瞰写真」ということばと、「富士には、月見草がよく似合う。」という有名な一節が、とても鮮明に記憶に残っています。それからというもの、月見草は私にとって富士山と対峙する特別な花になりました。

満ちゃんもご存知のように、私はその時々にあった環境を求めて、結構引っ越しを重ねています。その中で、15年ほど前になりますが、平塚に住んでいたことがあります。

平塚に引っ越して半年ほど経った早春の朝、家の玄関を出たときに真正面に雪をいただいた大きな富士山に気づき、その美しさと大きさにはっとしたことを今でもはっきりと覚えています。

それまでの私にとっての実景としての富士山は、当時満ちゃんと同じ職場に通う埼玉の通勤電車の窓からはるか彼方に見える小さな、ちょうどお菓子の付録ほどの本当に小さな富士山だったのです。もちろん、その当時は富士山に行ったこともありません。

ですから、平塚の玄関先で美しく大きな富士山を目の当たりにしたとき、息を飲むほどの驚きと感動を覚えました。目の前にそびえる富士山は、あの車窓から遠くの方に眺めていた小さな山とは全く別の、大きく、威厳に満ちた、美しい稜線をもつ、そして、深いやさしさのようなものを感じさせる山だったからです。

物心がついてからは富士山を青と白の色彩で描いたことが妙に幼稚に思えたものですが、目の前にある富士山は、クレヨンのあの明るい青ではないものの、深い碧色で頂には真っ白な雪を冠していたのです。

しかし、そんな驚きや感動とともに、毎日見ている景色のはずなのにその景に気がつくまでに半年ほどの時間を要していることに、軽い自己嫌悪を覚えました。

当時は、上の子しかいませんでしたが、その子も2歳になるかならないかで、毎日の仕事や育児に追われ、心身ともに余裕がありませんでした。それでも、これだけ大きな富士山に気がつかなかったことに、忙しさに振り回され、日常に埋没している自分を感じずにはいられませんでした。

全く日常に埋没していた私が、どんなに短い時間でもよいから「自分」を取り戻す時間がほしい、「自分」を取り戻す時間をつくろうと思うようになりました。

それから15年ほど経ちますが、仕事はどんどん忙しくなり、2人の子どもが成長するにつれて年齢相応の問題を抱え、あのころ以上に自分の時間が持ちにくくなっています。

それでも、諦めずに少しずつの時間を大切にしています。
睡眠時間を削って時間をつくっていたこともあります。でも、それが続くと却って心身の疲労感をもたらします。

まず、土日はできるだけ家事を主人に分担してもらっています。
このような理解を得るまでには、何年もの月日と苦闘がありました。主人は今でこそ私の良き理解者ですが、以前は女性のあり方に対しかなり保守的な考え方を持っていましたので、女性が職業を持つことにも難色を示していました。

何度も何度もぶつかり合い、ヘトヘトに疲れ、一緒にいることが疎ましくなったことも数知れずありました。でも、そういうことがあったからこそ今があるのだと思います。時には、流れに逆らうことも必要かも知れません。

それから、いい人であろうとする気持ちをできるだけ払拭するようにしました。
いい人であろうとするとどうしても生き方に力が入ります。そうすると、自分のことよりも虚栄心にとらわれてしまいます。そして、そのことが気持ちの余裕をなくし、柔軟な考え方や思いを阻みます。

今の様子からは想像もできないかもしれませんが、料理はもちろん、子どもの服まで手作りしていた時期があります。

でも、今は、仕事に疲れていたり、時間がなかったりすると、迷うことなく外食にしています。はじめは根拠のない後ろめたさのようなものもありましたが、今はそういうひとときが子どもや主人とのよきコミュニケーションの機会にもなっていることを実感しています。

できるだけ「自分流」の生き方をしていきたいと思っています。これには、ある意味「覚悟」が必要です。でも、余分なものをそぎ落とし、覚悟をすることによってこそ得られるものがあるのだと思います。

そうはいっても一日の時間は誰に対しても平等に与えられ、多大な時間が与えられるわけではありません。時には文庫本を片手に料理をすることもあります。

今の私にとって「自分」を取り戻す時間というのは、家族とも離れて本を読んだり、パソコンに向かったり、俳句を作ったりというような本当にささやかなひとときです。そんな短い時間でも、ゆったりと落ち着いた気持ちになり、自分を明日へとつなげていくことができます。

私たちは、毎日いろいろなことに出会って生きています。うれしいこともあれば、悲しいこともあります。幸せを感じることもあれば、自分だけが不幸の真っ直中にいるような気持ちになることもあります。腹立たしさ、悔しさを覚えたり、人をうらやんだり、恨んだり、本当にいろいろな感情を抱きながら私たちは生きています。いいときばかりはありません。でも、悪いときばかりということもありません。

