| YOUYOUFUTEKIJIN |
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メールありがとうございました。小津安二郎の『東京物語』のビデオを二度ご覧になったとのこと、感想いかがでしたでしょうか。ぼくも‘小津ファン’で、ビデオが中心ですが、彼の作品は何度もみています。その作品の多くをみおえたとき、小津の「生きることへの肯定」のおもいをしずかにつよく感じるとともに、「気品ある寂寥感」とでも表現したい情感にひたされ、いまさらに、小津作品の深さと広さを実感し、ますます‘ファン’におちいっていくということになります。 小津の作品は、初期のアメリカ映画の影響を受けたモダニズム風のものを別にすると、描かれる人々の社会階層は多様ですが、家族を中心とした人間関係をテーマにしているという点で一貫しています。ぼくは初期のものをふくめてすべての作品が好きで、作品の基調が暗く、一般には失敗作とされている『風の中の雌鶏』や『東京暮色』なども、ただならぬ作品(ちょうど、モーツアルトの作品群のなかでの数少ないが魅惑に満ちた短調作品)のように感じられます。とはいっても、小津作品のなかでは、やはり一般にいわれているように、原節子が「紀子」を演じている『晩春』・『麦秋』・『東京物語』(「紀子」三部作)がその最高峰であり、なかんずく『東京物語』がそれらの集大成であるとすることには、異存はありません。というよりむしろ、つよく、熱くこの三作が小津の最高傑作であることを主張するものです。 ところで、小津映画がみるものにもたらす満足感は何によるのかと思いをめぐらしてみると、すべての登場人物の存在が肯定されているということを指摘することができるのではないかとおもいます。特定の人物がことさらに思い入れをこめられて描かれることがない。作り手である小津の愛惜の情が、すべての登場人物のかけがいのない生きざまにひとしくそそがれています。彼の映画のなかでは、男も女もそして子どもたちもが、それぞれ対等な存在として、やさしさや善良さやひょうきんさ、さらには酷薄さをもちながら、なんと生き生きと描かれていることか。この意味で、小津の作品は、「存在の肯定」のドラマであり、したがってヒーローやヒロインは不要であり、ことさらの対立から和解へといった筋立てや、勧善懲悪や社会正義のような倫理観とは無縁なのだとおもいます。 そしてこうしたことと、かれの映画のつくり方とは深くかかわりあっているようにみえます。小津ほど作品のすべての細部にわたって意識的に「つくった」監督はおそらく稀有であるとともに、反面、かれほど作品が「つくりもの」になることを嫌った監督も少ないはずだからです。人が生きていくことの支えであり根っこである家族というあり方に一貫して関心をそそいだ小津にとって、家族のきしみや解体という否応のない現実を生きる人びとを描くことは厳粛な試みであり、現実の厳粛さにきっこうする表現をもとめた彼の資質が、表現の安直さやわざとらしさといった「つくりもの」性をつよく忌避したように、ぼくにはおもえるのです。 もっとも、「つくりもの」にならないように「つくる」ということは、厳密にいえば不可能なこころみです。しかし作品の感動は、「つくられる」ことによってもたらされるのです。こうした作品の逆説をせんさくすることはここでは措くことにして、今このような点にぼくがこだわるのは、それが、先に述べた「紀子」三部作が小津の最高傑作であるとする主張と、かかわってくるようにおもわれるからです。 小津は、『東京物語』が人びとのなみだを誘ったことを知り、メロドラマ(「つくりもの」)にしてしまったといって反省の言をはいています。しかし他方、『東京物語』は小津映画の最高傑作であるばかりではなく、今年の英国映画研究所のアンケート結果が示すように、映画史上の最高傑作のひとつとして、その評価は世界のなかで確立しているのです。こうした、監督と鑑賞者とのあいだの作品評価をめぐるこのギャップを、どうとらえればよいのでしょうか。ぼくには、ここに、「紀子」三部作が真の傑作たりえたことの「ひみつ」を解くいとぐちがみいだせるようにおもえるのです。 『晩春』・『麦秋』・『東京物語』をみるものは、その作品世界の特異な雰囲気を感得するはずです。とくに、原節子の「紀子」が、しずかな光彩をはなっていることに気づくはずです。この光彩は異様です。『東京物語』を例にとると、夫を亡くしている紀子が、嫁として義父母につくしていくなかで映しだされていくその存在感は、尋常なものではありません。みかたによれば、不自然(「つくりもの」)ともとられかねません。しかし彼女の存在は感動的です。 老夫婦やその実の子供たち、孫たちが小津独特の彫琢された映像のなかでリアルに描かれているのにたいし、人なみはずれたやさしさや貞淑さをもった、そして作品の終局ではそのようにおもわれている自分をみずから否定する誠実さをもった紀子は、リアルな存在を「超えたもの」として描かれているように感じられます。「超えたもの」とは、現実ばれした「つくりもの」ではなく、現実にそくした人物造形を超えることによってはじめて描きうるような人間の「真実」ということです。紀子という存在の真実が、見るものに感動をもたらすのではないでしょうか。 しかし、小津は、紀子という存在が真実をじゅうぶんに表現しえているかどうかについて、確信できなかったのかもしれません。先の「メロドラマ云々」の発言は、こうした小津の心境を示唆しているともとれるからです。しかしそうだとすると、『東京物語』の感動は、作り手の意図を超えてしまっているとさえいえるのではないでしょうか。すなわち、端的にいえば、紀子は「聖なるもの」という特性をおびているようにおもえるのです。現実には存在しえないが、しかし真実をあらわす「聖なる存在」として。では、そうした「聖性」はどこからくるのでしょうか。 それは「死者」からくるにちがいありません。すなわち、戦死した、紀子の夫である老夫婦の次男からです。なぜなら、ひとは現実の生を超えたものとのかかわりのなかで、はじめて「聖なるもの」を感得することができるからです。『東京物語』の登場人物は、「死者」とのかかわりをもつかぎりで、多かれ少なかれ「聖性」をおびているように感じられます。極言するならば、『東京物語』そのものが、「死者」の磁場でくりひろげられる「聖なるドラマ」なのではないでしょうか。こうした作品の特質は、ここでは立ち入ることはしませんが、『晩春』や『麦秋』においても指摘できるとおもいます。前者では紀子の亡き母、後者では紀子の戦死した次兄という「死者」の影が、作品を「聖なるドラマ」にさせているように感じられるからです。 ぼくには、小津は作品におよぼす「死者」の影のちからについて無意識だったようにみえます。しかし、もちろん、これは小津の不覚を意味するのではないでしょう。ここでぼくたちは、「死者」の影が戦争(敗戦)という大きな歴史の悲劇を負っていることに想いをいたすべきではないでしょうか。「紀子」三部作は、昭和24年から29年という、敗戦直後の自失状態から立ちあがりはしたものの、いまだその悲劇が人びとの心を覆っていたであろう時期につくられています。小津は、そうした人びとのひとりとして、悲劇を誠実に受けとめたのではないでしょうか。無力ではあるが、人が生きていくことにとってかけがいのないものは何かについての感覚を決して失うことなく。 ぼくには、「紀子」三部作は、小津が戦争(敗戦)という歴史によって「つくらされた」作品のように感じられます。それらの作品に「聖性」をあたえる「死者」の影のちからとは、小津の意識や意図を超えた歴史そのもののちからのようにおもえます。このことは、小津が表現者として、その作品に歴史を体現しえたことを意味するでしょう。小津は真の意味での傑作を生みだしたのではないでしょうか。 『東京物語』の終局で、妻に先立たれた義父が、紀子に、あなたがいちばん尽くしてくれたといって礼をいい、再婚をすすめ、それは亡き妻の希望でもあるむねを告げたのにたいし、紀子が、自分のなかにもズルさがあり、女としての苦悩もあると応えます。そしてそれにたいし、義父は、だからあなたはいいひとだと紀子を再認します。この場面は、ぼくには、紀子が「死者」の影から解き放たれ、聖から俗へと立ちもどる儀式のようにみえます。 『東京物語』以後、『早春』から『秋刀魚の味』までの一連の作品も、それぞれ素晴らしいものですが、それらはもはや「紀子」三部作にそなわる「聖性」はもちえません。その意味で、『晩春』・『麦秋』・『東京物語』は、小津の作品のなかでも特異なものであるとともに、真の傑作であるとぼくには思えるのです。