私は、それほど生き方が上手ではありません。それは、満ちゃんもよく知っていらっしゃいますよね。きっと性格が真っ直ぐ過ぎるからだと思います。

こんな年齢になってこんなことを言うのも何なのですが、決して得な生き方ではないけれど、どんなときでも自分の考えをしっかり持って、真っ直ぐに生きていきたいと思っています。言い方を変えれば、いつまでも青さを残して生きていたいということかもしれません。

流された方がずっと楽なことも多く、くじけそうになったり、迎合してしまいそうになったり、自分の嫌な面に気づいてしまうこともあります。それでも気持ちを持ち直して、自分らしく前向きに進もうとするとき、ふとあの威儀をただした富士山の姿を思い出すことがあります。

今日も、3階にある娘の部屋から、真っ正面に大きな富士山が見えます。
息子の部屋や2階のリビングからも見えますが、我が家では娘の部屋から見る富士山が最も美しく、神さびています。

何だかとりとめのない書簡になってしまいました。
ずっと興味をもっている浮世絵について、いつか満ちゃんからお話を伺いたいと思っています。

お元気でお過ごしください。
 
では、また。

椿 
 
 
 
 
返信 IWASAKI

 

10年ほど前に西隣にビルが建って、わたしのところから富士山は見えなくなってしまいました。晴れた日の夕方には、夕焼け空が地平線と接するあたりに豆粒のような白い山の先端が見えていたのを思い出します。

実物を見たことがない人でも、この山なら誰でも知っているのですから不思議ですね。江戸の昔には「富士講」といったものまでがあったわけで、精神的な支柱とでもいうのか、そういうものとして捉えたくなる何かがあるのかもしれません。わたし自身も新幹線や走行中の高速道路から眺めた緩やかな稜線に感動を覚えたことがありました。

それと一度だけですが、山梨県の甲府のあたりまで車で出かけて、この山を北(内陸)側から眺めてみたこともあります。絵に描かれた富士山は太平洋側からの眺めが多いようですが、山といっても単純な円錐形ではなく、反対側から見る姿は優美さよりも逞しさを感じさせて新鮮でした。山里を走っていると道端に道祖神が立っていたりする、そういう風景にはこの山がよく似合うのです。ここにはここだけの富士山があるのだなと思いました。そして笛吹川。この川も見てみたくて甲府まで出かけたのです。

この「甲府盆地めぐりツアー」は教員時代のことで、芸術担当の同僚と一緒の県外視察でした。当時、椿さんはまだ赴任されていなかったと思います。今ではこんなノンキな出張が認められるとは思えませんが、各年度末に一回、一教科に限って、教員の資質の向上とかの目的でそういうものが許されていました。もちろん実際に教育機関等を視察するわけでして、昨今あちこちで指摘されている「カラ出張」などとは無縁のものです。

同行のYさんは音楽の先生でわたしと母校は同じ、音楽学部の卒業でした。大学ではこちらがわずかに“上級生”だったという理由だけで、出張先の甲府はわたしの趣味で一方的に決めさせてもらいました(ヒドイ先輩!)。やはり富士山をじっくり眺めてみたかったですし、深沢七郎の『笛吹川』に描かれた、あのしみじみとした世界への憧れもありました。

ここだけの話ですが、じつはこのツアーには隠されたテーマがあったのです。「笛吹川で笛を吹こう!」というシャレにもならない低次元なアイデア。馬鹿でしょう? こんなことを本気でやっていたのですから。しかし、音楽教師のYさんはもともとオーボエ奏者でした。そして、その頃のわたしはYさんに教えてもらいながらサックスを吹き始めていました。サックスという楽器はラッパの一種と思われがちですが、構造上はれっきとした笛です。従って、この二人が笛吹川の河原に立てば、おのずと笛が吹きたくなるはずなのです。

甲府盆地の澄んだ大気に、わたしの吹くロックン・ロールとアフリカ民謡がけたたましく鳴り響きました(当時はそれしかレパートリーがなかったのです)。「こんな奴に音の出し方なんか教えるのではなかった‥‥」と、Yさんは後悔したに違いありません。しかし、そこは笛吹き男の哀しい性、そばで管楽器が鳴ればジッとしてはいられないのです。小さな笛(たぶんソプラニーノ・リコーダー)でこちらの演奏に“乱入”してきました。音量で負けると思ったのか、さらにもう一本の縦笛まで取り出して左右の手に一本ずつを持ち、その二本を同時にくわえて吹くという“荒技”までくり出す始末。クラシックの演奏家がその気になると手がつけられませんね。空は抜けるように蒼く、水音は絶え間のないアルペジオ。思い出のセッションでした。