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| 返信 IWASAKI |
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もういちど映画に近づいてみようかと思い立ったのが今年の早春の頃でした。以前はテレビ放映されるのをなんとなくタレ流し的に眺めているだけでした。そこを反省して、ビデオを借りてきては一日一本のペースで見始めたのです。まずは伊丹万作、溝口健二、黒澤明、そして小津安二郎といった監督の作品を中心として。 なるべく製作年の古いものから見ようと思いましたので、当然のこと映像の大半はモノクロームでした。スクリーン(あるいはブラウン管)に再現された世界に踏み込む際に画面がモノクロであるのは障害になりませんでしたね。単色の版画やデッサンを眺めるときのように、目に映るものが白と黒の混合物であることなど忘れて、すっかりのめり込んでしまいました。単色の映像が網膜から意識の領域へと伝達されていく過程には一種の“変換作業”が起きているのかもしれませんが、そうした無意識のステップがかえって集中の度合いを高めてくれるのかもしれません。「絵画は抽象である」と語ったのは、たしか画家のゴーガンあたりだったと思います。映画もまた紛れもなく抽象なのでしょうね。 わたしの映画鑑賞の日々は何十日か続きましたが、その後中断しました。父の突然の入院と死が理由です。そのことはまた後でふれることにして、その中断の直前に見たのが一連の小津作品でした。『父ありき』『晩春』『麦秋』といったところです。さて、いよいよ『東京物語』を借りてこようと思ったところで途切れました。(『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』、このあたりは後日見ました。) 小津作品のいくつかは以前からテレビで放映されてきたと思います。ただ漫然と眺めていただけなのですが、それでも静かで端正な画面には惹かれていました。その映像の集積が小津自身によってあらゆる角度から吟味しつくされ、構築されたものであることは周知です。そのことを踏まえて再度対面すれば、わたしたちの日常とさしてかわるところのない情景を綴ったものに思えた画面にも、あえて取り上げられたテーマというのが浮び上がってきそうです。 それにしてもかつてテレビで見た何本かが、いったいどの作品だったのかはっきり思い出せないというのは、こちらの不真面目な鑑賞態度のせいばかりではなく、この監督の表現方法とテーマの一貫性を物語るようです。作品という入り口がいくつもあって、しかしそこを通り抜けるとたいていは同じ場所に至る。そこは平明で、ささやかな喜びと哀しみが同居する広場のようです。芥川龍之介が自伝めかした小説『大川の水』のなかで「慰安と寂寥」を感じるとした隅田川のイメージを、浅草に住むわたしなどは連想したりしまして。 『東京物語』ですが、ようやく先月ビデオを借りてきて見ることができました。だいぶ以前にも一度見ているのですが、今回の印象はそのときとは異なるものでした。それというのも、今ではわたしのなかに「人の死」というものが巣くってしまったからのようです。映画では老母の死が描かれましたが、わたしの場合は父のそれです。離れた場所に暮らす親の死というのがこちらの現実と重なってしまいまして、もう一度見ようと決めるまでに半年もかかってしまったのです。 今回この映画のなかで印象に残った場面を申し上げますと、大阪に住む三男敬三(大坂志郎)が「墓に蒲団は着せられず」と口にする箇所でした。子はそれぞれ親を踏み台にして自立していく。親はそれを当然のこととして受け入れ、しかし思うような人物に育ってくれないことにため息をついたりもする。これはおおかたの親子についての基本パターンでしょう。そして一方、子は親を思いつつも現実に呑み込まれ、ついに「墓に蒲団は‥‥」と悔恨の情にかられます。前回見た時にはさほど意識しなかった部分でした。だれもがたどるはずの道であるとは思っていましたが、いざこれが自分の現実となると切ない思いを引きずる場合もあるようです。 今のわたしにとって、この映画を分析的に見たりするのは難しそうです。必ずしも一致はしませんが、葬式のシーンも、葬式のあとの遺族の会談の場面も、それぞれが現実にオーバーラップしてしまうのです。それでもこの映画のなかに救いはありました。悠悠さんが「聖性」と指摘された紀子の存在です。一人の女性のなかに献身と自我の同居するさまを開示してみせたこの展開は『東京物語』のなかの静かなハイライトでしょうね。 この夏にイタミ万策さんにお会いした際に『東京物語』の話題になり、紀子と義父の最後の語らいの場面について、イタミさんは「血のつながらない者同志に通いあう愛」といったことを話されていました。同感でした。超えられないものを超えてしまうのが「愛」なのかもしれません。だとすれば、その反対に血のつながった者同志にも愛の通わぬ場合があるのではないかとも思えてきます。しかし小津は決してそのように描こうとはしなかったようです。ちゃっかりと亡き母の遺品をねだる長女にも無邪気とまで思えるような「聖性」を溶かしこんでいるような気がするのです。そこに描かれようとしていたのは、人が近しい者を失う際に最終的にたどり着く“明るい諦め”のようなものだったのかもしれません。 あるいは「絆」ということなのでしょうか。じつはわたし自身のこととして、このあたりがつい最近までよく分らなかったのです。父の死から半年が経ちました。その間、毎週実家に出かけておりまして、その都度近所の寺に出かけています。宗教的な行為とは思いませんが、墓に花を供えてみたり、ただその前で煙草をふかして数分間を過ごしたりしています。自ら進んでしているこの行動の意味が理解できなかったのです。 それで、しばらく自分の行動を観察してみましたら、寺の周辺の道をくまなく歩いてみたり、今では廃屋になってしまった近所の家を塀越しに覗き込んだりなどしています。どうやら故人の痕跡を探して嗅ぎ回っているようでした。もちろん何十年も前の証拠など残っていないわけでして、ただそうすることで父との関係や距離を確かめたがっているのだと気がついたのです。墓には父の骨が納めてありますが、その墓も故人の象徴としてわたしのなかにあるようです。そのことを母に話しますと「そういうものよ」とあっさり受け流されてしまいました。知っているなら早く教えてくれればいいのにと思ったものです。 とくに開き直ろうとかの魂胆はありません。ですが、ほんとうに「墓に蒲団は着せられず」なのでしょうか。死者と生者とのあいだには何もないように思えて、じつは「関係」というのがある。この抽象的な項目だけを取り上げてみると、それはおそらく他の死者にまつわる無数の「関係」とも蜘蛛の糸のようにつながり、絡み合っているのではないだろうか。その糸をたどれば過去のあらゆる魂にまで到達できる。ちょっと大袈裟ですが、今ではそういう図式が見えるような気がするのです。蒲団どころか愛を捧げるのも難しくはなさそうです。 『東京物語』はそれを見たものそれぞれが、各々のバリエーションを生きることのできる映画だと思います。我が身に置き換えてここまでリアルに体感される例もありませんでした。それはこの作品が、悠悠さんのおっしゃるように「死者の磁場」で展開されたものであるからなのかもしれません。そういえば、来年は小津安二郎生誕百年の年でしたね。 p.s. 一昨日の夕方、父の墓を見に行きましたら墓地が北風に煽られていました。そこで轟音を耳にしたのです。何の音かと最初はただびっくり。墓石の後ろに差し込まれた板塔婆(墓地全体ではおそらく千枚以上)が強い風を受けて互いを打ち鳴らし合っているのです。墓の主たちがこの酔狂な客を歓迎してくれたのでしょう。わたしにはそんなふうに聞こえました。たそがれ時に“ちょいと”墓地まで出かけてみるのもいいものです。
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