たしかその翌年でしたが、Yさんは退職しました。わたしはひとり取り残されたような気がして落ち込みましたね。彼の退職がひとつの流れをつくったのではないでしょうか、「好きなようにしていいんだ」という。それから数年のあいだに椿さんやわたしも含めて計6人の若い仲間が次々と学校を去りました。わたしたちが辞めた翌年にもまたひとり‥‥。辞めてどうなるという計算は誰にもなかったと思います。もちろん、どんな結末が待っていようとも「オトシマエ」は本人がつけるわけですから何の問題もないのですが。

退職一年後のある日でしたか、引越し先の神楽坂で散歩がてら坂道をぶらぶらと下っていると「満ちゃ〜ん!」という懐かしい呼び声が突然聞こえてきました。反対側の歩道には飯田橋から登ってきたスーツ姿の椿さんが立っています。この再会には笑ってしまいましたね。そのときの椿さんはどこかの出版社にお勤めでした。

 

トシをとるごとに自然への愛着が増すようで、桜は毎年見ています。今年は、つい昨日上野で見ました。いつもの画材店へ行くついでに上野公園を経由してみたのです。どうやらこの花は「富士山」と似ているところがありそうですね。それを眺めては何かを決意したり、ときには酒の肴にしてみたりというふうに。一度見ておけば気の済むようなところもあって、本当は「春なのだから始動せよ」というゴー・サインだけを受け取ればいいのかもしれません。

画材店には頼んでおいた特注パネルが届いていました。凝ったつくりのもので、使用する木材も、サイズも、形状も、通常のものとは違います。このパネルを淡く着色してそこに複数の板絵をレイアウトする、という作品になります。ある美術展で展示されることが決まっていまして、これから一ヶ月間で完成させなくてはなりません。

今回の展覧会では、作家の顔写真まで紹介していただけるということで、長い間隠し続けてきたこの面がついに割れてしまうことになりました。写真は自分で撮影して主催者に送ったのですが、冬のあいだダイエットをサボっていたのを後悔しています。それと自分の顔の本質、鏡で見るのとは違って写真ではそれがモロに定着されてしまうわけですね。眼鏡を掛けてみたり外したり、ライティングを変えてみても結局は同じ。密室にこもって、何やら怪し気なモノでもつくっていそうな(事実その通り)“不良中年”の顔なのです。絵なんか描いているからこんな顔になるのだと責任転嫁。

画材店のスタッフ、M君とMちゃんにはいつもお世話になっています。M君は美術系の予備校で絵を教えていた人で、現在は可愛い息子さんとの時間を増やそうと通勤時間が短縮できるこの店にシフト・チェンジ。実作にも精通している人ですから、こちらのわがままなリクエストにも完璧に対応してくれます。創業百年の専門店にはこういう人が必要なのです。Mちゃんは遠〜い地方から上京してきてガンバっているお嬢さん。いつかゆとりができたら絵の勉強をしてみたいのだそうです。二人とは2年近い付き合いですが、生活感もあるし、爽やかな若者たちです。わたしにとってはすでに大切な「若い友人」なのです。もしかして、あちらも「遠い親戚のおじさん」くらいの感じには思ってくれているかもしれません。

特注パネルは若いMちゃんにお世話してもらいました。面倒な細工が可能かどうか製造業者に打診してもらったりして。パネルの出来は細かい指定まで完全にクリアされていて大満足。気分が良いので、この際はわたしがたったひとつだけ体得した人生の奥義を彼女に伝授してあげようかと思いました。「いつかゆとりができたら‥‥」という彼女の夢についてのアドバイス。

件の顔写真が第三者のクールな目にどう映るのか反応が知りたいのもあって、セピア色でプリントした一枚を見せながら尋ねてみました。

「交番に貼ってある写真みたいじゃないかなあ‥‥」
「そんなことありません!」
「アーティストみたいに見える?」
「それ以外の何にも見えませんっ!」

二年間で、こんなに元気のいいお世辞も言えるようになりました。女性は成長が早いですね。すべてはきっと自分でやりくりするのでしょう。「今しかないんだよ」の台詞は必要なさそうでした。

浮世絵の話を書き出すと長くなってしまいそうですから今度の機会にでも。なんてったって屋号が《絵草紙》ですから、ご想像の通り、なかなかウルサイですよ。

(イワサキ)
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